拡大する戦火
陸軍が独自開発した新鋭戦闘機が量産体勢に入った。それが九七式戦闘機。
今までにない引き込み足、そして新型機銃九七式九ミリ機銃。これは現在までの機銃よりも強力になっていた。
それを機首に二挺。また機体下方に携行弾数一八〇発の二〇ミリ機銃が装備されている。
夜間型戦闘機も開発され、発動機排気口のやや後方に前向きのライトが装着できるようになっていた。装着は容易で整備兵が必要に応じて変更できた。
その発動機は「興」発動機の最終型になる「興」33型だった。空冷星型複列一四気筒の一一〇〇馬力、前のと比べて燃費がよくなった。
最新の発動機で九七式戦闘機は最高速度が五一五キロ、航続距離がタンク有りで二四〇〇キロにも及んだ。
防弾対策もしてあり背後に一三ミリ鋼板と操縦席の翼の付け根に五ミリ鋼板が備え付けられ鉄線や電気溶質などで翼周辺の剛性が増している。風防は涙滴で背後からの奇襲を避けることができる。その風防は前と後ろが二重の二〇ミリ防弾ガラスとなっている。
防弾燃料タンクでもあり、翼内にしか燃料タンクを置かないことにより操縦席に火が回りにくくしている他、炭酸ガス排出が機体の下についている。爆弾搭載量は攻撃力並みの六〇キロ~二五〇キロ爆弾が二個ずつ積める。
また都内の九六式戦闘機ほぼすべては従来の九ミリ機銃から新型の九ミリ機銃に切り替えられていた。
この日Bー10/2型が一五機東京に向かい不気味な爆音を立て日本海に侵入した空母の甲板をけって飛び出した。
第一八任務部隊 指揮官ウィリアム・F・ハルゼー中将
空母 「ホーネット」
重巡洋艦 「ノーザンプトン」「ヴィンセンス」「ソルトレイクシティ」
軽巡洋艦 「ナッシュビル」
第五二駆逐隊 駆逐艦 「グイ」「グレイソン」「メレデス」「モンセン」「ヴァルチ」「ベンヘン」「ファニング」「エレット」
給油艦 「シマロン」「サビン」
付随艦もあり戦力が増加している。
米軍はB10/2で本土空襲を企てたのだ。B10/2型はエンジン転換で速度・航続距離を延ばしたものだ。
これを日本の哨戒艇が発見し交戦状態となった。
この哨戒艇は漁船改造のオンボロ改造艦で戦闘となれば八ノットの速力で逃げれないし、武装も九ミリ機銃一挺とまともな戦いはできない。紙くずのように沈んでいった。最後に日本に連絡をして…。
九六式戦闘機二四機と最新鋭の夜間用九七式戦闘機一二機が滑走路より慌しく飛び立った。また九六式攻撃機が一二機雷激装備で六機の九六式戦闘機護衛を従えて当海域に向かった。
B10/2型が一五機編成を組んで東京に向かっていた。速度三〇〇キロで飛行していた。
突如三番機の右側エンジンが火を吹いた。外部の装甲がバラバラに吹き飛んで速度を落とし、機首をガクリを下げて海中に降下して行った。「ジャップだ!」
七.六二ミリ機銃計四二挺がバラバラに放たれた。上から下から日本機が乱舞して機銃を浴びせてくる。九七式戦闘機の二〇ミリ機銃は一発あたってだけで致命的な損傷を負う。 二〇ミリ機銃が当たった機体はでっかい風穴を開けられ砕け、幾百の破片になり海に降り注がれた。
一方アメリカ航空母艦は運悪く補足され日本海軍の攻撃を受けていた。
夜間飛び回るような航空隊だ。異常なほどの作戦遂行能力を誇った。
駆逐艦グイに一本と重巡洋艦ノーザンプトンに三本が命中し両方とも数分で沈んでいった。空母は沈まなかったが巡洋艦と駆逐艦を沈められることとなった。
この戦いでの日本の被害は哨戒艦三隻撃沈 戦闘機一機破損 攻撃機一機大破したのみだった。
三月八日 マレー侵攻の日本軍部隊が破竹の勢いで進撃を進めていたころだった。陸軍はフィリピン諸島の侵攻をいよいよ本格的に始めていた。
同時期、陸軍が最近満州地方に盛んに輸送船で兵員や物資を送り届けていた。最初ソ連警戒のための防衛力増加かと思われた。
三月一五日
突如、満州の関東軍六〇万人がなだれのごとく中国領土に侵攻し始めた。政府は中国に宣戦を布告した。。満州に備えられていた三五センチ砲が火を吹き中国軍の防衛網を吹き飛ばした。度肝を抜かれた共産軍が我先にと敗走していった。
一週間前ソ連と黙秘で同盟を結成していた日本軍は、中国侵攻に大兵力を向けた。これにより南方作戦に若干の支障が生じた。全体的に実に二五パーセント以上の兵力を中国侵攻に向けたためだ
上空から陸軍の新鋭戦闘機九七式戦闘機が二五〇キロ爆弾を投下され、我が物顔で機銃掃射を行っていく。新鋭の九七式戦車が突き進み八センチ砲でトーチカ陣地を粉砕した。 火砲の支援の下、日本兵が塹壕に踊りこんできた。たちまち激しい肉弾戦となり近接戦闘が得意な日本兵が優位に立った。
最新鋭兵器を可能な限りつぎ込んだ日本兵に中国軍はなすすべがなかった。日本軍は南京に向かい突き進んだ。
機関銃発射音とともに共産軍がなぎ倒され、後から銃剣を光らせ日本兵が突き進む。空気を切り裂く音と共に地面がえぐれ振動しそれを象徴するかのような爆発音が聞こえる。
火砲や空襲は民家や軍事施設、人、家畜に容赦なく襲い掛かり瓦礫の山が築かれ、あたりには死臭と火薬のにおいが漂っていた。
三月一六日
沖縄を通過して大艦隊が海を進んだ。漁船にのっていた島民は化け物軍艦と呼んだ。
その化け物軍艦とは戦艦越後であり、大艦隊とは以下一六隻だ。
戦艦「越後」「金剛」「榛名」 巡洋艦「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」
駆逐艦「桜」「柳」「椿」 「檜」「樫」「榧」
輸送船「阿蘇丸」「豊後丸」「ふぃりぴん丸」
駆逐艦は旧式で速力も二七ノットしかなかったが改装が行われており二八,五ノットまでに上昇していた。対潜用の駆逐艦として建造されている。
輸送船は高速輸送船だ。この前一隻建造された。この艦隊は速力一六ノットで台湾に向かっていた。
「長官付きました」「うむ」嶋田の姿がそこにはあった。
「全砲門 砲撃開始」台湾近海の海域から戦艦の砲撃音が轟き中国大陸に降り注がれた。
戦艦越後以下の艦隊は一〇分間砲撃した後に、西側の海域に移った。台湾のやや南側の西海域に海南島という島があるのだが、連合艦隊が移ったのはその中間地点である。
その場所とは香港だ。ちなみに最初砲撃していたのは今で言う深山高速道があるところであり越後の四一センチ砲が一二発 二〇センチ砲六〇発が打ち込まれただけだった。
香港に防衛陣地を張っていた共産党軍であったが、対艦陣地などが木っ端微塵に吹き飛んだ。兵士は恐れをなして早くも撤退を開始した。
三月一七日 〇〇二〇 高速輸送船より上陸用舟艇が下りていく。また巡洋艦に三〇〇名ずつ、戦艦に四〇〇名ずつ乗っていて合計七〇〇〇名。
九七式戦車三〇輌と一四〇〇名の工作員 一二機の九六式戦闘機 二〇〇門の火砲等があわただしく揚陸されていった。
中国兵がパニックに陥っているのを尻目に広東を三月一九日に占領した。また台湾では現役兵士一万人を高速輸送船でこの地方に送りった。台湾内陸では義勇兵を駆り立て、台湾独立義勇軍を編成した。
また南方ではアメリカ太平洋艦隊は全滅規模にまで追い込まれているため太平洋は連合艦隊の海といっても過言ではなかった。
日本軍は進行指定いった地区には臨時政府を設立し軍券というものを発行した。これを戦後落ち着いたら、お金と交換するという約束で必要に応じ発行した。
三月二一日 ついに全世界が狂ったことを証明すべくことが起こった。ドイツ第三帝国がソ連と不可侵条約を結びポーランドに侵攻。機構軍団と共に大攻勢に出た。
ヒトラーはやや開戦を焦っていた。理由はアメリカが今まともに動けないと見抜いたためである。そうすればイギリスなども黙っているだろうと考えたのだ。
そもそもヒトラーがポーランドを攻めた理由はポーランド政府一部の領地の併合を要求したのに、ポーランド側がこれを断ったためである。
来るべき時は来た。ポーランドはドイツ軍の火砲で目を覚まし、戦闘機が乱舞する光景を見るなり上空から爆弾や機銃を受け、戦車の砲撃なぎ倒される。一日遅れでソ連軍までもが反対から侵攻してきた。
こうして一ヶ月もたたずにポーランドは壊滅した。ドイツ軍の被害は二万ときわめて少なかった。
三月三一日
日本軍はこの日までにスマトラ、カリマント、ジャワ、ニューギニア、ラバウル、ウェーク島、マーシャル諸島、ギルバート諸島にまで上陸し有利な戦いをしていた。
占拠は時間の問題であった。
造船所では戦艦越後の二番艦と高速輸送船四隻が完成段階にまで来ていた。
同時期に新たな船舶の計画表が作成された。それは小型空母と大型巡洋艦となるものだった。
続々と増強する日本海軍、欧州で戦争が始まる中で日本はどこへ進むのだろうか。