旧童楽寺トンネル 第3話
私は最初、また何かふざけているのかと思った。
けれど、桂の表情は真剣だった。
飯口が戻ってきて、壁をスマホで照らす。
「何もねえぞ。本当に風が来たのか?」
「うん……通ったときに、確かに感じたんだ」
桂は壁に手を当て、軽くノックした。
コン、コン──
乾いた音が響く。
そして、ある一点だけ、音が違った。
高い。軽い。空洞の音。
私は背筋が冷たくなるのを感じた。
(……やめてよ。そういうの)
寧音が言っていた“防空壕”の話が、頭の中でよみがえる。
こんな古い、短いトンネルに待避所なんて作らない。
農業用の倉庫でもない。
ここは山の中腹。
畑を作る場所じゃない。
残る可能性は──ひとつ。
「ここ、音が違う。何かあるね」
桂が言った瞬間、飯口の目が輝いた。
「金属っぽいな。扉かもしれねえ!」
「どこか穴が空いてないか探してみよう」
二人は壁を触り、叩き、なぞり、まるで宝探しみたいに夢中になっていた。
私は、ただ静かに見ていた。
嫌な予感しかしなかった。
そして──
「ここだ!」
飯口が床近くに手を当てた。
そこから、確かに微かな風が吹き出していた。
桂も手を当て、目を細める。
「本当だ……ここからだ」
二人は迷いなく壁を蹴り始めた。
この場所の壁は特に脆く、レンガが簡単に崩れ落ちる。
そして、崩れた奥から現れたのは──
赤茶色に錆びた、古い鉄の扉。
「寧音の言った通りだ! 本当にあったんだ!」
飯口は興奮で声が裏返っていた。
桂が扉の中央を指差す。
「でも……南京錠で閉ざされてるよ」
(よかった……これで諦めるだろ)
私は心の中で安堵した。
けれど、その安堵は一瞬で砕かれる。
桂が、何かを思いついたように手を打った。
「開けられるかもしれない」
「まじで!?」
「うん。春人、手伝って」
二人は南京錠の輪に指をかけ、左右から力いっぱい引っ張った。
(そんなので壊れるわけ──)
バキンッ。
乾いた音がトンネルに響いた。
南京錠は、錆びついていたせいで、あっけなく折れた。
「やった! 開けるぞ!」
飯口は扉に手をかけた。
ギギギ……と、錆びた金属が悲鳴を上げる。
扉の向こうは、真っ暗だった。
トンネルよりも狭く、湿った空気が流れてくる。
洞窟のような、冷たい匂い。
「よし、行くか」
飯口が一歩踏み出す。
寧音が続き、桂も入ろうとした。
私は桂の肩を掴んだ。
「順番変わって。寧音の後ろがいい」
桂は驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「わかった」
私は寧音のすぐ後ろについた。
何があっても、寧音だけは守らないといけない。
「桂がいない!」
私が叫んだ瞬間、洞窟の空気が変わった。
湿った冷気が、肌にまとわりつくように重くなる。
飯口は、私の言葉を半信半疑で聞き返した。
「は? そんなわけ──」
けれど、振り返った飯口の顔が、次第に強張っていく。
そこには、桂の姿がどこにもなかった。
洞窟は一本道。
分岐も隠れ場所もない。
私たちはずっと列になって歩いていた。
桂が消えるなんて、ありえない。
「きっと俺たちを脅かすために隠れてるんだろ」
飯口は軽く言った。
その軽さが、逆に不気味だった。
(そんなわけないだろ……)
桂はふざけるタイプじゃない。
真面目で、空気を読むのが下手で、悪戯なんて絶対にしない。
高校三年間、同じクラスで見てきた私が言うんだから間違いない。
「飯口。この先どうせ水没してるから、今のうちに戻ろう。桂の件もあるし」
私は必死に言った。
恐怖ではなく、理性からの提案だった。
だが、飯口は首を振る。
「行ったこともねえのに水没してるってわかるかよ。見てみないとわかんねえだろ。桂だって、そこら辺に隠れてるだけだ」
(……ダメだ。こいつ、完全に冷静さを失ってる)
桂の性格を知っている私からすれば、飯口の言葉は全部間違っている。
でも、今の飯口には何を言っても届かない。
「俺は進むぞ。須賀野はどうする?」
「私はここで待つ。寧音は?」
「わ、私は……春人と行くよ……」
寧音の声は震えていた。
怖いのに、それでも飯口の後を追う。
その健気さが、逆に胸を締めつけた。
「じゃあな。戻りたくなったら勝手に戻れよ」
飯口と寧音は、暗闇の奥へと消えていった。
その背中が見えなくなるまで、私はじっと見つめていた。
──五分後。
洞窟の奥から、悲鳴が響いた。
「うわあああああああああ!!」
飯口の声だ。
その直後、足音がこちらへ向かってくる。
走る音。
転びそうなほどの勢い。
光が揺れながら近づき、私の目の前で止まった。
「須賀野! 出たんだ! 逃げるぞ!」
飯口は息を切らし、膝に手をついていた。
顔は蒼白で、汗が滝のように流れている。
──寧音の姿がない。
「飯口……寧音は……どこ……?」
声が震えた。
喉が乾いて、言葉がうまく出ない。
「おい須賀野! しっかりしろ! 今は逃げるぞ! 本物の幽霊が出たんだよ!」
幽霊──
その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
飯口が私の手を掴み、無理やり入口の方へ向ける。
その一瞬、私は見てしまった。
白い服の女。
青い服の幼い少年。
そして──女の、歪んだ笑み。
あれは、人間の顔じゃなかった。
「悪い飯口……寧音はあとで絶対助けに行く……今は逃げよう!」
「……ああ!」
私たちは振り返らずに走った。
振り返ったら、あの笑みがまた目に入る気がして、怖くて仕方なかった。
洞窟を抜け、扉を閉める余裕もなく、トンネルの入り口へ向かう。
足元の小石に何度もつまずきそうになる。
歩いているときには気づかなかったが、崩落の危険は本物だった。
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