南方最終作戦
アメリカ艦隊がまともに動けない状況下で日本は大小合わせ二〇〇〇隻の輸送船・連絡船、郵便船・商船を使用した補給作戦を実行していた。
アメリカ海軍は真珠湾の被害とドイツの参戦による大西洋への海軍振り分けにより太平洋を満足に守りきるほどの海上戦力を持たなかった。ように思われた。
だが四月に入る少し前よりそれは起きた。航行する輸送船の横腹から突如水柱が立ち上がり、そのまま海中へと引き込んでいった。潜水艦の雷撃だった。通商破壊攻撃である。
日本海軍は輸送船に護衛艦を付けることに消極的だった。そのためアメリカ潜水艦により続々日本は輸送船や商船を沈められ補給不足に悩むことになる。はずだった。
しかしそのアメリカの潜水艦が放った魚雷の不発弾は数多く、中には一〇発撃って一発も作動しないということもあったという。そのため被害は微々たるものだった。
アメリカ海軍がこうしたことをしている最中、フィリピン方面のアメリカは追い詰められてコレヒドール要塞に立てこもっり戦闘を続行していた。日本軍に多大な損害を与えたが一五センチ榴弾砲だけで二〇〇門を数える砲撃により甚大な被害を被る。遂には4月2日降伏した。指揮していたマッカーサーは「アイシャルリターン」と言葉を残して潜水艦で逃げていった。
4月7日 この日高速輸送船が今あるのを含めて七隻が建造された。七隻を全て運用すれば火力はやや不足するが一個師団並みの兵力と武装が輸送できる。だが日中戦争による物資の消耗、アメリカの通商破壊作戦の展開により輸送船の被害の増加が懸念されるようになっていった。これに基づき陸海軍はアメリカ艦隊が動けないということを利用して短期決戦、即講和という方針を貫くことを決定した。
4月10日 上陸しまだ満足なほどにまで陣地を構えれていなかったニューギニアにてF4FとP-38が突如来襲してきた。兵員だけでいえば一万名の陸戦隊と二万名の陸軍がいたが戦闘機は三十六機しか配備されていなかった。敵はその倍近いた。
整備は日ごろから行っているため日本機はいつでも離陸可能だったが、それでも奇襲のために四機が離陸する前に破壊され、離陸した機体も上空から降りかかるようにくる銃弾を避けるのは難しかった。この段階で早くも一〇機を喪失した。
なんとか本調子に入った日本軍は機体を巧みに操り九mm機銃をいつも通り敵の胴体、翼、コックピットなりに照準機をみるまでもないほど接近して撃つが…墜ちない。
確かに白煙は吐いているようだが飛行に問題が無いようだ。驚愕している九七式戦闘機にP-38が機銃で射撃を加える。勘が働いたパイロットは軽やかな動きで交わしたが数機が餌食となった。今度は二〇ミリ弾を撃つ。だが弾道性能があまりよくないため当てられたのはわずかだった。だが命中弾をうけた敵機は握りつぶされたように潰れて墜落していった。だが多勢には適わず後方からきた爆撃隊に攻撃を許した。
兵舎は機銃で穴だらけにされ木片となり崩れていき、カバーされていない弾薬庫を20ミリ機銃が襲い、弾薬庫もろとも吹き飛ばした。対空機銃をあわてて打ち出した兵士を爆風で地面に叩き付けた。
三〇分たらずで襲撃を終え敵は帰路に入った。そこには無残に壊された廃墟同然の基地と凸凹の滑走路があった。兵士達は自分たちは死と隣り合わせにあることを実感し、救助作業や復旧作業を焦点の合わない目をしながらどんよりと行っていた。
破壊された九七式戦闘機は二八機に及び、残る八機の内一機が使用不可だった。一応人命を重視した設計(日本としては)をした九七式戦闘機は三六名中二〇名をが生存していたが、一六名の熟練パイロットを失った。対して敵の損害は一八機だった。
「敵が航空機で来たのなら航空機で返り討ちにすればよろしい。いまこそ強力な我戦艦二隻で援護しつつ空母を中心とした艦隊を編成したほうがよい」と山口と山本は嶋田長官に対し意見を述べた。それに加え「海防艦を大量に作成し輸送船などの安全を今後は確保すべき」ともいっていた。
それに対し豊田は「いや航空機で戦艦を撃沈できたのはネルソンだけではないか。いまのところアレしか撃沈できておらず、あれは単なる偶然ではないか。おまけにあれは旧式戦艦といっても差し支えない。速力も遅く防御力も低く対空兵器もあまり装備されていないではないか」事実500キロ爆弾が貫通した話は有名である。また対空兵器はこの時代では一般的だが確かに少ない。
「今後も対空兵器は進化を遂げる。航空機では戦艦に太刀打ちできない」
「話がずれている。大艦巨砲主義だの航空機主義だのこの際関係ない。敵の撲滅についてだ。率直に言うとニューギニアに戦艦を移動させ敵の脅威を払いのけ、いっきに制海権を握るというものだ」と嶋田が反論した。
「つまり長官は航空機はいらないとおっしゃるのですか」米内が質問した。
「戦略のの段階ではな。そして豊田が言ったとおり対空兵器を現存の艦に装備させれば敵機も寄り付かなくなるだろう」と嶋田は言った。
「では燃料のほうはどうします?」山口が聞くと「それこそ君達が言った航空機で運べばよろしい。輸送用の機を開発してな。もちろん水上艦にも働いてもらう」
「そこでございますが、その水上艦に護衛をつけて輸送の安全を…」と言ったところで「潜水艦のことか?大した脅威になってはいないでは無いか。そもそも彼ら(アメリカ兵)の生活環境ではあのような狭い空間での生活は無理だろう」と嶋田は笑みを浮かべながら口にした。
その後も会議が続き結局護衛戦力はおろか空母増産計画も見送られたままで最前線に水上艦集結させるとのものだった。
長崎の造船場で建設されていた戦艦越後の二番艦の就役が決定した。その名は飛騨。訓練は既に行われており戦艦飛騨は後一ヶ月で前線に送られる予定だ。
4月14日 堂々たる姿で波をける連合艦隊の姿がそこにあった。編成は戦艦「長門」「伊勢」「日向」の三隻。他には駆逐艦が四隻、高速輸送船七隻が物資を満載し一六ノットの速力で航行していた。
この輸送船の中には復旧用の道具、戦闘機、弾薬そして増員として、歩兵第二一六連隊、山砲兵第三三連隊及び衛生兵一〇〇〇名だ。
こうして来たるべくしてきた4月17日 〇九〇〇
高速輸送船の陸揚が行われた。九七式戦闘機九機、九六式艦戦一二機、九七艦攻二四機である。高射砲は最新鋭のものだった。八八ミリ砲である。五〇門につき二〇〇発程度だったが、十分な火力になりうる。
また歩兵隊の装備は新型の九八式歩兵銃だった。銃身を一メートルにまで切り詰めた後、九ミリ弾を連射可能だったが、そんなことをしていればすぐに弾が不足するのは目に見えている。そのため一発撃つごとに、ロックがかかるようにされており一回一回引き金を引かねばならない仕様になっていた。
しかしそれでもかなりの高性能な銃でありマガジンは一〇発と二二発の二種類がある。有効射程距離は一〇〇〇メートルを超えており貫通力も従来の三八式歩兵銃より格段にあがっている。
そのころヨーロッパ戦線ではドイツが仏、英にたいし宣戦布告。一七〇個師団でフランス国境に進出した。ドイツ空軍はBf109で制空権を取り、ハインケル He 111が上空から爆弾を投下しそこに戦車が突撃し、砲兵がかく乱させるという電撃作戦を展開しフランス軍をダンケルクに追い詰めた。イギリス海軍はヨットまで利用し撤退作戦を開始した。さらに上空には航空機300機を展開した。双方多大な被害を出しながら三〇万名が撤退していった。兵器と違って人間は簡単に作れないためイギリス軍の判断は正解だったといえよう。
ポートモレスビー方面のアメリカ・イギリス軍は実に陸軍二個師団を配置していた。 そこにP-38戦闘機や新鋭爆撃機B-17が総合で120機近く配置していた。この部隊の殲滅は決して容易ではない。だが、容易でなくても突破しなくてはならない。島伝いに九七式戦闘機を三〇機と哨戒機二機、九七式重爆撃機六機が続々とニューギニアの滑走路へ足をつけ着陸してきた。
陸では南海支隊と歩兵第二一六連隊が陣地を突破するため森林を突き進む手筈になっている。そして九七式戦闘機を中心として上空警戒を行う。また山砲兵第三三連隊の八八ミリ砲の支援を貰いながら、一三〇〇〇名ほどの日本兵はスタンレー山脈を横断していった。
スタンレー山脈とは正式名所オーエンスタンレー山脈といわれ4072メートルという標高を持つ。
4月20日 ポートモレスビー総攻撃の準備が急がれていた。長門型戦艦と伊勢型戦艦の計三隻はポートモレスビーを目指し南へ進んだ。またアメリカ軍の奇襲を受けながら進んでいた日本陸軍もいつでも攻撃できる状態にあった。
この補給を可能にしたのは大八車だ。大八車とは日本で荷物の輸送に使われていた総木製の人力荷車である。江戸時代から使われているものだ。人力での輸送で小回りが利き重量が少ないためこういう場所の輸送にはもってこいなのだ。
駆逐艦四隻が四角形を作成し中心に戦艦を配置した陣形で航行を開始した。
〇〇〇〇 「長官 後30分ほどで砲撃地点に付きます」と徳永栄大佐へ幕僚が言うと「そうか」とどこか満足そうな顔で前を見ていた。
その時だった爆音がしてきてピカリときらめく物があった。オレンジ色を帯びた赤色の火線が銃声をなびかせている。「
直後、背中に凍る寸前の冷水をぶっかけられたような寒気を覚え武者震いをした。
「アメリカ機です」「2時の方向から戦闘機と雷撃機接近」「何!?」敵が気付いたのか。
「対空戦闘開始」「左40度 仰角10度 2000」一気に高角砲が一気に咆哮し、空中に黒煙が吐き出され数機が海中に落下した。「副砲を海面に撃ち敵の進路を妨害しろ」艦長の命令どおり副砲に俯角がかけられて一気に左側の副砲が咆哮した。巨大な水柱が立ち上り三機が翼をもがれ撃墜された。
それでも三〇機ほどが突っ込んでくる。「取り舵30度!」
伊勢型戦艦には二〇機が襲い掛かってきた。起工してから三〇年ほどの老朽艦ではあるが太平洋戦争のやや標準的な機能であった。
「引き付けろ…よぉし撃て撃て!」空気を切り裂く甲高い音と水面で砲弾が炸裂する音戦闘機の機銃掃射の音、対空気銃の音、高角砲の音が絶え間なく聞こえた。
そのとき長門が被雷した。長門は一度浮いたように見えた。数秒後に急速に右側に傾いた。
「被害を知らせよ」すばやく徳永艦長がよろけながらも命令を下すと
「艦橋中央部に1発命中」という声が伝声管を伝わってきた。その横では1人の男が計器をずっと見ていた。艦橋には船がどれだけ傾いたか分かる計器が付いている。一度、二度…そして「五度傾いています」と言った。
現在長門は速力二二ノットまで低下しつつ回避行動を行っていた。浸水を防ぐための処置が行われるが、いかせん回避行動を行っているのため浸水はどんどん広がる一方だ。
アメリカ攻撃隊は手を緩めない。戦闘機からは小型爆弾が小石のように投下される。第二主砲天蓋に命中した。しかしこれはこれは弾き飛ばされなんの被害も無く茶色の汚れが付いただけだ。弾き飛ばされた爆弾は海中に落下しそこで爆発した。
戦闘は一〇分後には終了した。応急処置もなんとか終了した。
〇一二〇「少々遅れたな。それ仕返しだ」
徳永は参謀長と話ながらモレスビー砲撃を決行した。さすがに陸軍を見殺しには出来ない。「全主砲砲撃開始!!」長門、伊勢、日向が一六インチ砲弾八発、一四インチ砲弾二〇発を一度に吐き出し轟音と共に海は明るくなった。目的との距離は三万メートル離れており攻撃を受ける心配は無い。陸軍の攻撃は後四〇分後だ。
第二次攻撃の準備をしていたアメリカの攻撃隊は滑走路を破壊され司令塔は炎上した。火薬庫は破壊されなかったが半数の戦闘機が鉄くずに変わった。だがB-17という怪鳥が日本艦隊目掛け夜空を駆けた。
〇一五〇 米陸軍の火砲は破壊され一部の兵士はジャングルへ逃げ出した。もうじきで砲撃終了をかけようとしていたその不気味な爆音が聞こえ伊勢がいきなり水柱で囲まれた。 何が起こったかわからないがやられたと感した。だが、水柱が消えうせると伊勢はその姿を見せた。
対空戦闘開始。しかし敵の姿は見えない。
かなりの高度にいるんだなと確信した徳永は高角砲・主砲・副砲ところかまわず仰角を最大まであげて砲撃を開始させた。
不気味な爆弾の落下音がする。至近弾で破片が艦橋の窓ガラスを突き破り閃光が視界を奪った。とにかく回避行動するしかない。
その時日向の第五砲等に二五〇キロ爆弾が命中した。轟!!第五番砲を突き破るとそのまま火薬庫で大爆発を起こした。日向は一度膨張したように見え、一秒後に後部の甲板が弾き飛ばされた。そこから紅蓮の炎が濛々とあがった。
〇二〇〇 日本陸軍が総攻撃を開始した。