始まり
1936年 2月 「いやぁ立派な戦艦ですな」豊田副武が言う。「そうだろう」嶋田繁太郎も言った。他の軍令部の方も口々にいった。
ここは長崎の造船所だ。軍艦行進曲が盛大に流れている。民間人が歓声を上げている。
・排水量 49500t
・全長 242メートル
・全幅 34,3メートル
・喫水 9,7メートル
・速力33ノット
・蒸気タービン18万馬力 4基4軸
まだ上の構造物が完成していない進水式より一層際立って得るのは当たり前だ。
主砲 53口径40センチ砲三連装三基(前2 後1)
副砲 50口径12,7センチ10門(両弦配置又、角度70度射撃可能))
25ミリ機銃連装十基二十門
ついでにカタパルト1基と水上機2機
甲板装甲 210ミリ 弦側 500ミリ 艦橋400ミリ 主砲天蓋200ミリ 前盾は400ミリ
定員2200名
化け物のような装甲で目立つのが弦側装甲500ミリだ。
「山本五十六さん。本当にあんな装甲必要だったんですか」「ハハッ米内君その内分かるよ」続けて「今や航空機の時代なのだからむしろアレでも足りないぐらいだ。特に対空砲が」そういうと山本は湾を後にした。
ワシントン条約を逆らった海軍だったがもう関係ない。戦争は始まっている。始まっているのに戦艦をわざわざ公開するとはスパイを恐れていないだろうか?そんなことを言う人はいなかった。
1935年12月1日 日米戦は始まった。それを語るために時間を戻そう。時に1934年8月の暑い日のことだった。
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