24. 劣情(三沖side)
バーベキューしたよ、といくつか写真を添えて飛間に送ったのが一時間前。まだ既読は付いてない。スマホを確認する暇もないほど、盛り上がっているということか。
「ちょっと電話してくる」
俺は苦手なルームメイトに声をかけてから外に出た。山内が風呂に入っている今がチャンスだ。余計な詮索を避けられる。
夜八時。もちろん日はとっくに落ちた。さっきまで賑やかだったのが嘘のように、今は冷たい風の音しか聞こえない。
片手を上着のポケットに突っ込み、建物の影に隠れて通話を試みた。無機質なコール音が繰り返し流れる。しばらく待ったが、無慈悲にも切れてしまった。画面に「応答なし」の文字が表示される。
(やっぱだめか……)
今日はこのまま、声も聞けずに終わるのだろうか。ため息が指にかかった。
心のどこかで期待していたのかもしれない。
部屋に戻ろうと足を踏み出した瞬間、スマホが着信音と共に震え出した。画面に表示された飛間の名前。反射的に、応答のボタンをタップした。
「も、もしもし」
「あ……三沖?」
「うん。ごめん、電話」
「どうした」
後ろの雑音のせいで、せっかくの飛間の声がはっきり聞こえない。音を聞く限り、まだ居酒屋にいるようだ。近くで誰かの声がする。──男に混じった、複数の女の声。
「……三沖?」
「あっ、悪い。えっと……」
しまった。彼の声が聞きたいとそればかり考えていたせいで、実際に電話が繋がったときに何を言うかなんて考えてもいなかった。飛間からしてみたら、楽しい飲み会の最中に電話がかかってくるのは邪魔でしかないだろう。
俺は言葉を詰まらせた。あーとかえーとか、意味のないものだけが出てくる。
「三沖は……どう、そっち」
「え!? あ、うん。普通に楽しい」
「……そう」
妙な感じだ。電話越しだからか、いつもと何かが違うような気が──。
「これから、ふろ?」
舌っ足らずな喋り方と、普段より低い声。酔っているのだと気付くのにそう時間はかからなかった。二人で飲むときはあまり酔わないのに、どれほど飲んだのか。いや、正しくは“飲まされた”のか。
「風呂はもう入った。お前は……いつ帰んの」
「おれ? あー……わかんない。まだ、終わらなくて。みんな」
電話の向こう側にいる飛間の姿を想像しようとしても、上手くいかなかった。
頬は赤い?
気持ち悪くなって吐く?
それとも、ただテンションが上がるだけ?
俺が知らない飛間の顔がまだまだある。この関係が終われば、それを見ることもできず、きっと後々思い出してしまう。
「飛間、俺さ……お」
「ねえーだれと電話してるの〜?」
言葉は途中で遮られた。恐らく、彼のすぐ近くにいる女の声によって。
「お酒頼んであげたよお、ほら飲んで飲んで」
「ああ……」
甲高い、耳障りな声だった。そして彼女が飛間になにをしているのか容易に想像ができてしまった。
膨らんでいた気持ちにパンッと針を刺されたように、みるみる萎んでいく。同時に、彼氏でもないのに嫉妬している自分がバカみたいだと思った。
「電話、切るよ。邪魔してごめん」
「え?」
これ以上、女の声を聞くのは耐えがたい。
──もしもセックスの誘いをかけられていたら?
あの硬派な飛間でも、俺のことを好きだと言ってくれた飛間でも、酔った勢いで抱くかもしれない。
「あー……くそっ」
だからなんだよ。あいつを束縛する権利など俺にはないのに。勝手すぎる自分の思考が恥ずかしい。
『電話してごめん』と改めて謝罪のメッセージを送ったあと、スマホの電源を落とした。
少し冷静になったほうがいい。この機会に苦手なルームメイトと喋って、仲良くなる努力をしよう。そうすればあいつのことを考えなくて済む。
みんなとしばらく喋ったあと、歯を磨いて早々にベッドに入った。せっかく風呂で温まった体が湯冷めしてしまったようだ。
「三沖もう寝るの? 早くね」
山内が誂うように笑った。
正直なところ、いつもなら色んな部屋に遊びに行き、喋り明かしていたと思う。それが俺のパーソナリティだった。──これまでの俺は。
「ごめん、疲れたから寝る。みんな喋ってていいよ」
「まじかよ〜おこちゃまやん」
「なんとでも言え」
「三沖、カードゲームするけど入んない?」
もう十時半だ。寝るにしては若干早い気もするが、これからゲームなんてやったら眠れなくなる。
「……俺抜きでやって」
「つまんねー」
「他の部屋いく?」
「いーね! 山内は?」
「俺もいく。三沖、おやすみ」
山内が俺の髪をくしゃっと撫でたあと、二人と一緒に部屋を出て行った。
「触んなよ……てか電気消せし」
文句を言いながらドアの横にあるスイッチを押す。カーテンを完全に閉め切っているせいで、深い暗闇に包まれた。途端に睡魔がやってくる。
俺は再びベッドに潜り、壁際に体をギリギリまで寄せた。幅が狭くて山内の体に触れてしまいそうだ。同じベッドで寝るだけでも気が引けるのに。
漂っていた意識が、いきなり現実へと戻された。腹部に違和感がある。カサカサ、と布が擦れる不快な音も聞こえる。
──なんだ?
重い瞼を開けてもよく分からない。違和感の正体を突き止めようとしたとき、不意に腹の柔らかいところを撫でられた。
「っ、え?」
もちろん自分じゃない。誰かの手だ。
それは明確な意思を持って動いている。さわさわとへそあたりを擦るように撫で、終いにはズボンの中に入ってきそうになった。
「おいっ」
手を掴みながら後ろを向くと、山内が人差し指を唇に押し当てた。
「しー」
「なにしてんの?」
眠っているところを襲われるなんて思いもしなかった。というより、こいつがそんなことをするとは。
暗くてよく見えないが、目を細めたら隣のベッドで眠っている二人の顔が見えた。ガー、ガー、と大きないびきを部屋に響かせている。
「同じベッド入ったら、なんかムラムラしてきちゃって」
悪びれる様子もなくそう言って口元を緩ませた山内にうんざりする。そもそも、こんなキモイ奴と三回も寝たのが間違いだったのかもしれない。
「キモ」
「彼氏いないなら別にいいじゃん」
「そういう問題じゃない」
「ちょっと一緒に抜くだけだって……」
耳にふうっと息をかけられた。ゾワゾワと首まで鳥肌が一気に立つ。
「うわぁっ」
俺は耳を手で押さえながら上半身を起こした。なぜか被害者面している山内と目が合う。
「そんな反応されると傷つくんだけど」
「あいつらいるのに、なに考えてんの!」
「寝てるじゃん」
「次触ったらまじでキレるから」
「もうキレてるし……」
「ありえないよお前。外のベンチで寝たい?」
睨みながら低い声で問うと、スッと山内の顔から笑顔が消えた。真面目な声色で謝られる。しかしそれだけで身の安全を保証できるとは思えず、俺は彼の胸ぐらを掴んだ。
「頼むから他の人とやって。俺、好きな人いるから。お前とそういうことしたくない」
「わ、わかった……まじでもう触んない。一人で抜いてくる」
山内はガックリと肩を落とし、静かにベッドから出て行った。
──夜這いしようとするなんてAVの見過ぎじゃないか?
もう一度背中を向けて横になる。無意識に吐いたため息が、暗闇に吸い込まれていった。
(飛間はなにしてんのかな……)
ついスマホに伸びかけた手を、慌てて引っ込める。
ああもう。ほらみろ。あいつのせいで、また余計なことを考えてしまった。今日はもう考えたくなかったのに。




