第19話:酒乱の巫女 — 因果を斬り裂く夜稽古 —【前編】
高級旅館と見紛うばかりの『天の鎖』の離れ。そこで提供された夕食は、まさに絶品の一言に尽きた。
アカデミア・アイランドでの質素な(リナによる過剰に効率化された)食生活に耐えてきたセイマにとって、季節の山菜や脂の乗った川魚、ふっくらと炊き上げられた米は、五臓六腑に染み渡る救いだった。
リナは「和食の栄養バランスと、盛り付けの黄金比。これは視覚情報の最適化による精神安定効果も狙っていますね……」と感心し、ルッツは「これぞ武人の食物! 一粒一粒に魂が宿っている!」と、茶碗を片手に号泣している。
穏やかに過ぎていく宴の席。しかし、地神怜が盃を重ね、その透き通るような白い頬が鮮やかな朱に染まり始めた時。
静かに、そして確実に、事態は「食事」から「生存競争」へと変貌していった。
「セイマさん。お酒は……好き、ですか……?」
「いえ、僕はまだ未成年ですし、そもそも体質的にたぶん無理なので……」
セイマは引きつった笑みを浮かべて答えた。
だが、怜の瞳は、昼間の穏やかで慈悲深い藍色ではなかった。
それは、暗闇で獲物を射抜く肉食獣のような、あるいは妖しく燃え盛る鬼火のような「紅」を帯びていた。
彼女は手に持った一升瓶を「みしみし」と不穏な音を立てて握りしめると、ふわり、と幽霊のような軽やかさで立ち上がった。
「ふふ……。あなたの中に眠る、荒れ狂う『因果の奔流』が……私には見えるのですよ」
その声は、昼間の気品ある巫女の口調とはまるで異なっていた。どこか享楽的で、底の見えない暗黒の狂気をはらんだ、ゾッとするほど艶やかな響き。
セイマの隣で、山盛りの刺身に箸を伸ばしていたルッツが、瞬時にその場の空気が「戦場」に変わったことを察知し、鋭い視線を怜に向けた。
「地神殿……その気配。先ほどまでとは別人のようですな。まるで、戦神が取り憑いたかのような……」
怜は口端を釣り上げ、笑みを深めると、誰もが予期せぬ行動に出た。
「では、皆さま。今宵は特別に、セイマさんのために『夜の特別稽古』を執り行いましょう」
彼女はするりと襖を開け、床の間へと向かう。そして、そこにひっそりと安置されていた一振りの『奉納刀』へと手を伸ばした。
鞘から引き抜かれたのは、部屋の照明を反射し、凍てつくような冷気を放つ真剣。刃文が波打つように幽玄に浮かび上がる、まさしく一国一城にも匹敵する名刀。
そして、触れれば魂まで断ち切られそうな、本物の「凶器」だった。
「……ひっ! ちょ、ちょっと待ってください! 刀!? なんで刀が出てくるんですか!?」
「逃げなさい、セイマさん。捕まれば、あなたの『因果の糸』……容赦なく切り裂いてしまいますから」
怜は酒瓶を片手に、もう片方の手で真剣をゆるりと構えた。
その足取りは千鳥足で、ふらついているように見える。
だが、セイマの生存本能は叫んでいた。
あれは酔拳に近い、予測不能の予備動作。彼女の死角はどこにも存在しない。
「うわあああ! 冗談じゃない! 訓練とか稽古の域を超えている! 殺意! 殺意しか感じないよぉぉぉ!!」
セイマは悲鳴を上げ、障子を突き破る勢いで夜の庭園へと飛び出した。
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