フィリピン海海戦前夜
アメリカはオハフ島の燃料タンクの実に90パーセントが破壊されていた。そのため老朽艦は出さず新鋭少数ということで意見をまとめた。
しかしキンメルはコレに対し徹底的な反対を行い、大西洋方面の艦隊の燃料をまわせと言い出した。これにアメリカ海軍の上層部は血相を変えるものまで出たが、なんとルーズベルトがこれを認めた。
よってアメリカが出す艦隊は以下のとおりだ。
空母レキシトン サラトガ エンタープライズ ラングレー レンジャーの5隻で構成されており艦載機は277機である。日本のように小出しをせず堂々とだすのがアメリカらしく、良いところだ。しかしこの内ラングレーは排水量が33000トンでありながら艦載機は33機しかのせれず速力も15ノットと低速なため後方支援に向けられた。そのため第1級線で稼動する艦載機は244機である。
戦艦テネシー アリゾナ ペンシルベニア ネバダの4隻である。
巡洋艦サンフランシスコ ニューオリンズ ポートランド インディアナポリス ニューオーリンズ アストリア ミネアポリス タスカルーサの8隻
駆逐艦ショー カノン ダウンズ カミングス ドレイトン フラッサー リード カニンガム カッシン タッカー ポーター マクダガル ウィンスロー フェルプス クラーク バルチの16隻である。他に給油艦が12隻ついてくる。その護衛として駆逐艦が4隻。
計48隻である。しいていえば潜水艦6隻で54隻である。
2月26日
〇三〇〇 「我、伊16 米艦隊を発見ス 空母4、戦艦4、巡洋艦8、駆逐艦12 速力22ノット
北緯6度42分 東経137度13分」
このとき連合艦隊は台湾にいた。この情報を受け取ると連合艦隊は出撃した。
〇八〇〇 フィリピン沖に日が昇り始めていた。この後起きる惨劇も知らず。
二二〇〇 上陸部隊がフィリピンのラワーグに上陸を開始した。まず6000の部隊と九六式戦車が揚げられた。戦車三〇輌その後を歩兵が突き進んでいく。トラックも三〇台。まずトゥゲラカオとウィガンを占領し、防衛ラインを作成することが今回の作戦だった。
フィリピンの航空兵力は真珠湾攻撃の6日後に大爆撃を受け立ち直りが不可能なほどの被害を被っていた。
フィリピン軍の防衛軍が上陸に気づき機関銃を撃ってくる。とっさの射撃に2人が倒れた。しかし九六式戦車の8センチ砲が咆哮した。閃光と爆音そして破片などが吹き飛び終わった後は何も残らなかった。
このあと2時間、日本軍はこの日で10キロ侵攻した。死者や負傷者は早くも80名を超えていたが、それに似合う分の戦果は得れていた。
日付が変わった頃アメリカ艦隊はサマールまで後20キロという距離まで迫っていた。
〇〇二〇 初の艦隊決戦が起ころうとしていた。
次回、激闘フィリピン沖海戦