6. ひーくんと鉄司
その日、なぜか三沖の代わりに鈴谷愛流が椅子に座っていた。掃除担当の愛流がフロントに入るのは珍しい。
「あれ? 三沖は」
パソコンで打刻のボタンを押して服を着替える。愛流は怠そうに首を回しながら、肩を竦めた。
「遅れるからちょっと代わってって言われた」
「まじか。寝坊でもしたんかな」
「昨日サークルの飲みで二日酔いだって」
「めず」
あいつは前に、酔いやすいからあまり飲めないと言っていた。セーブして飲んでいるのだと。二日酔いになるほど飲むなんて初めてじゃないか?
「てか飛間、ゲイカップルの喧嘩止めたんでしょ」
「まあ……」
「三沖が惚れ直したって言ってた」
「え!?」
「あ、惚れ……じゃなくてなんだっけ、見直した? てきな」
「なんだ」
──いや、なんでガッカリしてんだよ。“惚れ”のほうがよかったって一瞬でも思ってしまったのが恥ずかしい。
「もしもし? どした」
目を離した隙に愛流がスマホを耳に当てていた。どうせこいつのことだ、女性関係に決まってる。普段より鼻にかかった甘い声が癪に触る。
「え〜、忘れちゃったんだ。じゃあ今日も俺んち来る?」
呆れた。相変わらず愛流の性生活は乱れているらしい。いくら女子受けしそうなイケメンで背が高いからって、さすがに遊びすぎだ。まだ大学二年生でこれなら今度どうなってしまうのか。
うんざりする会話に耐えられないとため息をついた時、ちょうどモニターに退室した部屋番号が表示された。
「火消し行ってくる」
こんなやつ放っておこう。いちいち自分と比較していたら萎えるだけ。断じて俺は、色んな女性と節操なく遊びたいわけじゃない。
部屋に入った瞬間、体がジトッと湿った空気に包まれた。
「最悪……」
浴室の扉が開けっ放しになっているのが視界に入ってガクンと肩を落とす。しかも浴槽にはお湯が張られたまま。もし眼鏡をかけていたら曇って前が見えなくなるほど、蒸気が立ちこめている。
たまにこうやって換気扇もつけずに出ていく客が居るから困る。俺たちフロントはさほど支障はないが、清掃スタッフの作業が大変になるし、その分部屋を作るのに時間もかかってしまう。良いことは一つもない。
慌てて換気扇をつけて部屋の扉を全開にした。散らばったリネンを入口にまとめるついでに、ゴミも一箇所に集める。
「布団も剥がしてやるか」
ベッドの足元に立って掛け布団を持ち上げる。露わになったシーツの上に現れたのは、ショッキングピンク色の何か。
「あー……」
棒状で痛々しい突起が先端についたソレ。いわゆる大人の玩具だ。
正直、ラブホだからこういう物にはよく出くわす。うちでは貸出してないから、持ち込まれても文句は言えない──が、せめて持ち帰ってほしい。どんなに汚れていたり壊れていても、必ずホテルが“忘れ物”として保管しなければいけないから。
制服のポケットに入れていたポリ袋にソレを入れて口を縛る。
大して動いてないというのに、気付いたら額に汗が滲んでいた。口の部分を摘んでフロントに戻ると、ドア越しに三沖と愛流の声が聞こえてきた。
「愛ちゃんありがとね」
「今度なんか奢って」
「いいよ、二人でどっか行こっか」
「えーめんどい。買ってきて」
「仕方ないなあ」
訳もなく開けるのを躊躇った。しかし俺が汗かいて火消し行ってる間に二人で仲良く話していたのかと思うと急激に腹が立ってきて、舌打ちしながら中に入った。
「はよー」
「……三沖やっと来たんだ。てか退いて」
椅子は二つしかない。俺が帰ってきても退こうとしない愛流にまた苛ついた。
「もうちょい座らせてやれよ。なあ?」
なんでお前はいつも愛流の味方なんだよ。というか三沖が遅刻してこなければよかった話なのに、なんで俺が蔑ろにされるんだ。
「……退けって」
「はいはい。お、イイもん持ってんじゃん」
愛流が例のブツが入った袋を奪い取った。ニヤニヤ笑いながら、「今日会う子に使っちゃおっかなー」とキツイ冗談をかまされてドン引きする。俺は返事する気にもなれず、黙って引き出しから遺失物の書類を取り出した。
「なんか飛間ノリ悪くね?」
「思春期なんだよ。愛ちゃんもう清掃行っていいよ」
「えーだる」
「明日は?」
「いない。明後日入ってるから煙草でも奢って」
「おけ〜」
二人の会話が耳障りで心地悪い。
ひとりで真面目に項目を書きながら、俺は一体どうしてこんなところで働いているんだろうと疑問に思った。
三沖は愛流のことを“愛ちゃん”と呼ぶ。誰より彼を甘やかし、今回みたいな借りがなくてもよく奢っているのを見かける。そして俺には口が悪いのに、愛流には優しいことしか言わない。
「飛間、なんか怒ってる?」
わざとらしく顔を覗き込まれた。なんでも許してしまいそうになる綺麗な瞳を見たくなくて、視線を紙に戻す。
「いや。別に」
愛流を特別視する理由には薄々気がついていた。性格が捻じ曲がっていてタメ口、それでいて後輩らしさもないということを考えると、単にこいつの容姿が好みだからだろう。
(色んな女の子と遊んでる野郎なのに……。顔が好みならそれでいいなんて、まじで節操ないな)
書き終わった書類を袋に貼り付けて保管ケースに入れる。座り直す前に、オーダーの紙が機械からビーッと出てきた。無言で千切って出て行こうとした俺を三沖が引き止める。
「なに、なんで機嫌悪いの」
「なんでもないって……。体調は?」
「もう大丈夫」
「……お前が飲みすぎるなんて珍しいな」
「ああ。サークルの先輩に無理やり飲まされたから」
──二日酔いになるほど飲ませてくる先輩がいる?
いつか度が過ぎて大変な目に遭ったりするんじゃないのか。本当に大丈夫なのか。焦りに似たよく分からない感情がふつふつと湧いてくる。
バカみたいだ。全く関係ない俺が勝手に心配して、なんの意味があるんだ?
「遅れてきたのはごめんて」
「だから……そんなことに怒ってない。オーダー行ってくる」
そもそも三沖はただの仕事仲間だ。友達と言えるほどプライベートで遊んでないし、そんな相手に干渉するなんておかしい。
ドリンクを部屋に届けながらそうやって自分に言い聞かせたが、なんだかスッキリしなかった。
「おかえり」
「ん」
目を合わせるのが気まずくて俯いたまま席に戻る。三沖はぎこちない空気をなんとかしようと、笑顔で話しかけてきた。
「飛間って愛ちゃんと飲み行ったことある?」
「ない。てかさ……、なんであいつのことちゃん付けで呼んでんの」
「え? あ、もしかして飛間もそうやって呼ばれたい?」
「違う。そういうんじゃない」
否定したのに、三沖の耳には入らなかったらしい。なるほどねと笑顔で頷かれて頬が熱くなる。これじゃあまるで、俺が嫉妬したみたいじゃないか。
「そんなのもっと早く言えよ。飛間だから……ひーちゃんて呼ぶ?」
「なにその女子みたいな」
「だって龍ちゃんは嫌がりそうだし」
「たしかに。お母さんみたい」
「え、お母さんにそう呼ばれてんの? かわい」
「呼ばれてねえよ。例えばの話。てか名字でいいって」
三沖は両腕を上げて背伸びをしつつ、んーと考えるような素振りを見せた。それから閃いた顔で、
「ひーくんは?」
と子犬のように目を輝かせた。本当にこいつは、顔だけは無駄にいいからずるいと思う。
「じゃそれで」
「おいー急に適当になんなよ」
「俺はみっ……、鉄司って呼ぶわ」
「え、ストレート名前呼び? てかみっちゃんて言いかけたよな」
流石にタメの男にみっちゃん呼びはないが、いきなり名前で呼ぶのもよく考えたら恥ずかしい気がする。しかし三沖は満更でもなさそうに、じゃあ名前でいいよと笑った。
こんなのどうせただの口約束だ。明日にはきっと忘れている。でも今日くらいはそうやって呼び合っても面白いかもしれない。
「三沖は鉄司っぽくないな。顔が」
「よく言われる。俺も思うし」
「でも昭和の男みたいでかっこいいじゃん」
「あーね。アイアンマンみたいだしな」
「そうは言ってないけど」
くだらない会話をしてるうちに、頭から熱が引いてきた。なんでイライラしていたのか不思議に思うほど。
「……鉄司はあんの? 愛流と飲み行ったこと」
「うん。あるよ、三回くらい」
「三回……」
──それ、俺と飲みに行った回数より多くないか?
自分の知らぬところで会っていたという事実に落胆した。この職場で三沖と一番仲がいいと思っていたのは俺だけだったようだ。
「しかも全部奢ってやった」
「狙ってんの」
「は?」
「あいつのこと」
ふと顔を横に向けたら、何故か眉間に皺を寄せた三沖と目が合った。
「あのさあ。俺ゲイだからって誰でもいいわけじゃないから」
「別に……そんなこと言ってない」
容姿が好み、且つ普段の愛流に対する態度を見ていたら狙っていると思って当然だ。しかも全部奢るなんて、俺からすれば好きな人以外は考えられない。
三沖はため息をつきながら目を逸らした。
「あと俺好きな人いるし」
「……え?」
今付き合ってる人がいないことより、好きな人がいるということに驚いた。
そんな話はこれまで一度もしてこなかったが、いつからだろう。相手はどこの大学なのか、というか大学生なのか?
「ひーくんには教えないけど」
「は……」
混乱している俺を他所に、三沖は新しく入ったオーダーを消化するために出て行った。




