第11話:鋼鉄の居座り — 弟子志願者の忍耐力 —【前編】
演習場での「パニック」から一夜明け。
疲労困憊の神月木セイマは、「聖者の休息室」のソファで死んだように深い眠りについていた。夢の中では、自分がイギルニアの古びたアパートで、安物のプリンを食べている。
そんな、手が届きそうで届かない、ささやかな幸せを噛みしめていた。
しかしその安眠は、一通の不穏な「報告」によって無残にも打ち砕かれることとなる。
「マスター、おはようございます。……非常に申し上げにくいのですが、研究所の正門に、非常に大型の『粗大ゴミ』が放置されています」
リナ・フォン・シュタインの、氷点下すら下回る冷徹な声が、セイマの鼓膜を揺らした。重いまぶたをこじ開けたセイマが、モニターを覗き込む。
そこに映し出されていたのは、地中海の朝日を背に浴びて、軍服姿のまま一歩も動かず直立不動で立ち続ける、ルッツ・ベルナー大尉の姿だった。
「ええ……。嘘でしょ。あの人、本気だったの?」
セイマは頬を引きつらせた。
「彼は昨夜の二十二時から、雨露を凌ぐこともなく、一歩もその場所から動いていません。脈拍、呼吸数、発汗量……すべてが軍の教科書通りに、完璧な省エネモードで制御されています。……正直、美観を損ねますし、非常に邪魔です」
リナが忌々しげにコントロールパネルのボタンを押すと、門に設置された外部スピーカーから、彼女の怒声が炸裂した。
「ベルナー大尉! ここは世界最高峰の知性が集う研究所です。あなたの筋肉を誇示する訓練施設ではありません! 通行の邪魔ですので、速やかにお引き取りを! さもなくば、不法侵入と公務執行妨害で軍本部に報告します!」
しかし、モニターの中のルッツは、瞬き一つせず答えた。その声は、決死の覚悟を持って響く。
「――断る! 私は昨日、セイマ殿の『無言の教え』を拝受した。その真意を我が血肉が理解するまで、私はここを動かん! 排除したければ、戦車でも持ってくるがいい!」
セイマは深いため息をつき、おずおずとインターホン越しに話しかけた。
「あの、ルッツさん……? 弟子とか、本当に無理ですから。僕はただの大学生ですし、昨日のは全部、運が良かっただけなんです。たまたま回避できただけで……」
その言葉がスピーカーから流れた瞬間、ルッツの瞳が「カッ」と見開かれた。
「……運! なんという深淵な言葉か!」
「えっ、何が?」
「己の超絶的な実力を『運』と呼び、天命をも味方につけるその心構え! 謙虚さの皮を被った、圧倒的な自信の表れ! 凡俗な私には、その境地に達するのにあと何十年かかるか……! 感謝する、セイマ殿。これは私に、さらなる過酷な修行を課すべきという啓示ですね!」
ルッツは、背負っていた巨大なタクティカル・バックパック――その中身は、全て「自重トレーニング用のおもり(計三十キロ)」だった――を担ぎ直し、その場で猛烈な速度のスクワットを開始した。
「違う、そうじゃないんです……! リナさん、なにかいい案ないですか? このままだと彼、正門前に住み着いちゃいますよ!」
「お任せください、マスター。……防衛用散水システム、最大出力。さらに冷却水をケルビン温度223.15K(摂氏マイナス五十度)まで急冷します。氷の彫像にして差し上げましょう」
門の前で、ルッツに「猛烈な極低温冷水」が浴びせられる。
しかし、ルッツは凍りつくどころか、歯を剥き出しにしてニヤリと笑った。
「……ッ! 寒冷地訓練ですか! 私の脂肪燃焼効率と精神力の弱点を見抜いているとは、流石だ! やはりセイマ殿は、私の魂を導く真の師だ!!」
ルッツの周囲で水が凍り、氷のつぶてが彼を打つが、彼はそれを「マッサージ」であるかのように受け止め、スクワットの速度をさらに上げた。
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