5. お揃いの香水
三沖の誕生日まで、残すところあと二日となった。去年は漫画を十巻も貰ったから、お返しの意味も込めて今年はそこそこ良いものを買ってやる必要がある。
俺は何を買うか目星もつけず、とりあえず駅近くにあるデパートに入った。上の階から見て回るためにエレベーターに乗り込む。平日なのに混み合っていてうんざりした。わざわざバイト前に出かけるのは怠かったが、今日を逃したら渡すのが来週になってしまう。
メンズのファッションフロアをゆっくり歩きながら、何がいいだろうかと目を走らせた。
三沖にはこれと言った趣味があまりないから困る。漫画やアニメは趣味じゃないだし、服はこだわりがあって逆に俺が手を出せないし、食べる物も好き嫌いが多い。何をあげたら喜んでくれるのだろう。
鞄専門店で良さげなリュックを見つけたが、給料半月分くらいの値札を見て足早に店を出た。
そんなことを繰り返しているうちに、三階まで降りてきてしまった。ちょうどいい物に巡り会えないという焦りと建物内のキツい暖房のせいで、真冬とは思えないほど汗をかいている。ダウンジャケットなんか着てくるんじゃなかった。
(……雑貨でちょうどいいものないかな?)
この下の階は主に食品だから、ここで決めなければ。
高そうなアクセサリーが並んだ店を通り過ぎると、ふわっと柑橘系のいい香りが鼻をくすぐった。白を基調としたシンプルなデザインの香水ボトルが置いてある。香りの元は、その隣のディフューザーのようだった。
「いらっしゃいませ」
機械的な挨拶をした店員に軽く頭を下げつつ、香水のほうを手に取ってみる。手に収まるサイズ感で、値段もちょうどいい。
「そちら蜜柑を使った香水で、期間限定なんです」
「あ、そうなんですね」
「プレゼントお探しですか?」
「あ……はい、まあ」
店員に話しかけられるのは苦手だ。圧迫感があるし、ゆっくり考えたくても思考を邪魔される。仕事だから仕方ないとわかっていても話したくない。
「ちょっと他も見ていいですか」
「もちろんです。ご自由にお試しもできますので」
「ありがとうございます」
「これどうぞ」
細長い紙を渡された。ここに香水をかけろという意味か?
店員の視線を気にしつつテスターを振ってみる。たちまち蜜柑の新鮮な香りが広がった。良い匂いだけど、三沖が好きな匂いかどうか分からない。
あいつは普段、甘くて優しい柔軟剤の匂いがする。おそらくあいつの好みというより、単に母親の好みだろう。
「いらっしゃいませ」
「え……飛間!?」
聞き慣れた声がして振り返ると、三沖が驚いた顔で立っていた。隣には友達らしき男もいる。
「三沖?」
──まさかこんなところで会うとは。しかも、本人の誕生日プレゼントを選んでいる最中に。
「何してんの。あ、大学の友達」
三沖に親しげに肩を掴まれた男は、俺と目が合った途端に「うす」と頭をわずかに前に出した。元カレといい、三沖の周りにはチャラそうな見た目の男しかいないのだろうか。俺が仲良くなれたのが不思議なくらいだ。
「二人で買い物?」
「うん。こいつが誕プレで香水買ってくれるっていうから、選びに来た。飛間もなんか買うん?」
「あー……」
ここで買うという選択肢を秒で潰され、額を掻く。むしろ買う前でまだ良かったかもしれない。誕プレ被りはかなり萎えるから。
「最近、香水つけようかなと思ってて」
咄嗟についてしまった嘘に、また汗が出てくる。三沖は疑うこともなく、へえ意外だなと相槌を打ってから商品に目を落とした。
「こいつがここの香水めっちゃいいって推してくるからさ」
「俺はムスクの匂いつけてんだけど、三沖は好きじゃないだろ?」
「そうそう。さすがわかってんねーお前」
「この前言ってたじゃん」
「そだっけ、忘れた」
三沖と男が笑い合った。もう俺なんて視界に入ってないらしい。二人の世界から自分だけが浮いてる気がして、ここにいるのが恥ずかしくなった。
俺に背を向けた三沖が紙に蜜柑の香水をかける。
「いい匂い。これよくね?」
「そういうの好きそう」
「だって男で甘ったるいのは嫌じゃん。ムスクは頭痛くなるし」
自分も迷っているフリをしながら、有益な情報に聞き耳を立てた。柑橘系の匂いが好きなんて初めて知った。
「飛間は?」
「──えっ」
「なに気になってんの」
「あ、俺は」
急に振られて戸惑った。三沖にとって俺が好きな匂いなんてどうでもいいはずなのに、なんで聞かれたのだろう。今年の誕プレの参考にするつもりかもしれない。
まだ蜜柑しか嗅いでなかったが、自然と指はそれを指していた。
「これかな」
「やっぱ良いよなあ。じゃあ俺これにする」
──俺の意見で、決めた?
三沖の友達は「おっけ〜」と軽い返事をしてからボトルをレジに持って行った。驚いたのは俺だけだったらしい。
呆然と突っ立っていたら、会計を終えた二人が戻ってきた。
「飛間、飯まだ?」
「うん。このあと食べるけど」
「じゃあ飯食って一緒に出勤しよー」
「え、でも友達は」
さすがにこのメンツで食べるのは微妙だ。人見知りの俺にとっては厳しい。
「俺もこれからバイトなんで、いっすよ」
「ありがとな。また明日」
「ういっす〜」
「……で、飛間は買わない感じ?」
三沖が柔らかく首を傾げた。元々こいつの誕プレとして考えていたのだ。買わないと口を開こうとしたら、遮られた。
「お揃いにしちゃう?」
悪戯っぽい言い方だった。たまにある、三沖の“おふざけ”。だから笑って流せばいいのに、なぜか俺の手は香水のボトルに伸びてしまった。
「買ってくるから待ってて」
「え、ま……まじで」
先にふざけたのはこいつだ。付き合ってもないただのバイト仲間、しかも男同士でお揃いの香水を買うとかいうキモいムーブは、俺のせいじゃない。絶対に。
結局、そのあと一緒に行動したせいで誕プレは買い損ねた。しかも欲しくもない自分用の香水に金を使うことになったし、無駄に汗をかいて疲れた。
俺と反対に三沖はずっとご機嫌だ。オーダーが来ても真っ先に行ってくれて、いつも押し付けてくる火消しも嫌がらなかった。香水を買ってもらえたのがそんなに嬉しかったのだろうか。
「さっそく使おうかなー、お揃いの香水」
三沖は口元を緩ませながら香水が入った箱を開けた。蓋を外して手首にシュッと一回振りかける。狭い部屋に蜜柑の新鮮な香りが充満した。
「……シフト交代の時なんか言われそう」
「くさいって? 大丈夫っしょ。てか飛間も香水買うとか意外だったわ」
「たまにつけてるし」
「えー、いつも匂いしないじゃん」
不意に三沖が顔を近づけてきた。首筋をすんすん嗅がれる。慌てて距離を取ると、三沖が眉を寄せた。
「……なに」
「ち、近いな」
驚くほど顔が近かった。蜜柑の香りが鼻の中に留まっていて、酒に酔ってるみたいにクラクラする。
「どんな匂いするかなって嗅いでみただけ。そんな、熊に襲われたみたいな反応されると傷つくんだけど」
「いや……、悪い。今日めっちゃ汗かいて臭いと思うから」
「あ、そういうこと?」
一変して三沖の表情が明るくなった。
「別に臭くなかったけど」
「いや今日はまじで臭い。早くシャワー浴びたいレベルで」
「そんなに? じゃお前にもかけとくか」
返事をする前に、腹のあたりにシュッと吹きかけられた。たしか香水を直接かけるのは良くなかった気がするが、汗を嗅がれるよりマシだ。
臭いって言われたら傷つくし……と考えたところで、我に返った。そういえば、男同士なのになんでこんなことを気にしているのか。仮に他の男スタッフに汗を嗅がれても、どうだっていいと思うはずなのに──。三沖は同い年の友達だからか?
「俺、香水お揃いとか彼氏ともしたことないんだけど」
「……俺だって誰ともない」
「じゃあ相当やばいことしてんのかな」
「いや……香水被るとかよくあるだろ。たぶん」
聞いたことないけど、と心の中で付け足す。
俺は気恥ずかしくなってモニターに体を向き直した。今日も暇だ。寒波のせいか、ここ最近は客足が遠のいてる気がする。
蜜柑の香りが充満した部屋の中でモニターを見つめながら、誕プレは何を買おうかと考えた。




