第27話:因果の断裂 — 運命を拒絶する聖者の指先 —【中編】
「今の回避……前回の睡眠時の『デタラメな重心移動』とは違う。明確に私の刃の軌道を『見て』から避けた、意図的な動きですね。ついにあなたの反射神経が、私のメスを捉えたというわけですか」
(違う! メスなんか見えてない! あなたのメスから伸びてる真っ黒な糸が気持ち悪すぎて、無意識に避けただけ!)
セイマの内心の叫びは届かない。
「素晴らしい。やはりあなたは、意識がある状態でも解剖し甲斐のある特異点だ。……だが、これでどうです?」
スカルペルは空中で体を反転させると、両手の指の間に計八枚のエレクトラムを挟み込んだ。
そして、それらを一切の予備動作なく、同時多発的に投てき・斬撃の複合技として放ったのだ。
「切断の檻」
それは、空間そのものを切り刻む絶対網だった。
八枚のメスが、それぞれ異なる軌道を描きながらセイマを完全に包囲する。
セイマの視界は、自分を貫こうとする八本の太く真っ黒な「結果」の糸で完全に埋め尽くされた。
上、下、右、左、斜め。
どこを見ても、黒い糸が網の目のように交差し、セイマの逃げ道を物理的・概念的に塞いでいる。
先ほどまで「糸がない空間」を探して避けていたセイマだが、今回ばかりは「隙間」がゼロだった。
「無理無理無理無理! 糸が……糸が全部俺に向かってきてる! どこにも隙間がない!! 串刺しになる!」
セイマはパニックのあまり、その場で頭を抱えてしゃがみ込もうとしたが、下方向にも容赦なく黒い糸が張られているのを見て、動きを止めるしかなかった。
「マスター!!」
「おのれ暗殺者! 師匠、お下がりをッ!」
後方で事態に気づいたリナとルッツが、血相を変えて飛び出してこようとした。
リナは白衣のポケットから小型のプラズマ・グレネードを取り出し、ルッツは背負っていた大剣(いつの間に買ったのか、日本刀のような巨大な刃物)を抜き放つ。
だが、二人がセイマの元へ駆け寄ろうと地面を蹴った瞬間。
バチィィィン!!
「きゃあっ!?」
「ぬおぉっ!?」
二人の足元で、青白い放電現象が爆発した。
スカルペルが隠れ里に侵入する道すがら、極秘裏に配置していた「電磁バインド・トラップ」だ。
高圧電流と強力な磁場が、リナとルッツの筋肉を強制的に硬直させ、その場に縫い留めてしまう。
「……観客は舞台に上がらないでいただきたい。これは、私と検体との、神聖な対話なのですから」
スカルペルは一瞥もくれずに冷酷に言い放つ。
彼はすでに勝利を確信していた。八枚の刃が描く軌道は、いかなる超人であろうと回避不可能な幾何学を完成させている。
あとコンマ数秒で、神月木セイマの四肢の腱は正確に切断され、彼はただの「生きた肉塊」として私の手術台に乗ることになる。
絶体絶命。
迫りくる八本の真っ黒な糸の束が、セイマの視神経を焼き切らんばかりの不吉な輝きを放ちながら、網膜に迫る。
死の恐怖。痛みへの恐怖。そして何より、「普通の生活がここで完全に終わる」という絶望。
極限まで追い詰められたパニック状態の中で、セイマの頭の中では、もはや論理的な思考は完全に崩壊していた。
彼の中に残ったのは、ただ一つ、純粋な無の感情。
(――――!!)
その瞬間、セイマの眼は金色に輝きながら、目の前に飛んできた真っ黒な糸がスーパースロー映像となった。そしてセイマの両手の手刀に白銀の閃光がほとばしり、すべての糸を一瞬で切断したのだ。
パギィィィィィィン!!!!
まるで、厚さ数十センチの硬質なクリスタル・ガラスが、巨大なハンマーで一撃のもとに粉砕されたかのような。
この世のものとは思えない、甲高く、そして美しい衝撃音が、隠れ里の山々に木霊した。
「……なっ!?」
スカルペルの無表情な顔が大きく崩れた。
彼の放った八枚のエレクトラム。
それがセイマの肉体に触れる直前。空間に固定されていたはずの「対象を切り裂くという未来」が、ガラス細工のように粉々に砕け散ったのだ。
刃が弾かれたのではない。軌道が逸れたのでもない。
メスそのものが、「切る」という概念的エネルギーを完全に喪失し、空中で推進力を失って、まるで重力に負けたただの鉄くずのように、ボロボロと地面に落下したのである。
一部の刃に至っては、白銀の閃光に触れた瞬間に砂のように風化し、空の彼方へ消え去ってしまった。
「……私のメスが……届く前に『消失』した……!? バカな、エレクトラムの分子結合が解かれたわけではない。物理エネルギーそのものが、何らかの干渉によってゼロにされた……?」
スカルペルは、自分の両手を見た。
彼の完璧な計算式が、脳内でエラーコードを吐き出しながら崩壊していく。
「はぁ……はぁ……。あ、あれ……? 生きてる……?」
自我を取り戻したセイマが、恐る恐る周囲を見渡す。
そこには、先ほどまで自分を串刺しにしようとしていた真っ黒な糸が、すべて綺麗さっぱりなくなっている光景が広がっていた。
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