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7. ラブホに三沖が来た


 フロントの早番には、五年前から週六で勤めてきた超ベテランの岸友子(きしともこ)というスタッフがいる。背が低く丸っこい体型で、顔が某女性芸人に似ている妙齢の女性。時間帯が早いからシフトが被ることは少ないが、たまに土日に出勤すると確実に会う。そして会うと必ず、


「飛間ちゃんっ、今日も元気?」


 と激しく肩を叩かれる。このラブホで一番、やる気と活力に満ちた人だ。

 今日も俺が出勤した途端にバーッと喋ったかと思うと、オーダーと火消しを同時に行ってしまった。こちらとしては楽できるから良いが、元気すぎるあまりそれが少々鬱陶しく感じることもある。


「シフト被るの久々だねえ」


 来館とオーダーが落ち着いた頃、水筒に入ったお茶をコップに注ぎながら友子さんが呟いた。


「そうですね」


「お茶、飲む?」


「いえ……自分の水あるんで」


「飛間ちゃんは大学生なのに落ち着いてるよねえ。他の子はさ、ステバのカップ持ってきたりしてるよ。隠れてお菓子食べたり。まあ年相応だけどね」


 そんなに美味しいのかな、と彼女は顔を顰めた。


「そう、なんですね」


「大学は? テストとかあるの?」


「あ、はい」


「おばちゃん大学行ってないからさ、どんなもんか分からないけど。大変なんでしょ?」


「まあ……はい。こっから就活とかなんで」


「じゃあ忙しくなるね! そういえば三沖さんと同い年だっけ? あんまりシフト被らないから顔忘れちゃった。なかなか可愛い顔してたよねえ」


 三沖は土日には滅多に入らない上に、中番もやりたがらない。友子さんに会ったのも最初の数回くらいだろう。

 “可愛い顔”という言葉が引っかかって返事につまずく。俺がそんなこと言ったなんて知られたら、間違いなく本人に揶揄われるだろうと思った。


「やだ、飛間ちゃんもカッコいいよ」


 なにを勘違いしたのか、友子さんは笑いながら俺の背中をバシッと強く叩いた。別に褒めたことに嫉妬なんかしてないが、とりあえず自分も笑っておく。


「二人とも、彼女いるの?」


「あ、俺は……いないですけど。あいつは分からないです」


「そうなんだ。三沖さん遊んでそうだよねえ。ああいう可愛い男って一番性欲強いのよ、あたしそういうのわかるから」


「はあ」


 三沖が遊んでいるかどうかは知らないが、見た目だけで決めつけるのは如何なものか。自分だって子供産んでそうとか、亭主関白な夫がいそうとか裏で言われたら腹を立てるはずだ。


「若い頃はあたしもよく騙されたよ」


「……なにかあったんですか?」


「聞きたい?」


「いや、まあ」


「三十年くらい前だったかな。勤めてた会社に、アイドルみたいな可愛い顔のイケメンがいてね。若い頃はあたしも痩せてたし綺麗だったから積極的にいって付き合ったの。そしたら浮気するわ、財布からお金取るわ」


「それは酷いですね」


「ひどいなんてもんじゃないよ。色んなのと付き合ったけど、見るからに男っぽーい顔した人より、意外とああいう男が一番浮気しやすいの」


 ふと、三沖の元カレが来館した日のことを思い出した。『遊ばれた』とあんな顔で笑っていた奴が、同じようなことをするとは考えられなかった。ただ友子さんは経験からそう言っているのだから、わざわざ否定する必要もないだろう。


「……俺はどんな風に見えます?」


「飛間ちゃんは真面目だね。浮気はしないでしょ。遊ぶような人でもないし。彼女に一途」


「それは当たってます」


「でしょ!? やっぱり分かるんだよあたしは」


「性格知ってるからじゃないんですか?」


「いやいや、見ただけでわかる」


 友子さんはそう言って誇らしげに笑った。

 ──チリチリチリ。

 ベルが鳴り、二人の男が入ってくる様子がモニターに映る。彼女はあからさまに眉を寄せた。


「また男同士。昨日も何組か来たよ」


「結構多いですよね」


「そういう時代なのかねえ。あたしはわかんないけど」


 ──なんでそれは分からないんだよ。

 三沖がゲイだと知った日には卒倒しそうだ。セクシャルマイノリティに理解がないのはまだいいとして、当事者がいるかもしれない他人の前で言うべきではない。

 男達は一番料金が高い部屋をすぐに選び、小窓に近づいてきた。


「よっ、ひーくん」


 小窓から、三沖がひょっこりと顔を出した。


「……え?」


 一瞬なにがなんだか分からなかった。ぽかんと口を開けた俺に、彼は誂うように笑い声をあげた。


「あらっ、三沖さん?」


「岸さんお疲れさまです」


「どうしたのっ」


「部屋、従業員割で安くしてほしくて。たしか割引ありましたよね」


 彼の隣には背が高い男が立っている。三沖と違って屈んでないから、ここからではハッキリと顔は見えない。

 パニックに陥ったのは俺だけじゃなかったようで、いつも饒舌な友子さんが「あ、あ」と言葉を詰まらせた。


「飛間? よろしくな」


 三沖がニコッと笑いかけてくる。それから俺らの返事を待つこともなく、男の腕を握った。


「行こう」


「まじで割引にしてくれんの?」


「んー、たぶん」


「ラッキー」


 エレベーターに乗った彼らを、モニター越しに呆然と見つめる。

(まさか三沖が客として来るなんて……)

 これからあいつは、このラブホで男と寝る。

 もしかしたらオーダーが入って、俺が行くことになるかもしれない。二階だから喘ぎ声が聞こえてくるかもしれない。

 止まっていた思考がゆっくりと動き出す。それと同時に、胃のあたりが凄まじい不快感に襲われた。吐きそうだ。気持ち悪い。今すぐここから出たい。


「三沖さんって、男が好きなの?」


 友子さんの問いかけに答えられなかった。というより、答えたくもなかった。見たら分かることを、なんで俺がいちいち説明しなきゃいけないのか。


「……すみません。休憩……って、俺今から取っちゃダメですか。なんか吐きそうで」


「大丈夫!? 休憩はいつでもいいから休んできて」


「ありがとうございます」


 手で胃を擦りながら、駆け足で建物の外に出た。周辺にあるのはコンビニかファミレス、商店街。漫画喫茶みたいなちょっと休めるところはない。

 どこに行くか彷徨った結果、ラブホの裏にある駐車場の隅に行き着いた。まだ昼間だから他人の視線が気になる。柱の影に身を屈めた。


「はあ……」


 白い息が立ちのぼる。上着も忘れて飛び出したせいで肩が震えている。俺は誤魔化すように手のひらで両腕を摩った。

 ──三沖は、好きな人がいると言っていた。つい最近のことだ。

 一緒にホテルに来たあの男がその人なのか?

 もしそうなら、告白して成功したのか?


「……わかんねえ」


 あれが三沖の好きな人なのか、そうじゃなかったらこれから寝る相手が誰なのか、俺には関係がないことだ。なのに何故ショックを受けている?

 友達のそういう姿を想像するのが嫌だから──というのは違う。だって三沖が抱かれるほうだと知ったとき、嫌悪感はなかった。自分の知らない世界が少し開けたようで、むしろ俄かに心が湧き立った。

 友子さんの言葉が頭を過ぎる。知らないだけで、三沖は遊んでいるのだろうか。だったらなんだ?

 蹲ってぐるぐると考え込んでいるうちに、段々腹が立ってきた。

 ──いくら割引になるからって、仲良い奴がいる日にわざわざ来るなよ。せめて顔を見せるなよ。

 ため息を吐いて立ち上がる。長時間屈んでいたせいで立ちくらみがした。

 自然と足が建物の中に進んで行く。


「あら、忘れ物?」


「すみません。あいつが……三沖が入った部屋って203でしたよね」


「うん。なにかあった?」


「今日どうしても話したいことがあるの忘れてて、あいつ宿泊だから……俺退勤したら、会えないじゃないですか。今ちょっと行ってきたらダメですか」


「そっかあ、うーん。本人が良ければいいんじゃない?」


「……行ってきます」


「終わったらちゃんと休んでね」


「はい」


 こっそり予備のマスターキーをポケットに入れた。

 これを使ってどうこうしたいとか、するつもりはない。ただ行って呼び鈴を押しても出て来なかったら、外扉を開けて──それで、どうする?

 きっと三沖は困惑するだろう。いきなり現れた俺に性行為を邪魔されたら。


「あー……どうしよ」


 思わず声が漏れた。階段を上がりながら、自分は今から何をしようとしてるのかと疑問に思った。

 冷静な頭とは裏腹に体は制御が利かず、どんどん三沖のところへ近づいて行く。そして呼び鈴のボタンに指が導かれた。

 ブブー……ブブー……。

 何度か呼び鈴を押しても出てくる気配がないことに焦れて、ついにマスターキーに手が伸びた。外扉をゆっくり開けると、白い内扉が目の前に立ちはだかった。


「三沖」


 名前を呼んだ瞬間、ハッと我に返った。こんなことしていいはずがない。いくらバイトで仲がいいとはいえ、相手のプライベートに首を突っ込むなんて。

 踵を返そうとする前に、内扉が開いた。出てきたのは三沖だ。


「え、なに?」


 下着一枚だけ身に着けた格好。そして、いつもきちんと綺麗にセットされているはずの髪の毛が乱れている。

 それがどんな意味を持つのか、性行為の経験がなくても容易に想像のつくことだった。


「あ……」


「てかなんで来たの。俺オーダー出してないよな」


「あー、えっと」


 三沖の冷ややかな視線に突き刺され、顔を伏せる。金を払って買ったこの時間を無駄にされたら、誰でも怒るに決まってる。果てしない自己嫌悪に襲われた俺に向かって、三沖が怠そうに口を開く。


「なんか用」


「……一緒に来たのって、好きな人?」


「違うけど……なんでお前にそんなこと言わなきゃいけないの」


「好きな人いるのに、他の人とすんの」


「そうだよ。なんか問題ある? 性欲は嫌でも溜まるじゃん。好きな人と付き合えるわけでもないし」


「……でも」


 三沖が言ったことは間違ってない。性欲をどう処理するかなんて人の自由だ。俺が口を出す権利など、どこにある。彼氏でもあるまいし。


「もしかして、羨ましい?」


「え」


「俺がそういうことすんの」


 予想外の言葉を投げかけられ、頭が真っ白になる。

 ──羨ましい?

 ──何が、誰に対して?

 意味が理解できずに固まっていたら、三沖が一本前に足を踏み出した。蜜柑のみずみずしい香りにふわっと包まれる。


「今度、俺が筆下ろししてやろうか」


 目の前にある整った唇が、艶かしく弧を描いた。


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