アメリカヲ蹂躙セヨ
4月30日 夜の海に日章旗を掲げた大艦隊が黒々しい景色の中をただただ目的の場所へと巡航速度16ノットで航行していた。
「日本は今日より大攻勢にでる。アメリカを負かすには戦意を萎えさせるしかない。今放ったらかしにしていたら、あの国は駆逐艦を1000隻くらい作ってしまいそうだ。だからあの国を今責めなくてはならない」山本五十六は幕僚たちに話した。
〇〇〇〇「日付がかわりました」神が鴨田へ言った。
「そうか」短く返事をしたあとに先頭の巡洋艦羽黒から射程距離に入ったとの電報を受けた。
「対潜陣形を取れ!第1戦隊距離三万まで接近せよ」
射程距離に入ったのはミッドウェー島の飛行場のあるイースタン島。奥の飛行艇基地のあるサンド島が目標だ。
そして速度を22ノットまでに増速して戦艦部隊が距離3万に迫ったのはそれから10分後のことである。
「全艦撃ち方始め!」鴨田の命令により通常弾がイースタン島に降り注がれた。12,7センチ〜40センチ主砲弾がアメリカ守備兵の目覚ましとなった。
大地を揺るがす主砲の命中による振動、そして閃光が島を赤るく照らし出した。何だと出てきた米軍は自分たちが置かれている状況を一瞬で理解し、絶望というのが自分たちを覆っていると分かった。
アメリカのイースタン島の倉庫や滑走路に並べられていた陸軍戦闘機の新鋭戦闘機P-40やP-36が全て爆発炎上した。滑走路コンクリートに大穴が空き周囲の表面には亀裂が入り格納庫の爆弾などが次々に誘爆していって破片がほかの施設や兵士たちを襲った。
アメリカ軍は大砲を売って応戦しようとしたが距離が遠く、おまけに破壊されているのが多かったため命を無駄にしまいと逃げ場所を探して左右散り散りに走っていった。
鴨田が砲撃を停止するまで30分砲撃は続いた。40/35センチ砲が250発程度打ち込まれ、20/15センチ砲が1000発近く、12,7センチ砲が1500発撃たれたイースタン島はボロボロになった。何千トンの砲弾が打ち込まれたかなど知ったことではない。
間髪いれず上陸部隊が行動を開始した。
〇〇五〇 ミッドウェー島が攻撃を受けているとわかったのはこの時間だった。
この事態に対応すべく派遣された艦隊はなかった。米軍は兵力の温存を図ったのだった。
数分して空母蒼竜から東京に迫り来るB-10/2型の撃墜に敢闘した97式戦闘機の夜間戦闘機版を真似して装備した96式戦闘機が60キロ爆弾を両翼に装備し18機が夜というにも関わらず上空に駆け上がった。
イースタン島を低空飛行で駆け巡り焼け爛れた敵陣地を眺めながら飛行していると対空射撃を行う陣地があった。
いきなりガンという衝撃が走り、爆弾をつけた重い機体の高度を上げてその陣地を見た。なるほど数人の兵士が勇猛に対空機銃をかざしていた。しかしもう終わりだ。96式戦闘機はその陣地にダイブすると100メートル地点で爆弾を投げ捨て、瞬間的に操縦桿を引き機体を並行に戻すなり発動機を最大に回し爆風に巻き込まれるのを回避した。断末魔の叫びが聞こえ後ろを振り向くと先ほどの陣地が赤々としていたのが分かった。
さらには逃げていく兵士を9ミリ機銃で掃射していった。いまやミッドウェー島は血飛沫で島は染められいたるところから火が上がり、凹凸だらけの島となっていた。
〇一〇〇 高速輸送船が沿岸に近づき小型の揚陸艇から兵士や車体と砲塔にわけられた戦車などが次々揚陸されていった。たまにアメリカ兵が攻撃を仕掛けてきたが駆逐艦が接近して榴弾砲で吹っ飛ばした。
2500名の兵士が一気にイースタン島の隣のサンド島に上陸し残った兵士の掃討を行なった。アメリカ兵は武器をほぼなくしており一部の部隊は抗戦したものの大体は降伏した。
〇三〇〇 戦車が走り、敵の抵抗はなくなりこの時間帯日本軍はミッドウェー島を占領を宣言した。
一方のアッツ島やキスカ島は戦艦はおらず水上打撃部隊は巡洋艦や駆逐艦などで構成されていた。だが空母は4隻であり艦載機が約250機あるので十分な戦力だ。
空母より爆撃機や攻撃機が発艦し250キロ爆弾や600キロ爆弾を、又は石鹸や質の悪いガソリンなどで作った安上がりな60キロ爆弾を多量に落とした。
〇三二〇 鈍足な輸送船に運ばれた上陸兵士は6000名程度であり上陸を終えていた。島にアメリカ守備兵はおらず、アッツ・キスカの両島の占領もこの時間帯に占領した。
〇七〇〇 工兵の支持で滑走路の修理や兵舎などがミッドウェー島で行われいた。大本営はこの島を水無月島と名付け占領をラジオで大々的に発表した。




