第14話:死神の訪問 — 銀の執刀医は音もなく —【後編】
ついに目的地、セイマの「聖者の休息室」へと辿り着いた。
そこには毒ガス事件の反省を踏まえ、リナが新たに設置した扉。
それは、内部からの気密性は完璧だが、外部からは「マスターが万が一、ピンチになった時にでもすぐ駆け込めるように」という理由で、リナが全力で蹴れば砕ける程度の強度に設定されていた。
「…………なんだ、この不合理な設計は」
スカルペルは数秒ほど、その扉の意図を測りかねて立ち尽くした。だが、エレクトラムの前では、扉の設計思想など何の意味も持たない。分子結合が瞬時に解除され、扉は音もなく内部へとスライドし、崩れ落ちた。
部屋の中は、深海のような静寂が支配していた。
ベッドの上で、セイマが毛布を無造作に被り、すやすやと眠っている。
口元には、先ほど見た夢――おそらく、リナ特性高次元プロテインを飲む夢でも見ていたのだろう――の影響か、わずかによだれの跡がついていた。
スカルペルの義眼が赤く発光し、セイマの体を透過スキャンしていく。
「ターゲット・セイマ。生命反応、正常。心拍数六十八、呼吸数十二。……安定。だが、その内部に秘められた因果律の特異性は、理論上のデータに過ぎない。これを……私のメスで『解剖』し、確定させる」
スカルペルの言葉は、一切の感情が剥ぎ取られた無機質な音の羅列だった。
それは手術室で淡々と進行を読み上げる助手のようであり、死刑執行を告げる断頭台の音のようでもあった。
筋肉の配置、神経の走行、骨格のバランス。
スキャン結果が脳内に投射されるが、表示される数値は「極めて平凡な十九歳の大学生」であることを示している。アスリートのような筋力も、武道家のような反射神経も、そこには存在しない。
「これが、ヴェノン様の計算を狂わせる『神』の肉体……? 愚かしい。ただの、柔らかい肉の塊ではないか」
スカルペルは無表情な顔のまま、指の間にエレクトラムを挟み直した。
彼の目的は、セイマを殺すことではない。その「不可解な挙動」の根源を、生きたまま細胞レベルで解き明かすことだ。
まず狙うは、右腕の腱。
緻密に、一ミリの狂いもなく腱と神経を切断すれば、生体反応を維持したまま、彼の「反射」を司る中枢へと直接アクセスできる。
銀色のメスが、廊下から漏れ出す青白い光を受けてキラリと輝いた。
静かに、確実に。死神の刃が、無防備なセイマの右腕へとゆっくりと向けられる。
「処置を開始します。痛みは……感じさせません」
その声は、深く眠りこけるセイマの耳には届かない。
しかし、その刃が肌に触れようとした、その瞬間。
「んん……。今日は、ちょっと……『イージス・カヅキ』が、重いなぁ……」
セイマの寝息がわずかに乱れ、彼は「むにゃむにゃ」と口を動かしながら、不満げに寝返りを打った。
その、あまりにも無防備で、あまりにも日常的な寝返り。
だが、その動きはスカルペルが計算し尽くした「完璧な手術の軌道」から、わずか数ミリの差でセイマの腕をそらした。
パサッ、と乾いた音がする。メスが切り裂いたのは、セイマの腕ではなく、リナが特注した「防弾・防刃・防臭」仕様の高級毛布の繊維だけだった。
「……ッ!?」
スカルペルの瞳に、今日初めての、激しい動揺が走った。
それは、彼の人生において存在してはならない「イレギュラー」だった。
彼の脳内でシミュレートされた、一ミリの誤差さえも許容しない完璧な手術。
それが、たった一つの「戦闘パワードスーツの夢による寝返り」によって、無残にも中断されたのだ。
スカルペルは、再びメスを構え直す。
セイマは依然として、「苦しいぃぃぃ……」と寝言を言いながら、深い眠りの中にいた。
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