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戦艦越後太平洋戦記  作者: 賀来麻奥
=序=
4/115

戦艦か空母か…

 海は暑い日差しを受けながら青々としている。そしてその上に小島に天守閣というのがふさわしいだろうか、戦艦長門がそこにいた。ここは広島湾 呉港である。


 1934年8月15日 中華人民共和国との戦争の緊張が走りそわそわしている者を笑うかのようにどっしりとその船体を浮かべていた。中国が人民共和国になっているのは共産党が支配しているからだ。

 長門には今回新長官が乗ることになっていた。嶋田繁太郎である。治安がまだ悪い農村では欠食児童が目立つ中、堂々とした姿がそこにはあった。

 その堂々とした体にふさわしい連合艦隊司令長官として長門に向かった。海行かばが流れ、弦門からハッチまでカーペットが敷かれ、士官達の敬礼に答えながら1歩1歩ゆっくりと歩いていった。


 山本五十六はこの時期航空隊のほうへ就任した。しかしこれは実は左遷である。そうこの人物が嶋田に職を譲った人物であり、嶋田をソファーに座って待っていた。

 そして山本は口を開いた「嶋田。海大以来だな」長官公室のドアを開けるなりその声が小柄な山本から大きい声として出た。そしてその声が鴨田の耳に入った。


 嶋田は「今回は連合艦隊…」「挨拶はそうではない。昔を同じく貴様で話さないか?」全くうわさに聞いていたがこういうのを気にしないのが山本長官らしいところだ。そして話をその後続けたのだが、政治のことなどで全く分からず、何も分からない自分がはがいくてしょうがなかった。もちろん山元にも腹が立った。

 

 しかし、やがて司令長官に選ばれた理由などでは自分は十分に期待されていることが分かってすっきりした。十分ほめたところで山本は本題に入った。「貴様は戦艦無用論・航空機無用論どっちだ?」と聞いた。答えは決まっているのだ。「戦艦を航空機で沈めるなんてかなり難しいでしょう」

と航空機の性能をやや小評価していったが、この時代だから普通といえば普通だ。それでも山本は話を続けた。航空機はいまや発達して魚雷なども我が軍の機体なら十分可能といっていた。


 嶋田はだんだん聞く気がうせていった。「いまさらそんな事を…」嶋田は高い声でコスト面のことも話した。さすがの山本もここまで言われては弁明の余地が無くなる。軽い会話をして去っていった。


 しかし嶋田は全く航空機に関心が無いわけではなかった。航空機の力を実は嶋田はやや評価していた。洋上を早く動き回り、敵の艦隊の発見がしやすい。しかし実績が無いのだ。


 しばらくして嶋田はこう考えた。空母の優位性が実証されるかどうかは戦が起きないと分からない。しかし航空機の力は侮りがたい。そこで空母を守り航空機の攻撃を受けないようなものにすればいい。


 

 1934年10月9日 金剛級にそうとうし、航空魚雷を1本受けても戦闘に支障を受けず、2本受けても5分程度で修復する防御力を求め、どうせなら長門級より大きな攻撃力を持った戦艦を製造せよとの事だった。しかもこれを複数建造することを考えていた。米英が黙ってるわけが無いが。



 そして1936年2月 完成したのが戦艦越後なのだがそれまでに対米戦のことを述べてなかった。

 果たして対艦巨砲主義は正しかったのか?


 


 

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