比島攻略作戦
2月17日 マレーで航空隊が大戦果を上げた日の深夜に第一八師団の支隊がコタバルの海岸に上陸を開始したが、英国軍が徴集したインド歩兵旅団の抵抗で被害が続出した。それでもコタバル飛行場を支隊は奪取し翌日にはコタバル市外を占拠した。
第五師団の主力は同時刻にシンゴラから上陸した。タイ軍の反撃は無く近くの飛行場を占拠。
タイは第二次世界大戦に関して中立を宣言していたが、日本はタイを枢軸側の同盟国とすることと、タイ領を経由してイギリス領マレーに侵攻することを意図していた。日本の計画ではすぐにピブーン政権から進駐同意を得るはずであったが、実際には同意獲得までにはしばらく時間がかかってしまった。交渉の間に、少年兵による義勇軍を含むタイ軍及び警察と日本軍との間で戦闘となり、双方で数百人が死傷した。
後にタイは日泰攻守同盟条約を締結した。
さらに第五師団は林などから奇襲をしかけ、ことごとく防衛線を突破していった。
戦艦金剛が比叡が榛名が霧島が大改装を終えた。金剛型戦艦は近代改装を施した。
速力が機関を八万馬力にまで増強して三〇,五ノットにまで上昇し、対空兵器が多々増強された。ホチキス二五ミリ機銃単装が二〇挺が新たに取り付けられた。
主砲は最大仰角を四七度まで引き上げ、副砲は一四基全て撤去し六〇口径の副砲に切り替えた。又他にも各所改装工事が行われ次のようになった。
全長二一二メートル 全幅三二メートル
主砲四五口径三五,六センチ連装砲四基八門
副砲六〇口径一五センチ単装砲一〇基一〇門
高角砲四〇口径1一二,七センチ連装砲六門 二五ミリ対空機銃二〇挺
幅が一メートル増え、排水量も三万トンに達するほどの工事になったが、副砲は非常に優れたもので一五〇〇〇メートル離れた場所でも一〇センチほどの装甲なら撃ち破れるのだった。高角砲は八九式から九十六式四〇口径高角砲に転換された。初速を早くするための取り組みがされており九七六メートル/秒となっている。これにより高度六〇〇〇メートル以内の敵に命中すれば決定的なダメージが得られた。
また高速輸送船の作成に着手した。海軍は輸送船の損失など一〇パーセント程度と捕らえていたため、まともな護衛をつける気はなかった。しかしここで海軍の見積もりが見直される出来事が起こった。それが真珠湾海戦である。真珠湾の潜水艦の奇襲で壊滅的な損失を追った。これで海軍はある程度の武装を持った高速輸送船の建造を要求した。
武装は…そう今回の金剛型から撤去した副砲だ。馬力はそれなりに強力なものにし、スクリューをかなり大型にした。これで得られた速力は通常時に二二ノットが
出せ、満載していても二〇ノットで走行できる。また五ミリ装甲がとりつけられた。副砲は前後に一基ずつ付けられた。また九ミリ機銃連装が二基ある。カタパルトが一基付けられ二機の水上戦闘機が飛ばせる。
これは兵士が二〇〇〇名が乗れた。その分の食料や重砲が一〇門と機関銃が二〇〇挺。 弾薬がフルで三週間持つ程度のものが輸送できる。これが結局七隻建造予定だったが、
今のところ二隻しか起工されていない。さらに海軍は海中スクリュー音の聴音機の作製に力を入れだした。
もっとも運ぶ内容のものも肝心だ。
又今わが海軍には航空母艦が「鳳翔」「赤城」「加賀」「龍驤」「詳鳳」「瑞鳳」「龍鳳」「飛鷹」「隼鷹」の九隻が就役している。
さらに有事の際空母として改装できる豪華客船四隻と高速給油艦二隻を作成している。現在改装中である。これが終われば六隻の新戦力が出来る。これに加え新たな航空母艦二隻が計画終了段階に入っていた。
またマレー沖海戦で航空機は戦艦を沈めれるという事実を知った日本海軍は防御機銃の増設を急いだ。
この日2月20日 日本陸軍は戦車と自転車を駆使し要塞を素早く突破させ迅速に前進し、早くもマレー半島の九割を制圧。今やシンガポール攻略にはいるのも時間の問題だ。
今回海軍の戦艦部隊で改造されたのは金剛型だけではない。戦艦山城である。扶桑がハワイで自沈した後でも、練習艦としてしか使えなかった戦艦だ。これの主砲を全て撤去したのだった。
2月21日 アメリカ軍は真珠湾を塞いでいた戦艦扶桑の残骸を遂に除去した。真珠湾攻撃のためアーネスト・キング元帥は太平洋艦隊壊滅の責任のためハワイ方面陸軍司令官と共に司令長官解任となった。合衆国艦隊司令長官の後任はアーネスト・J・キング大将が、太平洋艦隊司令長官の後任はチェスター・W・ニミッツ少将が大将に昇進して就任した。
アメリカはマレー沖海戦の報告を聞き航空母艦の再設計・予定建造数を増やすこととした。
2月24日 日本の長崎のドッグでは大改装段階に入っている山城がドッグ入りしていた。ちなみに撤去された一四インチ砲は満州の国境に置かれ対ソ連用の砲とされたいた。陸軍は海軍に恩を返そうとしたらしいが結局何もしてないままだ。
山口多門はこの度、南太平洋司令官となった。南太平洋司令官とは新たに作られた職であり、サイパン以南の島を攻略・防衛する際の艦隊長官である。また旗艦を戦艦山城として艦隊を編成することも予定されているが現在は第二艦隊下の第一遊撃艦隊所属となっている。
戦艦山城の最終予定としては機銃を一〇〇門以上高角砲五〇門また艦載機も十機程度が積めれてカタパルトが二基装備される予定であった。また対潜用の水中聴音機を装備しテストするという思惑もあった。
航空隊のほうは九六式戦闘機が普及し始めていたときに新エンジンの開発が進められていた。
馬力は一〇〇〇馬力以上が求められた空冷エンジンだ。またその機体も新しく作成されている。
長崎の造船工廠では新たに戦艦が建造されいた。越後の二番艦である。
2月27日 マレー半島の半分の陣地を日本陸軍は電光石火の勢いで制圧し、戦車隊と自転車の機動性により進撃スピードは当初の計画を上回っていた。日本軍は制空権を全て掌握している今、オランダ・イギリス軍はひたすら南へ敗走し続けた。
2月28日 日本陸海軍は連合艦隊と輸送船によりフィリピン攻略作戦を決行。高速輸送船二隻と駆逐艦二隻がフィリピンに行く。そして二隻より六〇〇〇名の兵士を上陸させ、さらにそれから一時間遅れで通常の輸送船が一五〇隻を投入し、二等駆逐艦一〇隻と海防艦で守りながら合計一五万名を上陸させる計画を立案した。
アメリカ諜報機関はこの行動を日本の暗号解読により事前に知っていた。そのためフィリピンには現在真珠湾に現存していた太平洋艦隊を全て投入していた。
第三艦隊「赤城」「加賀」「龍驤」「詳鳳」「瑞鳳」「龍鳳」「飛鷹」「隼鷹」
第二艦隊
第一遊撃艦隊「越後」「金剛」「榛名」「山城」(一応特型戦艦となっている)
第二遊撃艦隊「長門」「陸奥」「比叡」「霧島」
第一戦隊「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」
第二戦隊「妙高」「那智」「足柄」「羽黒」
それぞれの艦隊に駆逐艦が四隻ずつ付いていた。
(給油艦等を除く)