第2次艦隊改装期
「はい完全に缶室まで浸水して動くことどころか自力発電すらできません」
「1kwもか?」
「これからの設計で可能かもしれませんが、この予算ではとても…」
「世界のビッグ7のひとつは沈みもうひとつは要塞か」
話の中心はレイテ湾で座礁している戦艦陸奥だ。フィリピン海海戦で潜水艦からの攻撃を受け、座礁しているその戦艦は機関室・缶室が浸水していてこれを修理して再び水上を動けるようにするなどもはや夢だ。どれほどの金がかかるかというと新しい戦艦を作ったほうが良いという値段だ。
では"いっそのこと要塞にしてしまえばいい"という突拍子な意見を出した。確かにここは南方からの輸送ルート上確保する必要性があるため少しでも強化することが望まれる。かといってそんなものだけに金をかけている暇も無い。しかし陸軍からの微弱ながら要請もありただの鉄屑にしとくのももったいないということですずめの涙とまでは言わないが少しばかりの予算がおりた。
陸奥は主砲の転換を行い電気系統や機銃・高角砲などの修理や転換が必要だった。まず主砲はなんとか予算内で作成し足の遅い大型輸送船に駆逐艦をつけて送り届けることはできるが問題はどうやって取り付けるかだ。クレーンで取り付けるのだがレイテ島にそんな設備は無い。だが金をクレーンに回す余裕は無い。陸奥は第1主砲は天蓋や前盾が破壊されていただけだったため方の周りに鉄組みなどで囲みコンクリートで囲んだ。問題の第2主砲は空からの脅威に対抗するため主砲の取り付けを断念した。
第2主砲跡には25mm・9mm機銃が3連装・単装で取り付けられた。さらに沈むことはないので12,7センチ連装高角砲を6基右側の艦橋においた。右側だけに置いた理由として陸奥は左側が島に面しているため海に面している右側に集中するだけでいいのだ。左側には兵員室が爆風に耐えられるようにこれまたコンクリートで包装されたものがあった。
さらに煙突も不要なためせこせこと右側に倒し悠然と空を睨んでいた煙突は海中に叩き落され、煙突跡には30ミリほどの鉄板を張り15,5センチ砲を3門おいた。その他にも改装を行った。
工作艦「朝日」も活躍し一連の作業を終えた。この朝日は最初は戦艦だったが時代がたち工作艦となり40年ほど活躍している船だ。工作艦とは旋盤や溶接機、クレーンなどの各種工作機械を装備し、艦船の補修・整備などを行う艦船のこと。事実上、移動工廠となっている艦船である。
問題の発電は島からの電力を電源ケーブルを通して使うというものだった。
レイテ島の発電として水力、風力など使えるもの発電の材料にした。結果としてこの要塞のため当初の予算を超え海軍の艦隊の改装費を消費してしまう結果となったが、レイテ湾要塞となった陸奥は以下のように兵装を変えた。
41cm連装砲×3基 15cm副砲×10基 12,7cm高角砲×6基 2mm3連装機銃10基 同単装機銃30基
13mm3連装機銃10基 同単装20基という武装である。カタパルトは撤去した。
陸軍はこれでレイテ島の防御が飛躍的にあがったため1個連隊を他の場所へ差し向けることが可能だった。
さらに陸奥の副砲はルソン島へ送られたのだった。
一方の戦艦伊勢と日向だが、伊勢はともかく日向は良くぞ帰ってきたという惨状であった。出撃前の勇ましい姿はなく、マストは焼きただれ半分ほどの大きさに萎縮し、後部甲板など見る影も無くどこもかしこもススを被り鋼の船体は黒く染まっていた。当然乗員も黒くなっていた。
これはまいったことになった。使える戦艦の数が著しく減少しているのだ。開戦前は戦艦長門・陸奥・伊勢・日向・扶桑・山城・金剛・比叡・榛名・霧島の10隻だ。これに加えて立案されたのが戦艦大和の計画だった。主砲18in砲を8門以上搭載しそれに対抗する防御力を兼ねそろえた戦艦。
しかしワシントン海軍軍縮会議でそれがかなわなくなった。そのときのワシントン軍縮会議で認められたのは次のようなものだった。
戦艦だけで言えば18in砲以上の砲の搭載を禁止し日本は後1隻しか建造を認めないとの物だった。さらに排水量は4万以下。そのため大和級戦艦の建造はおろか新たな戦艦の建造が出来なくなったのだ。
そのとき16in砲のストックを作るという名目でひそかに53口径という長砲身の化け物を製作したのである。50口径の砲身さえ難しかったのにもかかわらず53口径というのは砲内で弾がつまり爆発するいわゆる塔内爆破というものを起こしかねないのである。が、それを作成しながらワシントン海軍軍縮会議の期間を過ぎたときには砲身は12門完成していた。そこから既に建造書が完成していたため作成中に対米戦が始まったのだ。
話がそれてしまったようなので戻す。
つまり最初は10隻有りそれ以上作成するつもりだったのである。それがワシントン条約により蹴り飛ばされたどころか、鴨田の航空支援をつけない・対潜用の駆逐艦の護衛の軽視という愚断で即戦力となりえる戦艦を2隻失った。ただでさえ扶桑はハワイで沈ませ、山城は戦艦というようなものではなくなっているのだ。そもそも扶桑級戦艦は訓練用としてしか使ってなかったためいいとして、実践で使える戦艦がここで2隻失なったのだ。戦艦2隻を建造している間に2隻の熟練艦が戦闘不能もしくわ沈没したのだ。
さて日向をどうするかという案が浮上した。
「越後と同じく41センチ砲を搭載し35センチ砲を別の要塞砲としておくことにしたらどうだろう」という案が出たが生憎41センチ砲を搭載した場合船体がさして太いわけでないので下手すれば単装砲しか搭載できない。
ではどうするか…。とりあえずそのまま放置される結果となった。
一方の米軍は豪軍との制空権・制海権を取られたことであせりを感じていた。マッカーサーは日本軍がオーストラリアに侵攻すると考えた。そこに侵攻した場所のどこかのタイミングで補給を叩き撤退させる。という考えだったが北方だけで10個師団は送らねばならない。そんなに兵士が割けたものではない。
そして金剛級戦艦は25ミリ対空機銃20丁から60丁に増強された。ここで戦艦山城は大改装を遂に終えた。艦首を伸ばし円球艦首にしたため速力が27ノットのまで増えた。
さらには機銃を120門(25㎜3連装40基)
40口径12,7ミリ高角砲20基 長10センチ砲10基 12cm30連装噴進砲6基
艦載機(戦闘機12機 爆撃機12機)でカタパルト3基が搭載されている。
ならびに試作品ながら対空レーダーを搭載していた。
主砲の火薬庫などをつぶして艦載機を収容させ着艦は空母に行わせるといういわば後方支援の役割を果たしていた。噴進砲とは一種のロケット弾で着火すると1.1秒燃焼し飛翔、5.5秒後(1,050m)もしくは8秒後(1,500mか1,700m)に爆発し、60個の焼霰弾子をまき散らすものである。
さて遂に戦艦越後と飛騨が鴨田の命令で次の戦地へと向かっていくのだった。
この2隻のほかにも空母4隻と巡洋艦8隻と駆逐艦20隻と輸送船が向かっていくのだ。次の戦地へ。
下唇の下に何か出来物ができた。そんなもんどうでもいいか。
さてもう2012年ですね。2007年くらいに地球滅亡とかどうとか騒いでましたが…当分なさそうですね。