26. 俺たちは今日も(三沖side)
車番を控えに行ってフロントに戻ると、すでに飛間が降りて来ていた。顔を見た途端にドドドドドッと壊れそうなほど鼓動が速くなった。
数日前に会ったはずが、随分長いこと会ってなかった気がする。彼の前でこんなに緊張するのは二度目だ。
「ごめん。もしかしてめっちゃ急いでくれた?」
「うん、まあ」
彼は軽く頷きながら椅子に腰を落とした。罪悪感を抱きつつ、隣に座る。
「話したいことってなに」
「えっと……」
早く。早く言わなきゃ。
──でも、一体なにを? どうやって?
乾いた喉が張り付いて痛い。
こいつと初めてセックスした時、自分から誘ったくせに、ぶるぶる手が震えて上手くできなかった。引かれるんじゃないかと不安になるほど汗をかいた。最初から片思いを諦めていたのに、なぜかバカみたいに緊張した。
あの時とは何もかも違う。好意を寄せてくれているとわかっていながら、その相手に気持ちを伝える。たったそれだけのことだ。でもどうして、あの日みたいに一人で取り乱しているんだろう。
「言いにくいこと?」
「あー、うん。ちょっと。やっぱ……休憩行ってきていいよ。先に」
「いい。今聞きたい」
澄んだ黒い瞳に射抜かれ、体が動かなくなる。
張り詰めた空気を裂くように火消しの通知音が鳴り響き、ハッとした。パソコンの画面に部屋番号が表示されている。
「あ……」
飛間の視線が俺から外された。ゆっくりと腰を持ち上げた彼の手を掴む。
「待って」
「あ、でも」
言いたいことはわかる。火消しは十分以内に行かないとオーナーに怒られてしまうから、こうしている暇はない。
「俺……ちゃんと、飛間と付き合いたい」
「え!?」
「火消し行ってくる。あ、休憩行っちゃっていいから!」
「え、ちょ……」
気がついたらフロントの外に飛び出していた。頬が、全身がとにかく熱い。
部屋に入ってすぐ、俺は頭を抱えながらその場で屈んだ。
「うわー……」
──どうしよう。ついに言ってしまった。もう取り返しはつかない。
飛間が休憩に出たらフロントが無人になってしまう。早く戻らなければ、と急いでゴミを集めてベッドシーツを剥ぎ、火元の確認を済ませた。
作業をしていても飛間の驚いた顔が頭から離れない。素っ頓狂な顔だった。想像もしてなかった、みたいな。
浮かれきった脳みそにうんざりしていると、突然、出入り口のドアが開く音がした。この洗面所から顔を出しても姿は見えない。
(今日の清掃って、誰だっけ?)
まだ清掃の合図はしていないのに、せっかちだな……と思いつつそこに向かう。が、立っていたのは清掃スタッフではなかった。
「飛間!?」
「さっきのどういう意味」
彼がずんずんと、ものすごい勢いで歩いてくる。
「な、なんで来ちゃうんだよ、ダメだろ」
これ以上入って来ないように肩を押したが、逆に手首を掴まれてしまった。
「休憩中だから大丈夫」
「じゃあ俺は早く戻らないと」
「三沖、教えて。さっきのどういう意味」
縋るような目だった。触れられたところから、飛間の体温が、鼓動が伝わってくる気がする。
「わかった言うから、とりあえず一緒に戻ろ」
「うん」
「休憩はいいのかよ」
「どうでもいい」
「そう……」
俺のせいで休憩をまともに取れないのは気になるが、こうなったら仕方ない。
先に部屋を出ると、飛間が距離を開けずに後ろをついてきた。隣に並ぶことがないままフロントに辿り着く。
「ちょっ、おい」
ドアを開けたと同時に、背後からギュッと抱きつかれた。腹に巻きついた腕がキツく締め付けてくる。
「ここ辞めるまで、待たなくていいの?」
低音の優しい声が鼓膜をくすぐった。
この瞬間、飛間は本気で約束を守るつもりだったのだと悟った。
「あ……」
──本当にこいつは俺のことが好きなんだ。
俺がグズグズ悩んで自分勝手に振り回している間も、ただ好きで居てくれた。そんな相手に、これ以上なにを求めるというのか。
「飛間にがっかりしたくないとか、どうせ別れるからとか、そんなこと理由に……逃げててごめん。俺、好きだよ。お前のことが」
腹を締め付ける腕の力が強くて苦しい。俺だって抱き返したいのに、これじゃまったく動けない。
「めちゃくちゃ嬉しい……」
「……この前、電話したの覚えてる? お前が飲み会行った日」
「あ、ごめんあれは」
「嫉妬したんだ」
「え?」
「女の人の声が聞こえたから。勝手だよな? いきなり電話して嫉妬するなんて」
「い、いや」
「でも、あのあと飛間がもし女といい感じになって、セックスとかしてたらどうしようって……すげえ苛々した」
今考えても自分勝手な嫉妬だ。そう分かっていても、思い出すだけで胃のあたりがキリキリする。
突然、パッと体が解放された。何かと思う前に肩を回される。向かい合ってやっと見られた顔は、俺なんかよりもずっと苦しそうなものだった。
「何もなかったよ。誰かと連絡取ったりもしてない。ずっと三沖だけ」
「あ、おう……なら、よかった……けど」
「……好きって気持ちが勘違いなんじゃないかとか、新しい出会いがあったらとか、会う頻度が減ったらとか、三沖の不安を全部なくすのは難しいと思う」
「それは分かってる」
付き合うなら覚悟を決める必要がある。遊んでばかりだった俺にとって、まともな恋愛をするのは初めてなのだから。
「でも、俺は三沖の思い出の人になんかなりたくないし、社会人になっても付き合っていたい」
そう思ってるのは俺だけ? と、彼は自信無さげに首を傾げた。
なぜここまで真摯に、正面から向き合ってくれるのだろう。同い年で貞操観念がしっかりしていて、気持ちに寄り添う努力をしてくれる男なんて滅多にいない。
「……おれ、お前の……そういうとこ、すげえ好き」
感情がどんどん溢れてきて、最後は声が掠れた。泣いたあとみたいに心臓が苦しい。
思わず彼の胸に寄りかかると、自分と同じ香水の匂いに包まれた。そこに少しだけ汗の匂いも混じっているが、不快じゃない。
「あ、え」
飛間は甘えられるのにひどく弱いらしい。走るような鼓動が耳に伝わってきて、むふっと吹き出しかけた。
「三沖。もう髪撫でていい? 彼氏だけって言ってたよな」
「……この前も撫でてなかった? まあいいけど」
大してサラサラでもない男の髪を撫でて何が楽しいのか分からないが、きっとこれはこいつの癖だ。
触りやすいようにと頭を下げようとした途端、なぜか顎を掬われた。
「え──っ」
「ごめん。やっぱ今はキスしたいかも」
目を閉じる時間も与えられないまま、唇が降ってきた。ついこの間まで童貞だったくせに、こういう時に強引になるのはやめてほしい。心臓が持たない。
「ん、ぅ」
──こいつ、俺がどんだけ片思いしてきたかわかってんのかな。
背中に腕を回して距離を縮めると、びくっと飛間の体が震えた。腹部に硬いものが当たっている。それが何なのか、考えなくてもわかった。
「……まじ?」
「あ、いや、ごめん。興奮して」
「ダメじゃん、こんなところで勃たせたら」
「だって……」
ブーっとオーダーの紙が出る音によって、情けない飛間の声が遮られた。珍しく苛ついた顔で彼が舌を打つ。
「んだよもう」
まるで、イチャイチャしてないで仕事をしろ、と釘を刺されたようだ。
足を一本前に踏み出し、飛間の顎を掴む。ぽかんと開いた唇に噛み付いてすぐ離れると、サアッと目の前の頬が赤く染まった。
「……明日は朝から忙しい? もっとしたい」
「じ、じゃあ、部屋取る?」
「金もったいない。お前の家まで我慢しようよ」
「我慢……」
「俺のバイト終わるまで寝といて。行くから」
飛間の手からオーダーの紙を抜き取る。
休憩が終わったあと、彼の退勤まで二時間ちょっとある。その先のことを約束するなんて不思議な気分だった。
──我慢できずにちょっかいをかけるのは、俺のほうかもな。
そんなことを想像したら笑いが込み上げてきた。早くオーダーを終わらせて戻ってこよう。
「寝ないで待ってる」
フロントを出る間際に聞こえてきたのは、いかにも彼らしい言葉だった。
俺たちは今日も、ラブホのフロントで。




