マリアナ玉砕
最終回詐欺って知ってます?私の癖です・・・。もう文句でも何でも言ってください。いやぁー終わらないんですね。
次回は最終回出来るはずです。本当スイマセン。希望校行くために仕事やめますので辞めたら書きます。それまでどうかお願いいたします。
マリアナ沖海戦での機動部隊の戦いだけに限定してみれば日本海軍の敗北ということになるが、戦いの損害を全体で見ると日本海軍も一方的に敗北を喫した訳ではないのがわかる。
日本海軍は航空兵力の再建に着手した。マリアナ諸島や海戦で航空兵力を消耗していたが本土には来るべきたたきに備え熱心に訓練をしている部隊がいた。
六〇一・六三二・六五二・六五三航空隊であった。いままで海軍は各空母ごとに航空機を所属させ艦長の指揮下においていた。しかしこれでは航空戦隊司令部が飛行隊を直接指揮することができないため、母艦と飛行隊の指揮系統を分離し、全ての飛行隊を統括する部隊として発生させた。
だが、悲劇は起こった。またも被害を受けた飛騨は本土の呉に帰還した。無事これは修理された。
が、とある夜停泊していた飛騨が直所稲妻のような轟音を発し内側から謎の大爆発を起こし呉湾の底に沈んでしまったのである。
その後厳重な調査が行われたが原因は分からなかった。
マリアナ海軍航空隊の全滅に伴いサイパン島の制空権は案の定米軍の手中にあった。グアムからも生き残った航空隊が抵抗を見せたが二〇機撃墜破の戦果をあげた後全滅した。 連日の如くサイパン島に米軍の艦戦の機銃掃射や駆逐艦などの射撃が襲い掛かった。M3/M4戦車も何十輌と揚陸され市街地に展開していた部隊は圧倒的な火力の前に壊滅した。
だが山地に展開していた日本軍は米軍偵察機からは捕らえるのが困難で装甲車両なども入り込めないため掃討が困難で死傷者が毎日増えていった。この状況に激怒した米国は日本軍が潜伏されていると思われる地区を一〇に分割し一地区に対し一日間の連続爆撃を行わせた。
さらにこの時ニューギニアの米軍はポートモレスビーに大型飛行場を完成させていた。そこには多数の機体と陸軍の最新鋭大型爆撃機B-29が配備されていた。
一週間後からはB-29は百機前後でラバウル・マーシャル諸島などを爆撃しまわった。この機体は七〇〇〇キロ以上の爆弾を搭載でき六〇〇〇km以上を航行できるという異常な性能をもっていた。
サイパン島の大爆撃が終了したときにはB-29が三〇〇機新たに補充された。
一〇月半ば遂にサイパン島の日本軍は玉砕した。追い詰められた市民は捕虜にならずに武器を持ち抗戦したり、崖から飛び降りたりと悲惨な最期を迎えることとなった。ここを戦場とすることを決定していたのにもかかわらず市民を逃がす輸送船を出し渋った結果がこれである。
さらにB-29がグアム島奪還の為に大爆撃を行う。サイパン島にも飛行場建設が始まった。
グアム島上陸が一〇月二〇日に開始された。上陸してくる米軍を真っ先に襲ったのはおびただしい砲撃だった。上陸用舟艇が一輌また一輌と吹き飛ばされた。飛び降りるように島に這い上がってきた兵士達に向かって榴弾砲は火を噴いた。銃弾もあらゆる角度から飛び交い、上陸作戦開始後三〇分程度で先頭の歩兵一個大隊が全滅規模の損害を受けた。第二波、第三波と次々米軍は上陸し一個師団がこの日上陸したが米軍は多大な損失を受け一日目はまともに進むことも出来なかった。
中国国民党と満州国と大日本帝国の三国は大東亜協約を締結した。中国国民党は蒋介石が、満州国は溥儀が日本は東条がそれぞれ契約書にサインした。
この条約は三国は不可侵であると共に立場は平等。さらに軍事的に協力し合い将来的には共産主義国家に対し共闘するものであり、経済の一体化・政治の独立を目的としたものである。
これは国民党としては毛沢東の共産政権を崩落させ自分たちが中国を治める目的のために、日本としては国民党に抗日運動を取りやめてもらう事と、中国共産党勢力を国民党と協力して押さえ込ませるのが目的である。満州国はソ連と中国共産政権を牽制するためである。これは関東軍が決めたことであり溥儀の意思ではない。
国民党はビルマでの戦闘で敗北を喫したため素直にこの案をのんだのであった。この大東亜協約の原案は石原莞爾が考え出したものであり、目的としては中国での抗日運動を消し大陸で無意味な消耗をさせないためであった。
一〇月二三日 スターリンの思惑通りソ連と中華人民共和国との講和が成立した。
同日、太平洋ではグアム島の沿岸部の日本軍をようやく駆逐した。まずグアム攻略担当の二個師団の約五万五〇〇〇名の内一個師団を上陸させ、米軍は機械化部隊を先頭に送る事とし、ジープ・装甲車・戦車が続々と揚陸し島の奥地へと向かわせた。
これに対抗したのが日本陸軍の新鋭の九八式戦車である。七五mmモデルと四七mmモデルの二種類が合計で九〇輌が;配備されていた。四七mm搭載車は装甲車を七五mm搭載車は敵戦車に対抗した。偵察機の目から逃れ密林に潜み横を向いて走行する米軍の機械化部隊に砲撃を一斉に浴びせた。
幾十の砲塔が唸り米軍の戦車や装甲車を吹き飛ばした。さらに近くに潜伏していた日本軍が一斉に銃撃を浴びせ白兵突撃を行ってきた。突如現れた戦車と日本兵にそこにいた五〇輌の車両と三〇〇名の兵士はまとな抵抗も出来ずに壊滅した。大至急航空支援を要請したが到着した時には既に全滅していた。
わずか三日で米軍は一五〇〇名の死傷者を出していた。日本側は総兵力一六〇〇〇名中九〇〇名が戦死とかなりの善戦をみせていた。グアム島は完全に洞窟陣地と化しており、簡単には落とせる状況では無いことを米軍は改めて知った。
さらにテニアン島にも上陸した米軍だがここでも激しい抵抗にあった。ロタ島には空爆を行う程度で上陸はあまり行われなかった。この時隠蔽されていた水上戦闘機が一四機が迎撃に上がった。ロタ島はこの空爆に地上でも果敢に抵抗し陸空の両方で艦載機一二機を撃墜し一五機を撃破したが水上戦闘機は全滅した。
テニアン島は平坦な土地であり防衛には不向きであった。上陸三日で兵力半減してしまっていた。
対してグアム島は戦い方によってはかなりの防衛力を発揮することが出来る。米軍は残った最後の手持ちの一個師団を上陸させしらみつぶしに攻撃し続けた。だが密林に入ればゲリラ攻撃を受け、平坦な土地では夜中に大隊規模での白兵攻撃を受けた。おまけに米軍が反撃に入ろうとすれば兵を引いてしまう当て逃げのような戦法を取るため米軍も思うように進撃が出来なかった。
その一ヶ月の間に日本海軍はリンガ泊地で熱心に訓練を続けて良いた。ギリギリの練度で戦闘に参加した戦艦尾張の乗組員も技量が大幅に増加していた。ここは燃料が豊富なため三倍の期間の練習成果があるとされていいる。つまり四ヶ月練習すれば一年分といった調子である。
一方大本営軍令部の作戦課は頭を抱え悩んでいるといった状況であった。ここに至ってはフィリピンを最後の決戦場とするしかないという考えで染められていた。つまりマリアナ・マーシャル・ソロモン・ギルバードなどといった地名は頭の片隅にさえ無い状況であった。
フィリピンに来襲してくる際、米海軍は戦艦の不足を補いきれないだろう。ただし一年海軍の拡張に努めるならその限りではない。だが米軍は既に航空主義に切り替わっているため戦艦が無くても空母があればそれで押してきそうである。
一〇月三一日 国民党軍と同盟を結んだ日本陸軍はビルマとインド方面の通路制圧にようやく成功した。死傷者は二万五〇〇〇名にも達した。実に二個師団近くが全滅規模の損害を受けた。同時に独英の邪魔な部隊を駆逐したことを意味していた。
同日 革新的な艦上機が日本の空を駆けた。「速度は高度五〇〇〇メートルで五四〇キロか、正式採用は確定だな。量産はいつからだ」「一ヶ月後には作業に入れるかと」それは戦闘機ではなく艦上爆撃機であった。
また、海軍は艦爆だけでなく戦闘機も新たな物に一年半前より着手していた。エンジンの作成の遅れが幾分か響いたがようやく試作機が完成した。空冷一三〇〇馬力の空冷エンジン「勲」一一型(一六気筒)であった。オクタン価の低い燃料でも比較的簡単に最大過給圧を上げることができる水メタノール噴射装置というものを装備していた。これにより実質的な出力は一五〇〇余にも及んだ。胴体部と翼を何度も設計しなおし出来た機体は開発陣の予想を大きく上回るものだった。
最高速度は高度六〇〇〇メートルで五九九キロメートルにも達し、航続距離は二二〇〇メートル(増槽タンク有り)。巡航速度三〇〇キロメートルあり、低速時の運動性能は九六艦戦より劣るがとても良好。上昇能力は五〇〇から四〇〇〇メートルまで三分半。
ただし武装は固定式二〇ミリ機関銃(ベルト給弾式)二挺だけである。弾倉は一挺あたり二八〇発で約五六〇発/分で三〇秒のみ可能である。開発側の目標としては一機が一機を撃墜し無事帰還することである。無論玄人が乗れば二機や三機を落とせるかもしれないが三〇秒などいざ空戦となればあっという間である。防弾ガラス(六〇ミリ)、背面一二ミリ装甲を備え高い防弾力ももっている。
一一月に入り関東軍・支那派遣軍より情報が入った。関東軍では満州国境周辺に続々と軍隊が送られてきているとの事だった。確認できただけで二個軍は下らない。支那派遣軍はソ連側と共産党軍の戦線で戦闘が起きていないというのである。
これを受け取った参謀本部・軍令部は混乱した。明らかにソ連が対日準備を進めているためである。総計で四十万もの軍を満州周辺に集め中国共産党軍とは戦闘をしていない。明らかな戦闘態勢である。
そうソ連は中国共産党軍と停戦し同盟を締結。そして対日戦を始める準備をしているのである。
ドイツは東部戦線の建て直しに成功していたが気がかりな部分があった。それはイタリアである。イタリアでは国内で反戦運動が起こっていた。特に南部で盛んに行われており、このままでは北部イタリア・南部イタリアに分割してしまい南部イタリアが対ドイツ国家になってしまうかもしれない。そうなればドイツは南部戦線という第二戦線を抱えてしまうことになる。そうなればドイツの敗色は一層濃くなる。
ドニエプル川を挟んで対峙しいている独ソ両軍は動かなかった。大量の雪に阻まれ戦車隊が思うように進撃できないためだ。
アメリカ大統領ルーズベルトはソ連のスターリンと握手したのはそれから二週間後のことだった。同じくイギリスのチャーチルとも握手を交わしたスターリンは対ドイツ戦が終結しだい日本を攻撃することを表明した。
そのために米英軍は第二戦線を作成することが大事だと発言した。
一二月になり日本にも冬が訪れた。戦況はもはや絶望的になりつつあった。グアム島は敢闘したが圧倒的な火力の前にじりじり押されついに一一月二〇日に玉砕した。
だが米軍二個師団のうち一個師団は全滅規模の損害を受け本国に帰還するという異常な事態まで発生していた。戦死傷者は一八〇〇〇名近くにも達し日本軍側の損害を上回った。島にはまだゲリラ攻撃を続けるものが一〇〇名規模で存在することも分かっており油断できない状態であった。
マリアナ諸島全体での戦死傷者は三万近くアメリカ世論の厭戦気分は広がっていった。
そして遂に一九四〇年の正月が訪れた。
「皇紀二六〇〇年万歳!!万歳!!万歳!!」日本国内は歓声に包まれた。皇紀二六〇〇年になったと国民は日章旗を掲げ、軍は憲兵隊や陸軍を使用し軍事パフォーマンスを行った。 また軍用機が訓練ついてに空を一斉に飛びまわり国民はさらに声をあげ、歓喜のオーラは町を覆った。
一週間後。レイテ湾の上空にて化け物のような大型爆撃機が空を覆い航行していいた。まっすぐレイテ島にむかってきていたその機体はB-29だった。数は二〇〇機。それにくわえ陸軍戦闘機が追随しており九七式・九六式・震電などがバタバタと飛び立つ。だがこの日一〇〇機がようやく迎撃に参加できただけだった。
無論アメリカ側の爆撃機は目標のレイテ島を爆撃することに成功していた。さらに日本機を六〇機撃墜し兵舎・飛行場を粉砕した。
だが米軍の報告の中に一部対空設備に強化された部位ありとかかれてた。また一編隊三機の四隊(一二機)が爆撃を行うが砲火は沈黙しなかったとの事である。それどころか二機が大破し一機は帰還中に墜落してしまったというのだ。
これは海軍のニミッツ大将に伝えられた。ニミッツ大将は部下のハルゼー大将にこれの調査ならびに破壊を任せた。ハルゼーはこれを了承し言った。
「わかりました。しかし長官一つだけお願いします。私に日本の例の戦艦を沈めさせてください」例の戦艦とは越後型のことである。
「ハルゼー君そう細かいことにこだわらなくてもよかろう」とニミッツが言うがハルゼーの熱意に負けこれを認証させた。
ハルゼーは早速越後型戦艦とレイテ湾の謎の地区の調査のため偵察機を飛ばした。
次回予告
外伝(102話)「破られた鎖国」
本編(103話)「海原の砲声」(仮称)
本編(終焉) 「戦艦越後」(仮称)
投稿予定日 3月16日