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第24話:因果の視認 — 張り巡らされた神の糸 —【前編】

「解放の儀」が終わって一息ついた、そのとき、セイマの身にそれは突然起こった。


世界から色が消えたのだ。神月木セイマの網膜に焼き付いていたリナの白衣の白、ルッツの軍服の緑、そして怜の唇の朱色――それらすべてが、まるで古い銀塩写真のように急速に色褪せ、モノクロの階調へと沈んでいった。


「……え? 目が、おかしくなったのか?」


セイマが自らの手を見ると、そこにあるはずの肌色はなく、灰色のグラデーションだけが存在していた。


しかし、絶望する間もなかった。無彩色になった視界の奥から、血管のように、あるいは蜘蛛の巣のように、淡く発光する「無数の糸」が空間を埋め尽くすようにして浮かび上がってきたのだ。


糸は天井から、床から、そして人々の体から伸び、複雑怪奇な幾何学模様を描きながら空間に張り巡らされている。


「……うわっ、何だこれ!? 糸……? いたるところに糸が張ってある! 誰、こんなに糸を張り巡らせたの!」


セイマは驚き、目の前を横切る細い光の線を除けようと右手で振り払った。その指先が、一本の細い糸に触れる。


その瞬間。


「――ッ!」


脳内に、電気ショックのような鋭い「情報」が直接流れ込んできた。それは映像でも音声でもない。


純粋な『事象の確定』としての認識だ。


(……三秒後。真上、三・五メートル。岩の隙間に溜まった一粒の水滴。重力加速度により、僕の鼻先から三センチ右の畳に。温度、十五・四度。……落ちる!)


ポチャン。


数秒後、寸分違わぬ場所に、透明な水滴が落ちて波紋を広げた。


「未来が……視えるんじゃなくて、『こうなるルート』が線で見えるのか!?」


セイマは戦慄した。これが、地神家が数千年の歴史の中で隠し通してきた秘術の極致――「因果の視認」。


あらゆる事象には原因があり、結果がある。そのプロセス、つまり「次に世界がどう動くか」という演算結果が、物理的な光の糸として空間にプロットされているのだ。


これまでは無意識の「幸運」として処理してきた生存本能が、ついに視覚情報という名の「障害物?」へと昇華されてしまった。


「セイマさん、見えますか? それがあなたの運命を、そして世界の進むべき道を示す『糸』です」


背後から、怜の透き通った声が響く。


セイマが恐る恐る振り返ると、そこにはモノクロの世界で唯一、異質な存在感を放つ巫女が立っていた。彼女の体からは、まるで千手観音の後光のように、膨大な数の糸が放射状に伸びている。


だが、セイマが悲鳴を上げそうになったのは、その量ではない。色だ。


怜の胸元から伸びる、綱のような「深紅の糸」。それが、蛇のようにうねりながら、セイマ自身の胸元に、幾重にも、逃げ場がないほど固く結びつけられているのが見えた。


(ま、待って……あの赤い糸、何!? 縁結びなんてレベルじゃない……怜さんの関心が、呪い並みの強度で俺にロックオンされてるってことぉー!?)


さらに視線を左右に泳がせると、事態はさらに悪化していた。


リナからは、まるで電子回路の配線図を空中にぶち撒けたような、緻密で青い糸の束が伸びている。それはセイマの脳細胞の一つ一つを解析しようとするかのように、頭部付近に集中して突き刺さっている。


そしてルッツ・ベルナーからは、戦車を牽引できそうなほど太くたくましい、黄金の糸が伸びていた。それは「忠誠」という名の極太チェーンとなって、セイマの腰回りをがっちりとホールドしている。


「ひいいいっ! 糸が……糸が重い! みんなの執着心が可視化されてて、息が詰まる!! 誰かハサミを! この重すぎる執着心をーー!!」


セイマは発狂寸前で、その「因果の糸」から逃れようと、奇妙でキレのあるステップを踏み出した。


しかし、悲しいことに糸が「見えて」しまう今の彼は、脳が勝手に「最も糸が密集していない隙間の空間」を探して、そこへ瞬間的に体を滑り込ませてしまう。


客観的に見れば、それは「神技」以外の何物でもなかった。


「おおおっ! 師匠の動きに一分の迷いもない!」


ルッツが感極まった声を上げる。


「先ほどまでのうろたえはどこへやら、まるで空中にある『神の障害物』を避けるかのようだ! さすがは師匠、一歩動くごとに宇宙の真理を体現しておられる!」


「決定しました……」


リナはタブレットを操作する指を震わせ、うっとりした表情で呟いた。


「マスターは観測することによって、可能性の海から『正解』のみを釣り上げている。不確定性原理の完全な克服。彼はもはや観測者ではなく、未来を確定させる『因果の特異点』……。ああ、マスター、その足運びをもう一度! データが美しすぎて脳が融けそうです!」


(違う! 俺はただ、みんなの思いが怖いから逃げ回ってるだけなんだってば!)


その時――


「な、なんだ!!」


セイマが不意に叫んだ。


彼の視界に、一本の異質な糸がセイマの背中にくっついていたのだ。

それはリナやルッツのものとは違う、よどんだ紫がかった「黒い糸」。


それはかつて島で彼を狙った殺意の残滓――ドクター・ヴェノンやスカルペルの執念が、時空を超えてセイマを追跡し続けている、いわば「呪いの糸」だった。

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