13. 内なる嫉妬 - 3
それがどんな種類の嫉妬なのか。あわよくば恋愛的なものであればいいのにと、自分に都合良い解釈をしたくなってしまう。三沖のタイプは俺ではないし、そもそも好きな人もいると言うのに。
「あ、田中さんそろそろ退勤だから声かけてくる」
「待って」
立ち上がった三沖の腕を掴んで引き留める。
「俺が行く」
こいつには好きな人がいるんだから、田中さんに好意を持つわけがない。分かっていても、さっき二人で楽しそうに喋っていたのが忘れられなかった。この職場で三沖と仲がいいのは俺だけで充分だ。
リネンルームの扉をそっと開けて中の様子を伺う。田中さんは腰の高さほどの作業台に寄りかかり、スマホを弄っていた。畳まれたタオルの量からして、ずっとそうやってサボっていたのだろう。
「お疲れさまです」
声をかけた途端、ハッと彼女が目を見開いた。慌ててスマホをポケットに入れ、お疲れさまですと軽いお辞儀を返される。
「もう少しで退勤ですね」
「あ、はい!」
「先に着替えちゃっていいですよ。終わったら打刻押しにフロント来てください」
「あの、飛間さん」
声を遮られた。なんですかと聞く前に、彼女が躊躇いがちに口を開く。
「三沖さんって……優しいですよね。あの人もイシスタとかやってたりします?」
田中さんは顔が良ければ誰でもいいのだろう。ちょっと優しくされただけで自分に可能性があると思い込んで、繋がろうとする。誠実さの欠片も感じられない。
「やってないです」
「あ、そうなんだ……残念」
フォロワーから探されないように、あとで田中さんのアカウントをブロックしておこう。いっそ、この機会に鍵をかけてしまおうか。どうせ投稿なんか滅多にしないし、使うとしても三沖の写真を見るくらいだろうから。
フロントに戻ると、三沖が食い入るようにモニターを見つめていた。
「なんか来た?」
「待合んとこ……」
入り口付近には、部屋が空いていない時に待機できる待合スペースが設けられている。そこには簡易的な二人用ソファーもあり、背の高さほどの仕切りもある。もちろん、俺たちは監視カメラで客の様子を確認できる。
三沖が渋い顔をしているのは、そこにいる男女のせいだ。今日は空室がまだまだある。部屋を選ぶパネルの前も空いている。つまり、待合スペースに居られる理由などないということ。
「勝手に座りやがって」
荒い言葉が出てしまった。ただ座っているだけならまだしも、ガビガビの画質でもわかるほど体が密着している。早く止めに行かないと前戯が始まってしまいそうだ。
「言ってくる」
「あっ」
俺は三沖の返事も待たずにフロントを出た。前方から聞こえてくる、キャッキャと耳障りな笑い声にまた腹が立った。わざわざラブホまで来て入り口で済ませようなんて、どういうつもりなのだろうか。
「あはっ、こうくん、こんなとこじゃダメえ」
「でも濡れてんじゃん」
「あの、お客様!」
二人の顔を見るのと同時に声をかけた。どんな人かも確認せずに。
「は?」
ソファーで女の太ももに手を差し込んでいた男がギョロッと鬼のような顔で振り向いた。パッと見、反社。よく見ても、反社。漂うオーラや目つきからして、一般人ではない。
固まった俺に、相手は唾を吐く勢いで「なんだよ」と声を唸らせた。
「お、お部屋はたくさん空いてます。こちらは待合スペースですので、当館ご利用でしたらご移動お願いします」
バカみたいに声が震えた。当然だ。注意することに慣れてない上に、相手がこれなのだから。
「ね、こうくんお部屋いこお」
「ここで見せてやろうぜ」
「やだ、あたしそんな趣味なあい」
砂糖を煮詰めて固めただけの不味い飴みたいな声を響かせた女は、ねっとりとした動きで男の首にしがみついた。どうやら酔っているようだった。
「ったく。じゃあ部屋とって。一番高えとこ」
「……はい?」
一瞬、理解できなかった。聞き返されたことで神経を逆なでしてしまったのか、男は眉根を寄せて舌打ちした。さっきより低い声で同じ言葉を繰り返される。
「あ、すみませんが、お客様ご自身でやっていただく必要がありますので……あちらのパネルへ……」
「はあ? お前がやれよそれくらい」
──お前は何様だよ。
口から出る寸前で声を飲み込み、拳を握る。
「当館の決まりですので、お願いします。あと一番高い部屋はもう空いてません」
途中で声が裏返りそうになった。悔しい。もっと威圧感のある人だったら、もっと背が高くてガタイがいい男だったら。こんな態度の悪い客なんか、すぐに追い返してやれるのに。
昔から、自分は容姿で舐められることがあった。俳優みたいで雰囲気があると言えば聞こえはいいが、悪く言えば地味で目立たない。その上、肌も白くてインドア派っぽい。
反社のようなこの男にとって、俺が気分を害そうが何だろうが、鼻くそよりも気にならない存在なのだ。
「ちっ、使えねえなあ」
「ねえこうくん、他のホテル行こうよお。あたしハニトー食べられるとこがいい〜」
「ハニトー? なんそれ」
「ばりカロリー高いやつう」
「どのホテルだよ」
何故か女ではなく、俺に視線を向けられた。
いつの日か、三沖との会話の中でハニトーの話題が出た記憶がある。何年も前に流行ったデザートで、食パンを丸ごと使ったトンデモ商品だ。
「あ……恐らく、そこの信号を渡って左に曲がったところにあるラブホ……ですかね」
──というか、何で俺がそんなことを知ってる前提で聞いてくるんだ?
ひとり顔を真っ赤にして震える俺を他所に、二人は礼も謝罪もなく、またベタベタ触り合いながら出て行った。
「はあ……うぜえ……」
恐怖心がなかったと言ったら嘘になる。でもそれよりも、舐められたことに対する憤りのほうが強かった。
俺は沸点が低すぎるのだろうか。一般的な大学生なら、怒るほうが疲れるから気にしないと考える人が多い。三沖もそうだ。こういう時、あいつは怠さを隠すこともなく適当に接する。そして“ウザかった”と一言だけ愚痴をこぼして、すぐ忘れる。
それができない自分が酷く子どもっぽいような気がしてきて、自己嫌悪に苛まれた。
「飛間! 大丈夫だった?」
フロントのほうから三沖が駆け寄ってきた。
こんな顔、見せたくない。恥ずかしい。
「ああ」
「さっきの奴、めちゃくちゃヤクザっぽくなかった?」
「……態度もヤバかった」
「だろうな。だからお前が行くとき止めようとしたのに」
「まあ、いいよ。追い返せたから」
「ああいう変な客は気をつけないと。殴られたらどうすんの」
三沖は鼻の穴を膨らませ、顔を顰めて言った。
「……だな」
ささくれ立った心が嘘みたいに静まっていく。さっきまであんなに苛々して仕方なかったのに、三沖が心配して怒ってくれたというだけで──、ニヤけてしまうほど嬉しい。
「この前ゲイに突き飛ばされたの忘れた?」
「覚えてる」
「じゃあもっと危機感もてって。飛間は大人しそうだから舐められるんだよ」
フロントに戻るために歩き出した彼の手を、俺は咄嗟に握った。
「三沖」
「え……?」
こうして手を繋ぐのは幽霊に遭遇した日以来だ。あのとき鼓動が速かったのは恐怖体験のせいだと思っていたが、今考えると三沖にドキドキしていただけだった。
「……筆下ろし、してくれ」




