4. 三沖の元カレ
「暇だなー」
「な」
今日は出勤してから、まだ二組しか来館がない。しかも両方とも休憩。あと三十分で午前零時になる。つまり終電を逃した酔っ払いの男女達が恐らくやって来るわけだが、それにしても暇すぎる。
三沖はというと、スマホとタブレットを並べて机の上に置いて腕を組み、何やら考え込んでいる。
「さっきから何してんの」
「ああ、企業説明会の申し込みどうしよっかなーって。飛間は申し込んだ?」
「うん。とりあえず合説は何個か行く」
「だよなあ」
「それ期限近いの?」
「今日が締め切り。でもその次の日に合説あるから怠いんだよ……」
スマホのスケジュール表を開いた三沖が頭を掻いた。
「バイトも連勤?」
「そうそう」
「でも、気になるなら行っとけば」
助言は意味を成さなかった。三沖はうーんと唇を尖らせ、説明会のサイトを再び眺める。
「……なんかさ、明確にやりたいことないからどこに参加したらいいのかも分からんし」
「まあ……わかる」
「飛間はなに系を受けるんだっけ?」
「まだ決めてない。でも企画とか商品開発、あとマーケティングいいなって思ってる」
聞いてきた割に、ふーんと気の抜けた返事をされた。
「どうすっかな……」
「悩んでるのは合説?」
「いや。映像制作の会社」
「あー、なんか三沖っぽいな。いっそ演者側になればいいのに」
「え、俺が?」
その顔なら俳優いけそうと付け加えると、さらに驚かれた。眼中にもなかったようだ。
「俳優なら飛間のほうがなれそうじゃん。なんか雰囲気あるし」
「無理っしょ普通に……。映像系以外で他に候補は?」
「んー、まじで何も考えてない」
俺たちは、卒業したらほぼ確実に違う職につく。まったく正反対の職業に。
──いつまでこうやって話していられるんだろう。
どうせ、就職したらしたで仕事に追われてお互いの存在を忘れていく。そんなものだ。分かってはいるけど、それが虚しいと思うのは俺だけなのか。
チリチリチリ……。
入館を知らせるベルの音に顔を上げた。男が二人、モニターに映っている。
「……え」
部屋を選ぶ彼らを見て、三沖が目を見開いた。
「どうした?」
三沖の喉仏が上下する。問いかけが聞こえていないかのように、じっとモニターを見つめた。小窓にやって来た彼らに俺がルームキーを渡したあと、ため息混じりに三沖が言った。
「俺の元カレ」
「は!?」
思わず大きな声が出た。エレベーターに乗った男達を見る。監視カメラの画質は結構悪い。顔は鮮明には見えないが、すぐに分かったということはそれなりに記憶に残っているのだろうか。
「高校三年の頃から一昨年まで付き合ってたんだ」
「……意外と長いな」
「めちゃくちゃイケメンでさ」
じゃあなんで別れた?
──と、聞く気にはなれなかった。押し黙った俺をチラッと見た三沖はそのまま言葉を続けた。
「めちゃくちゃ股間ゆるかったんだよね」
「え?」
「浮気……ってか、あいつの中では遊びだったみたいで」
「最低だな」
「ま、そんなもんだよ。ゲイなんて」
三沖は吹っ切れたように笑ってそう自嘲した。言わなくていいことを言わせてしまったことに、後悔の念が頭を擡げる。しかし恋愛経験の乏しい俺ができるまともなアドバイスなどあるわけもなく、声が喉に詰まった。何か言わなくては。
「……別にゲイだけじゃないと思うけど。そういうクズはどこにでもいる」
「なに、慰めてくれるんだ?」
「いや……まあ」
「飛間って童貞だったよな。付き合ったことはあんの?」
「あるけど、あんまない」
「へえ。顔だけはいいのにモテないんだ」
三沖に褒められたのは意外だった。後ろに着いてきた言葉は余計だけど。
「俺はモテないんじゃなくて、節操なく付き合ったりしないだけ」
「真面目やん」
ここで働いていると、ワンナイトだの不倫だの、自分の倫理感に反した人達に嫌でも会う。人それぞれ事情はあるだろうが、そんなに性欲に振り回されるものなのかと首をひねりたくなる。特に、浮気はどうしても理解できないというか、したくもない。
「あー……なんかやる気なくなった」
「オーダー来たら俺が行く」
「え、優し」
何が起きても、こいつと元カレを遭遇させないようにしなければ。
そう意気込んだ俺を挑発するかのように、ちょうどオーダーが入った。三沖が見る前に素早く千切る。
「なんだった」
「教えない」
「は……?」
「元カレのこと、もう忘れろよ」
自分で言っておきながら、今のセリフは何なんだと笑いそうになった。まるで少女マンガに出てくるイケメンの主人公みたいだ。俺のキャラじゃない。
「え、あ、うん」
困惑した顔で三沖が頷く。それから、別に未練はないけど……と続けた。が、単に内容が気になったとは思えなかった。
俺は足早に厨房へ向かった。ビール二杯とナポリタン、ホットチキン。なかなかに面倒くさい。
揚げたチキンをボウルに入れてホットペッパーパウダーを塗しながら、普段より多くかけてやろうかと思ったけどギリギリ踏み止まった。余計に喉が渇いてオーダーが増えるだけだ。
部屋に届け終えて戻るために階段を降りていたら、
「すみません!」
と後ろから声をかけられて振り返る。すらっと背の高い男性が駆け寄ってきた。
ツイストスパイラルパーマがかかった髪の毛。顔は髪型に負けないくらいイケメンで、どう見てもチャラい。
──三沖の元カレだ。
直感で分かった。答え合わせをするように、料理を届けたばかりの部屋を指さして彼が言う。
「その部屋なんすけど」
「はい」
「ここ大人の玩具とかないんすか? ローターとか」
「ないですね」
「え?」
間髪入れずに返したせいで、相手は狼狽えた。もう一度強い口調で「ないです」と言うと、不満そうな顔で部屋に戻って行った。俺もさっさと戻ろう。
普段とは違う雑な言い方をしたのは、ただ腹が立ったからだ。三沖がいるこのホテルで、全力でセックスを楽しもうとしていることに。
(しかもローターっていうチョイスもムカつく。あんなものどこに入れんのかな。二人とも男だし……尻の中?)
性行為の経験自体ないからイマイチ分からない。だが、三沖もあの男に玩具を使われていたのかもしれないと思うと、なぜか無性に苛々する。
別れたあとでも「めちゃくちゃイケメン」と褒めるだけあって三沖が好きそうな容姿だった。あいつに好き勝手されていたのか。──どんな風に?
「あー……」
しっかりと想像してしまったことによる自己嫌悪で思わず声が出た。最悪なことに、ちょうど部屋から出てきた三沖と目が合う。
「え、どした?」
「……なんでもない。オーダー?」
「うん。行ってくる」
「元カレのとこじゃないよな?」
「や、違うけど」
「ならいい」
三沖は首を傾げながら階段を上がって行った。俺にだって分からない。どうしてこんなにも、あいつの元カレが気になってしまうのか。
退勤の時間が近づいている。次に三沖とシフトが被るのは四日後。それまでに忘れられる自信はあまりない。いっそのこと、詳しく聞いてみたらどうだろう。
自然を装って、したくもない欠伸をかました。三沖はいまだにスマホを見ている。
「なあ、あいつに玩具使われたことある?」
「はっ?」
怖い顔で睨まれた瞬間、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと悟った。
「セクハラ」
「……ごめん」
「珍しいじゃん。飛間がノンデリなこと言うの」
「いや……、うん」
「なに、気になってんの? 俺と元カレのこと」
小さく頷いた俺に、三沖はふっと顔の緊張を解いた。
普段なら気にならない、暖房のウーウーというモーター音がやけに耳につく。暖房の風が直接、頬に当たっているような気がした。途端に乾燥が気になり始めて、手のひらをそこに押し当てる。
「飛間ってさあ……普通に俺が下だと思ってるよな」
「──下?」
ゲイの専門用語だろうか。下があるということはきっと上もある。立ち位置的な話か?
「抱かれるほう」
「だかれる……」
「だから『玩具使われた?』って聞いたんだろ」
──ああ、そうか。俺は無意識のうちに、三沖が抱かれるほうだと決めつけていたのだ。そうじゃなきゃあんな聞き方はしない。
踏み込んだ質問をしただけでなく、不愉快な気持ちにさせてしまった。必ずしも抱かれるほうとは限らないのに。
「ごめん」
「いーよ。童貞くんだし」
「それは……関係ないけど」
「教えてやろうか」
三沖はニヒルな笑みを浮かべた。モニターを見て客が居ないことを確認し、体を俺のほうに向ける。
頬から離した手をどこへやったらいいのか分からなくなった。
「ゲイは“リバ”が多いんだよ。抱くほうと抱かれるほう、どっちの役も出来る人のことね」
「……そうなんだ」
「大体は下を経験すると気持ちよくてやめられなくなるから、抱くほうが重宝されたりする。身長とか顔で上下は決めない。挿れたいか挿れられたいか……。まあでも、カップルは役割を固定してるパターンが多いかな」
反応に困った。抱かれるイコール恐らく尻の中に性器を挿れるということだと思うが、あんなもので本当に気持ちよくなれるのだろうか。それにもし希望が被ったら、どちらかは我慢するしかないのか?
俺は何も言えないまま、ただ相槌だけ打った。
「あ、そもそも挿入しないバニラセックスだけのカップルとかも多いよ。体の負担になるし」
平然と言う三沖は、まるで知らない人みたいだ。これまで何となく仲間だと思っていたのに、こいつは俺と別の世界で生きている。
惨めな感情が胃までせり上がってきた。もはやバニラセックスとは何かを教えてくれと聞く気にもなれない。だが、自分には無関係だと完全に決めつけるのもなんか違う。
「まあ……飛間には関係ないことか」
重い溜め息が聞こえた。三沖は立ち上がって退勤の打刻を押したあと、手早く着替えて荷物を持った。
「じゃ、先帰るわ」
「あ、お疲れ」
いつもなら打刻を押したあともダラダラ喋りながら、ゆっくり支度をして帰るのに。機嫌を損ねてしまったせいだろうか。
交代のスタッフが来るまで俺は帰れない。何気なく三沖が出て行くのを視線で追っていると、彼がパッと振り返って俺を見た。
「ちなみに俺は下だから」
ウーウーとまた暖房の音がはっきり聞こえてきた。それだけでなく、二階の部屋から漏れているであろう喘ぎ声、バタバタと揺れる音まで。
「だ、抱かれる……ほう……」
改めてそう言われると、とてつもなくエロい感じがするのは気のせいだろうか。
三沖はとっくに帰った。誰もいないフロントで、俺は無駄に立ったり座ったりして意味の分からない感情をやり過ごした。




