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ホラー短編集  作者: 倉木元貴


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同じ夢を見る小屋 第4話

 午後になると、空はどんよりと曇り始めた。山の天気は変わりやすい。だが、その曇り空はただの天候の変化ではなく、何かが近づいている前触れのように思えた。

 和也は小屋の窓から外を眺めながら、胸の奥に広がる不安を抑えきれずにいた。


 北山の死。夢と現実の一致。管理人の奇妙な態度。

 それらがひとつの線で繋がり始めている気がした。


 夕方、管理人が声をかけてきた。


「新居見さん、少し手伝ってもらえませんか?」


 和也は振り返った。管理人はいつもの柔らかい笑みを浮かべていたが、その目はどこか焦っているように見えた。


「薪を割りたいんですが、ひとりだと時間がかかってしまって」


 その言葉に、和也の胸がざわついた。

 昼間、裏手で聞こえた“誰もいないのに薪を割る音”。

 あれは何だったのか。


 だが、断る理由もない。和也は頷いた。


「わかりました。手伝います」


「助かります。裏に回りましょう」


 管理人は先に歩き出した。和也はその背中を見つめながら、どこか違和感を覚えた。歩き方が妙に軽い。北山の死で動揺しているようには見えない。むしろ、何かを決めた人間のような、そんな足取りだった。


 小屋の裏手に回ると、薪が積まれ、斧が地面に置かれていた。だが、そこには誰もいなかった。昼間と同じ光景だ。


「斧はそこにあります。拾ってください」


 管理人の声が背後から聞こえた。


 和也は振り返った。


 管理人は、斧を持って立っていた。


 その表情は、もう笑っていなかった。

 目は細く、口元は固く結ばれ、頬の筋肉がわずかに震えている。

 その顔は、怒りとも恐怖ともつかない、異様な緊張に満ちていた。


「……管理人さん?」


 和也が声を出した瞬間、管理人は一歩踏み出した。


「噂を……広められると困るんですよ」


 その声は低く、押し殺したようだった。


「噂……?」


「あなた、聞いたでしょう。北山さんから。あの部屋のことを」


 管理人は斧を握り直した。

 その動きは、薪を割るためのものではなかった。


「ここで寝た人間は、みんな夢を見る。あの夢を。あれは……“呼ばれる”んです。森に。あの場所に」


 和也は後ずさった。足が土に沈む。


「北山さんも……呼ばれたんですか?」


「ええ。あの人は、もう何度も来ていた。だから、ああなるのは時間の問題だった」


 管理人の声は淡々としていた。

 まるで、北山の死が“自然なこと”であるかのように。


「でも……あなたは、どうして……」


「噂が広まると困るんです。ここは、静かでいい場所なんですよ。余計な人が来ると……あれが喜ぶ」


 “あれ”。

 管理人はそう言った。


 和也の背筋に冷たいものが走った。

 夢の中で追ってきた“何か”。

 あの黒い影。

 あれを、管理人は知っている。


「だから……あなたにも、ここで消えてもらわないと」


 管理人は斧を振り上げた。


 和也は反射的に身を翻し、地面に転がった。斧が振り下ろされ、土が跳ねる。乾いた音が響き、和也の耳が震えた。


「やめてください!」


「無理です。あなたはもう“見た”。夢を見た人間は、放っておけない」


 管理人は斧を引き抜き、再び構えた。

 その動きは迷いがなく、まるで長い間この瞬間を待っていたかのようだった。


 和也は立ち上がり、裏手の森へ走り出した。

 背後で管理人の足音が追ってくる。

 斧が風を切る音が、耳元で鳴った。


 背後から、管理人の声が響いた。


「逃げても無駄ですよ! ここは私の庭だ!」


 その声は、怒りでも狂気でもなく、確信に満ちていた。


 和也は振り返らず、ただ前へ走り続けた。

 だが、森の奥で、何かが揺れた。


 黒い影。

 夢で見た“あれ”が、木々の間に立っていた。


 和也は息を呑んだ。

 だが、影はすぐに消えた。


 管理人の足音が近づく。

 和也は再び走り出した。


 森は、もう逃げ場ではなかった。


 森の中は薄暗く、昼間だというのに光がほとんど届かなかった。木々が密集し、枝が絡み合い、まるで森そのものが和也を閉じ込めようとしているようだった。足元の落ち葉は湿って滑りやすく、走るたびに靴が沈む。


 背後から、管理人の足音が迫ってくる。


 和也は振り返らず、ただ前へ走った。だが、森の奥で何かが揺れた。


 黒い影。

 夢で見た“あれ”が、木々の間に立っていた。


 和也は息を呑んだ。影は人の形をしているようで、していない。輪郭が揺れ、形が定まらない。まるで闇そのものが立ち上がったようだった。


 だが、次の瞬間、影はふっと消えた。


 和也は走り続けた。だが、胸の奥に冷たいものが広がっていく。夢の中で追われたときと同じ感覚。背後に“何か”がいる。管理人だけではない。もっと深い、もっと古い何かが、この森にはいる。


 足元の落ち葉が滑り、和也は転びそうになった。木の幹に手をつき、息を整える。だが、背後から管理人の足音が近づいてくる。


「新居見さん……諦めてください……!」


 管理人の声が、すぐそこまで来ていた。


 和也は再び走り出した。だが、森の斜面が急になり、足元が不安定になる。木々の影が揺れ、視界が歪む。夢の中で見た景色と重なり、現実感が薄れていく。


 そのとき、斧が風を切る音がした。


 和也は反射的に身をかがめた。斧が頭上をかすめ、木の幹に深く突き刺さった。木が震え、葉が落ちる。


「くそっ……!」


 管理人が斧を引き抜こうとする。だが、刃が木に深く食い込み、なかなか抜けない。その隙に、和也は斜面を滑り降りた。


 土が靴にまとわりつき、身体が前へ投げ出される。木の根に足を取られながらも、必死にバランスを保つ。背後で管理人が叫ぶ声が聞こえる。


「逃げるなぁっ!」


 和也は斜面を転がるようにして下り、ようやく平坦な場所に出た。そこは細い山道だった。人が歩いた跡があり、土が固く踏みしめられている。


 助かった――そう思った瞬間、背後から石が飛んできた。


 ゴッ。


 足に激痛が走り、和也は前のめりに倒れた。膝が土にぶつかり、手のひらが擦りむける。痛みで視界が揺れた。


「終わりです、新居見さん」


 管理人が斜面を下りてくる。斧を握りしめ、ゆっくりと近づいてくる。息は荒いが、目は異様に静かだった。


「あなたがここで死ねば……噂は広まらない。あれも……満足する」


 管理人は斧を振り上げた。


 和也は必死に後ずさった。だが、足が痛み、身体が思うように動かない。斧の刃が太陽の光を反射し、冷たい光を放つ。


 その瞬間――。


 風が吹いた。


 強烈な風だった。森の奥から吹き抜け、木々を揺らし、落ち葉を巻き上げる。だが、その風は自然のものではなかった。風の中心に、何かが“いる”気配がした。


 管理人の足が滑った。


「うっ……!」


 斜面の土が崩れ、管理人の身体が傾く。斧を支えにしようとしたが、風がさらに強く吹きつけ、管理人の身体を押し出した。


「やめ……!」


 管理人は叫び声を上げ、斜面を転がり落ちていった。斧が手から離れ、空中で回転しながら落ちていく。管理人の身体は木々にぶつかりながら、崖の方へと吸い込まれていった。


 やがて、鈍い音が響いた。


 和也は息を呑んだ。風が止む。森が静まり返る。


 助かった――そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 風ではない。

 あれは、風ではなかった。


 森の奥で、黒い影が揺れた。

 夢で見た“あれ”が、木々の間に立っていた。


 和也は震えながら後ずさった。影は動かない。ただ、そこに“いる”。その存在が、森の空気を歪めている。


 耳元で、囁きがした。


――まだだよ。


 和也の視界が揺れた。

 夢と現実の境界が、完全に崩れ落ちていく。

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