第16話:深夜の執刀 — 夢見る聖者の無意識領域 —【後編】
「……ん、ふわぁ……。リナ? また夜食のプロテイン持ってきてくれたの……? 今度はバニラ味が――えっ!?」
目を開けた瞬間、セイマの網膜に飛び込んできたのは、純白のコートを翻し、八枚の刃物を自分に向けて振り下ろそうとしている「銀色の不審者」だった。
「処置――十文字斬り!」
「(誰ぇぇぇ!? 怖い怖い怖い!!)」
セイマは驚いた表情をしながら、全身の毛を逆立たせてベッドから転げ落ちた。
だが、その無様な「転落」の際、重力に逆らおうと咄嗟に掴んだのが、スカルペルが立っていた場所のシーツだった。
セイマがベッドの下へ落ちる自重によって、シーツが猛烈な勢いで引っ張られる。結果的に、シーツの上にいたスカルペルは完全に足元をすくわれる形となった。
「――くっ!?」
体勢を崩したスカルペル。その指先から放たれた必殺の十文字斬りは、狙いを大きく逸れ、天井のクリスタル・シャンデリアへと導かれた。
ガシャン! という凄まじい破壊音と共に、豪華な装飾が粉砕され、部屋中に星屑のようなガラスの破片が降り注ぐ。
「……ッ、なぜだ! 寝ている時より、起きている時の方がさらに予測困難だと……!?」
スカルペルは驚愕した。
セイマはベッドから転げ落ち、引きつった表情で壁際まで後ずさるという、およそ「強者」とは程遠い回避行動。そのことが、スカルペルの精密な外科的計算を、まるでゴミ箱に捨てるかのようにことごとく粉砕していく。
スカルペルの目には、セイマが壁に背をつけ「来ないでください!」と心臓ドキドキしている姿さえも、『反撃の隙を伺い、相手の油断を誘うために計算し尽くされた高度なブラフ』に見えてしまっていた。
「師匠! ご無事ですかぁぁぁ!! 今、助太刀に参りますぅぅ!!」
騒ぎを聞きつけたルッツが、一階のロビーから天井を突き破るかのような勢いで駆け込んできた。彼は半裸のまま、愛用の戦術ナイフを抜き身で構えている。
「ルッツ……! いいところに!(助けてー、この人本気でヤバいから!)」
セイマは必死にルッツの背後に隠れた。
ルッツは、スカルペルの凍りつくような構えと、部屋の惨状――一歩間違えれば細切れにされていたであろう深い斬痕――を見て、全身に戦慄を走らせた。
「……これほどの『死の領域』の中で、師匠は……寝起きの状態で全てをいなしたというのか。しかも、一滴の血も流さず、パジャマの一枚も切り裂かせずに!」
スカルペルは、冷徹な仮面をかなぐり捨て、忌々しげにメスを収めた。多勢に無勢。何より、自分の論理がこれ以上通じない恐怖が、彼の冷静さを奪っていた。
「……本日の診察は、終了です。神月木セイマ……君という『不条理』、いつか必ず生きたまま解剖してみせる」
スカルペルは、駆けつけたリナのプラズマ砲が火を噴く直前、特殊な閃光弾を炸裂させ、霧のように消え去った。
数日後。マイルズ・キャラウェイはこの事件を聞きつけ、狂喜乱舞しながら記事を書き殴った。
『眠れる獅子の覚醒:聖者セイマ、夢の中で死神を弄ぶ。その寝言は、新たな世界への啓示だった。彼は眼前の死さえも、日常の寝返りで否定してみせた』
一方、研究所のソファでは、セイマはリナに泣きついていた。
「リナ……もう、被験ボランティアとか、島での生活とか、やめてもいいかな? 命がいくつあっても足りないよぉ……。普通の大学生活に戻りたいよぉ……」
「ダメですよマスター。あなたの『日常』を邪魔する不純物は、この私が地獄の果てまで解析してあげますから」
「師匠! 次回は寝ながらの戦い方をご教授願いたい!」と詰め寄るルッツを横目に、セイマは遠い目をした。
彼の平穏な生活への強い願いは、またしても、成層圏の彼方へと消し飛ばされていくのであった。
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