旧童楽寺トンネル 最終話
どれくらい眠ったのかわからない。
ただ、車の揺れが妙に荒くなったことで目が覚めた。
「光莉、起きた?」
「うん……車の揺れがすごいから」
「春人、安全運転してよね」
「仕方ねえだろ。ここのトンネル、石が多いんだから」
──トンネル?
私は一気に目が冴えた。
「飯口。このトンネルって……」
「ああ、童楽寺トンネルだぞ」
全身に鳥肌が立った。
背中を冷たい手で撫でられたみたいな寒気が走る。
封鎖されているはずのトンネル。
入口も出口もコンクリートで塞がれている。
車が入れるわけがない。
なのに──
私たちは今、その中にいる。
「飯口……車止めて。揺れて吐きそう」
「おいおい、マジかよ。車の中だけは吐くなよ」
「光莉、大丈夫? 袋あるよ」
寧音が心配そうに袋を差し出す。
その優しさが、今は恐怖にしか感じられない。
桂を見ると、呑気に眠っていた。
(……こいつ、本当に何も気づいてないの?)
車が止まったのは、よりにもよって──
洞窟へ続く扉の前だった。
「須賀野、吐くなら降りてくれよ」
「……わかってる」
私は車を降り、辺りを見渡した。
ここは間違いなく、封鎖されたトンネルの中。
外の光は一切なく、車のライトだけが世界を照らしている。
(どうやって……ここに……?)
考える暇もなく、視界の端に“白い影”が揺れた。
洞窟の入口。
そこに──
白い服の女が立っていた。
ゆっくりと、こちらへ歩いてくる。
口が動いている。
何かを言っている。
私は反射的に車へ飛び乗った。
「飯口! 出して!!」
叫んだ瞬間、フロントガラスの向こうに、青い服の子供が二人、マリをついて遊んでいるのが見えた。
「飯口! バック!!」
「は!? 何言って──」
寧音の悲鳴が車内を裂いた。
サイドウィンドウに、白い女が張り付いていた。
その顔は、笑っていた。
歪んだ、壊れた笑みで。
飯口はようやく状況を理解し、叫んだ。
「うわああああああ!!」
車は荒々しくバックし始めた。
石を跳ね、壁に擦り、金属が悲鳴を上げる。
ごめん飯口。
車の修理代、少しは出すから。
だから今は──全力で逃げて。
白い服の女は、バックする車を追ってはこなかった。
ただ、トンネルの奥でじっと立ち、こちらを睨むように見つめていた。
その口が、ゆっくりと動いている。
何かを言っている。
でも、車内には一切届かない。
代わりに──
「おい須賀野! ここって……トンネルの中だよな!? どうやって入ったんだよ!!」
飯口の怒鳴り声が、狭い車内で爆発した。
耳が痛い。
でも、それ以上に胸が痛かった。
「私寝てたから知らない! 寧音と飯口が起きてたんでしょ!? そっちこそ何か覚えてないの!?」
「わからねえ! 窓に張り付いてたあの女を見て……全部思い出しただけだ! 途中の記憶がねえんだよ!」
飯口の声は震えていた。
寧音も同じだった。
「私も……歩いてトンネルに入ったところまでしか覚えてない……なんで車ごとこんなところに……」
寧音の声は泣き出しそうに揺れていた。
その震えが、逆に現実味を帯びていて怖かった。
(……じゃあ、誰が運転してここに入れたの?)
可能性は一つしかない。
私は隣で寝ている桂を見た。
「おい桂! 起きろ!」
「ん……もう朝……?」
寝ぼけている。
この状況で、まだ寝ぼけている。
「それどころじゃない! 幽霊が出たんだよ!!」
「幽霊……? 何の話……?」
私は、反射的に拳を振り上げていた。
ゴッ。
「痛っ!? 何するの!?」
「起きろって言ってんだよ!! 幽霊が出たんだってば!!」
桂は目を丸くして私を見た。
その表情が、あまりにも“普通”で、逆に不気味だった。
(……こいつ、本当に何も覚えてないの?
それとも──)
考える暇はなかった。
飯口が叫んだ。
「須賀野! この先、もし壁だったらどうする!? 車はもったいねえけど……ぶつけるしかねえよな! 言い出したのは俺だし……責任は取る! 全員で脱出するぞ!!」
飯口の声は震えていたが、覚悟があった。
あの時の飯口とは違う。
今の彼は、恐怖に飲まれながらも、必死に現実を掴もうとしていた。
ただ一人──桂だけが、呑気だった。
「この先は大丈夫だよ。僕らが入った方向と反対側だよね?こっちはね……コンクリートに見せかけて木で塞いであるから。車でぶつかれば壊れるよ。ただ──」
桂が何かを言いかけた瞬間。
「本当に木だ! このままぶつかるぞ!!」
飯口が叫び、アクセルを踏み込んだ。
「待っ──」
言い終わる前に、車は木の壁に激突した。
ガンッ!!
衝撃で体が前に投げ出され、私は寧音のヘッドレストに顔をぶつけた。
視界が一瞬白く弾ける。
その一瞬の中で、私は見た。
桂が──口角を上げて、ニヤついていた。
そして、普段と同じ声量で、はっきりと言った。
「……この先は崖だよ」
「飯口!! ブレーキ!!!」
私の叫びは、悲鳴に近かった。
キィィィィィィィィッ!!!
車は横滑りしながらガードレールにぶつかり、ようやく止まった。
衝撃で、私は意識を手放した。
目を覚ましたとき、空は明るかった。
朝の光が、妙に冷たく感じた。
窓をコンコンと叩く音。
ぼんやりと顔を上げると、水色の服を着た警察官が立っていた。
(……助かった?)
私は慌てて車内を見渡した。
寧音は気を失っている。
飯口も同じだ。
二人とも、ヘッドレストに寄りかかったまま動かない。
ただ一人──桂だけがいなかった。
桂の席のドアは開いていて、そこから朝の光が差し込んでいた。
私は、ゆっくりと外を覗き込んだ。
そこは崖だった。
そして──
崖の下の大きな岩に、桂が倒れていた。
頭から血を流し、動かない。
「っ……!」
足が震え、後ずさった。
背後から警察官が肩を支えてくれた。
「こういうことになるからね。心霊スポットに遊び半分で来ちゃだめだよ」
耳元で囁かれたその声は、妙に湿っていた。
私はゆっくりと警察官の顔を見た。
──笑っていた。
桂と同じ、口角を上げた、不自然な笑みで。
後日談
私は無傷だった。
寧音も飯口も、骨折や打撲で通院が必要だったが、命に別状はなかった。
ただ──
二人とも、旧童楽寺トンネルのことをほとんど覚えていなかった。
寧音は、桂の存在すら「そんな人いたっけ?」と言った。
飯口も同じだった。
あの夜だけの関係だったはずなのに。
忘れられるはずがないのに。
そして、二人は戻ってきてからどこかおかしくなった。
寧音は突然ギャルになりたがり、飯口は急に陰気になった。
まるで、人格の一部が入れ替わったみたいに。
私は二人と距離を置くようになった。
あの夜のことを、忘れないために。
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