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9. 厄介なラブホの客たち - 2


 抱きつかれた時の感触が忘れられない。普通の男同士のハグとはまったく違う。手の回し方や位置、それから密着度。どこか慣れていた。いつもああやって、友達にも体だけの相手にも抱きついたりしてるんだろうか。


「飛間、電話」


「あっ」


 三沖に肩を叩かれるまで、ボーっとしていて電話に気付かなかった。電話の小さなパネルに表示された部屋番号を確認し、急いで受話器を耳に当てる。


「フロントでございます」


「あ、すいませーん。ちょっときてくれないです?」


 若い女の声だった。特徴がある舌っ足らずな喋り方から、爪の長いギャルの姿が頭に描かれる。


「何かありましたか?」


「なんかあ、お湯がたまらなくて」


「……承知しました。今からお伺いします」


 風呂のお湯なんてボタンで入れればいいだけの話だが、たまに説明しても分からない人が居る。こういう生活音痴には電話でいちいち説明するより、行って自分がやったほうが早い。


「なんだって?」


「風呂のお湯ためたいんだと。ちょっと行ってくる」


「おう」


 三階まで階段を駆け上がり、301号室の呼び鈴を押しながら外扉を開ける。


「すみません、客室係ですが……」


「あ、きたきた。すいませーん」


 焦茶色の緩く巻かれた髪と、バサバサの長いまつ毛。谷間を見せびらかすような胸元が開いたキャミソール。想像したよりもギャルっぽい外見の女が、体をくねらせながら内扉を全開にした。


「風呂のお湯ですよね。中に入ってもよろしいですか?」


「え、お兄さんかっこい〜」


「……はい?」


 わざとらしく頬に手を当てて恥じらう。その動作とは反対に、視線で俺の顔から足先までなぞった。品定めをされた気分だ。


「ねえあっくん! 今日三人でしない?」


 ギャルが部屋の奥に向かって声を張り上げた。おそらくベッドに居るであろう男の、心底ダルそうな声が返ってくる。


「なにー、スタッフ? いいんじゃね」


「いいって! お兄さん一緒にエッチしよ?」


 ──こいつ何を言ってるんだ?

 唖然と立ち尽くす俺の手をギャルは両手で握った。早く早く、と強い力で部屋の中に引きずり込まれる。


「え、ちょ、ちょっと」


「ねえあっくん見て。かっこよくない?」


 ベッドの上でスマホを弄っていた男と目が合った。左腕にみっちりと刺青が入っていて、ガテン系っぽい浅黒い顔。口周りには髭がある。

 明らかに柄が悪そうな男は、ニヤニヤ笑いながらギャルの腰を抱き寄せた。流れるように彼女の尻を揉む。


「ひ弱そうじゃん」


 驚きや呆れ、そして“たかがラブホ店員だ”と舐められていることに対する怒り。それらが綯い交ぜになって、視界が狭くなる。立ちくらみを起こしたようだった。


「……すみません、仕事中ですので。お湯入れておきますから……ごゆっくりお過ごしください」


「えーつまんない」


「仕事なんだから仕方ねえじゃん。んなことより早くやろうぜ」


「失礼します」


 背を向けて浴室の前に移動した時、むせそうなほど部屋が煙草と香水の匂いに包まれていることに気づいた。

 ──早くここから出なければ。

 浴槽に栓をしてお湯張りのボタンを押し、部屋から飛び出す。数分の出来事だったが、全身にびっしょりと汗をかいた。


「はあ……なんだよ三人でって」


 スタッフを混ぜてやろうとするなんて、どうかしてる。知らない人とやったら病気のリスクも上がるだろうし、そもそも汚いとかそういう衛生観念はどうなっているんだ。

 何一つとして理解できない俺がおかしいのか?

 鼻の奥に残った匂いにうんざりしながらフロントに戻る。三沖は振り返って不思議そうな顔をした。


「なんか遅くなかった?」


「……襲われかけた」


「は!?」


「いや、なんというか。ギャルに三人でエッチしようって誘われて」


「やば……そんなエロ漫画みたいなこと起きるんだ」


 意外にも笑われなかった。混ざってくれば、などと冗談を言われると思っていたのに。


「体が煙草と香水臭くなった」


「仕事じゃなかったら参加した?」


「え? いや……しないけど。複数でやるとかあり得ないし」


 三沖は唇を尖らせながら、ふーんと頷いた。俺の返答に不満があるみたいだ。

 沈黙が気まずい。この件に興味がないという感じではなく、かと言って突っ込んで聞かれるわけでもない。こいつは今、何を考えているのだろう。


 休憩から戻ってきたあとも、空気は冷たいままだった。今日から三日間もこいつとシフトが被っているのに、ずっとぎこちないのは正直困る。


「最近どう? し、就活とか」


「普通」


 会話を広げるつもりもないらしい。三沖はスマホも見ず、ただジッとモニターを眺めているだけ。

 ──暇なんだから、少しくらい会話してくれてもよくないか?


「なあ三沖」


 なんか怒ってんの、と聞こうとした時、ちょうど退室のブザーが鳴った。301号室だ。

 支払いが終わっていることを確認している間に、エレベーターが開いた。さっきのギャルと男が下品な笑い声を立てながら出てくる。


「火消し行ってくる」


「いや。俺が行く」


「じゃあ……」


 開きかけた口が止まった。小窓からギャルが顔を覗かせたからだ。


「あのぉ」


 目が合った途端、女は眉を上げて微笑んだ。


「あっ、いた!」


「え」


「ね、今度エッチしようよ。お兄さん超タイプなんだ」


「はあ……?」


「イシスタ交換しよ~。DM送るから」


 俺の返事も待たず、ギャルはピンク色の長い爪でスマホの画面をカチカチつついた。一個も投稿がないのに、何故かフォロワーは千人もいる。こうやって手当たり次第に声をかけて繋がりを作っているんだろうな……と勝手に納得していたら、三沖がぐいっと小窓に顔を近づけた。


「お客様、うちそういうの禁止されてるんですよ。オーナーにも怒られます」


「え~! でもめっちゃタイプなんだもん」


「すみませんが、カメラで監視されてますので。ご遠慮いただけますか?」


 ピシャリと言い放たれた言葉に、笑顔だったギャルの顔が強張る。まるで鎖の繋がれていない狂犬に吠えられたみたいだった。


「じゃあ、また会ったら声かけるね。お兄さんバイバーイ」


「……ご利用ありがとうございました」


 現実味のないことばかり起きていて、なんだか夢の中みたいだ。そんなことを考えながら頭を下げる。

 ギャルが去ってすぐ、三沖が振り向いた。血走った目で睨まれる。


「なんでギャルにモテてんの」


「いや、モテるって言うか……」


 自分の好みだからと、連れてきた人を含めて性行為をしようだなんて相当イカれてる。俺と彼女の貞操観念は対照的だ。あの人はただ、好みだと思った人を気軽に誘っているだけ。三沖の言い方だと、まるで俺が告白でもされたみたいじゃないか。


「あの人に襲われたんだよな」


「うん、まあ」


「どんな風に?」


「え、あー……一緒にエッチしよ? って言われて、手掴まれて部屋に……」


「されるがままじゃん」


「でも断った」


「そんなの当たり前だろ」


 三沖の顔が怖い。いつもは子犬のような人懐っこさがあるのに、今はその欠片もない。

 何故こいつはこんなにも怒っているのか。たしかにフロントに顔を出されたのは迷惑だったと思う。でもそれ以外に、三沖の不利益になるようなことはなかったはず。


「……なんか怒ってる?」


「別に怒ってねえよ」


 言葉と真逆の顔で溜め息をつかれた。

 考えても理由が分からない。ギャルに好かれたことが癪に障ったのだとしても、俺は誘いを断った。連絡先も教えなかった。それで調子に乗ってると思われるのはおかしい。


「……やっぱ俺、火消し行くよ」


「飛間」


「え?」


「お前の女のタイプってなに」


 いきなりなんだ?

 普段そういう会話はあまりしないのに。今日の三沖は少し、いや、かなり変だ。

 立ち上がりかけた体を再び椅子に戻し、好きなタイプについて腕を組んで考えてみる。急に言われてもパッと思いつかない。


「えっと……なんだろうな。喋ってて楽しい人とか」


「そんだけ? 顔とかは?」


「顔は別に気にしない。俺は人見知りだから、楽に話せる相手がいい」


「ふーん」


 三沖に同じ質問をしたところで、どうせ愛流みたいな容姿だと返ってくるだろう。普段の生産性のない会話は好きだけど、この会話は特に意味がない気がする。


「さっきの女はタイプだった?」


「いや、全然」


「そっか」


 神妙な面持ちで二、三回頷いた彼は、「火消し行ってくる」と言ってフロントを出て行った。


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