旧童楽寺トンネル 第4話
トンネルの出口が見えた瞬間、飯口は勢いよく外へ飛び出した。
だが──
「うわっ!」
飯口は何かに躓き、山肌を転げ落ちていった。
木に引っかかって止まったが、危なかった。
私は慎重に外へ出た。
「飯口、大丈夫?」
振り返った瞬間、私は息を呑んだ。
飯口が躓いた“何か”──
それは、地面に倒れている桂の足だった。
「桂! こんなところで何してるの!」
桂は頭を押さえながら起き上がり、大きな欠伸をした。
「……あれ? 須賀野さんこそ、何してるの?」
呑気すぎる。
状況が理解できていない。
「早く立て。今は逃げるぞ」
「え、あ……うん……?」
説明している時間はない。
寧音を助けるためにも、まずは電波の届く場所まで行かないと。
「飯口、車まで行くぞ!」
「ああ……!」
三人で車へ向かったが、飯口が突然立ち止まった。
「鍵が……ない!」
ポケットを裏返しても、どこにもない。
照らしても見つからない。
(……最悪だ)
「ここで時間使う方が危険。走って下る!」
私が言った瞬間──
「おい!」
飯口の叫び声。
振り返ると、飯口の背後に白い女が立っていた。
その髪が、蛇のように伸びて飯口の体に巻きついている。
「助けて……!」
飯口は必死に叫んだ。
でも、あれに近づくことなんてできない。
私は桂の腕を掴み、山道を駆け下りた。
飯口の叫び声が、闇に吸い込まれていく。
息が焼けるように熱かった。
肺の奥が擦り切れるみたいに痛むのに、足は止まらない。
止まった瞬間、背後から“あれ”が追いついてくる気がして、恐怖が脚を勝手に動かしていた。
夜の山道は、昼間とはまるで別の生き物だった。
湿った土の匂いが濃く、木々の影は黒い壁のように道を挟み込んでいる。
スマホのライトが照らす範囲だけが、かろうじて“現実”として存在していて、その外側はすべて闇に飲まれていた。
そんな中、私の前を走っていた桂が突然立ち止まった。
「何してる……早く……降りないと……」
喋った瞬間、喉がひりついた。
声が自分のものじゃないみたいに掠れている。
桂は私の方を見ず、周囲をじっと観察していた。
その横顔は、いつもの気弱さとは違って、妙に静かで、妙に冷静だった。
そして、近くの木の枝を一本、ためらいなく折った。
「……何してるの?」
「行こう」
それだけ言って、また走り出す。
説明はない。
けれど、あの時の桂の背中には、言葉よりも強い“確信”のようなものがあった。
私は考える余裕もなく、その背中を追った。
元運動部と帰宅部の差は、こんなときに残酷なほど出る。
足は鉛のように重く、肺は破れそうで、視界の端が白く滲む。
(吐きそう……でも、桂にだけは見られたくない)
くだらないプライドだとわかっている。
でも、今の私はそれにすがるしかなかった。
背後で、飯口の姿が脳裏に浮かぶ。
白い女の髪に絡め取られた、あの瞬間。
(……飯口、どうなったんだろう)
考えたくないのに、考えてしまう。
寧音のことも。
あの暗闇の奥に消えたまま、戻ってこない。
(ダメだ。今は考えるな。まずは電波の届くところまで……)
しばらく走り続けていると、桂がまた足を止めた。
「やっぱりだ」
桂は一本の木に近づいた。
その枝の先が折れている。
まだ乾いていない。
折れたのは、ついさっき。
桂はポケットから小さな枝を取り出し、折れた部分に合わせた。
ぴたりと一致した。
「どういうこと……?」
「わからないけど、僕らは……ただ降りてるわけじゃない」
山道は一本道。
脇道なんてほとんどない。
ずっと下り坂で、迷う要素なんてない。
なのに──
「同じ道を……走らされてるってこと?」
「だろうね。でなければ、もう麓に着いてるはずだよ」
背筋が冷たくなった。
現実にそんなことがあるわけない。
でも、目の前の事実がそれを否定している。
「印をつけるもの、持ってない?」
「……マーカーなら」
「それでいい。ガードレールに書いていこう」
「それ……まずくない?」
「トンネルの壁壊した時点で、もう手遅れだろ」
(……こいつ、本気で犯罪だと思ってなかったのか)
呆れながらも、私はマーカーを渡した。
桂はローマ数字のように、縦線を一本引いた。
少し走って、二本。
五本目で丸をつけ、また線を増やす。
ガードレールが途切れれば木に。
左右に書くと探すのが大変だから、左側に統一して。
書いては走り、書いては走り──
何度も、何度も。
そして。
「……戻ってきた」
私が最初に書いた“大きな1”のガードレールが、目の前にあった。
(やっぱり……ループしてる)
「これ抜け出すには……幽霊倒すとかじゃないよね」
「ゲームじゃないから、そんなことは……ないと信じたいけど……」
桂の声は弱かった。
私も同じだ。
現実が、現実じゃなくなっていく。
「電波は?」
「ずっと圏外。変わらない」
「畦道を降りる?」
「危険すぎるよ。夜行性の動物もいるし……」
「じゃあどうするの」
「案ってほどじゃないけど……別のこと試すとか……」
「脱出ゲームじゃないんだよ。そんな時間ない」
「だよね……じゃあ、ループした時点で戻るとか……」
「トンネルの前に戻されるだけだろ」
「あ……そっか……」
(……こいつ、本当に大丈夫か?)
疲労と恐怖で、頭がまともに働かなくなっているのは私も同じだった。
そして、私たちはまた、同じ道を降り始めた。
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