砂利と猫 第1話
これは、僕が高校一年生の秋に体験した出来事だ。
夏休みが終わってからというもの、生活リズムを整えようと、僕は毎晩二十二時半には布団に入るようにしていた。眠りにつくまで三十分ほどかかるのが常で、実際に寝るのは二十三時ごろ。そんな生活を続けていたから、夜中に目が覚めることはほとんどなかった。
だが、その夜だけは違った。
布団に入ってから一時間以上経っても眠れず、目を閉じているのに意識だけが冴えていく。寝返りを打って深呼吸しても、眠気はまるで訪れない。時計を見るのは避けた。光を浴びれば余計に眠れなくなると知っていたからだ。
喉が渇いて、水を飲みたくなった。
起き上がるのは面倒だったが、眠れないまま布団にいるのも苦痛だ。僕はスマホを置き、防災用の小さなライトを手にして階段を降りた。家は古く、夜中に電気をつけると家族を起こしてしまう。だからライトだけで十分だった。
階段を降りきったところで、ふと玄関の方に目が向いた。
すりガラス越しに、外灯の光が揺れている。
風か、虫か、あるいは野良猫だろう。田舎では珍しくない。僕は気にせず台所で水を飲み、部屋に戻ろうとした。
その時だった。
玄関の外灯が“消えなかった”。
あの外灯はセンサー式で、一分ほどで自動的に消える。虫が飛んでも、猫が通っても、必ず一度は消える。
だが、今日はずっと光り続けている。
気になって、玄関のすりガラス越しに外を見た。
光は揺れている。
風のせいかもしれない。
そう思って一分数え、さらに二十秒の余裕をつけた。
消えない。
もう一度数える。
消えない。
胸の奥がざわついた。
誤作動だ。そう思い込むしかなかった。
だが、すりガラスの向こうで揺れる光は、まるで“誰かが立っている”ようにも見えた。
翌朝は寝不足だったが、学校では普段通りに過ごせた。
ただ、授業中にふとした瞬間、昨夜の外灯の光が頭をよぎった。
あの“消えない光”が、まるで僕を見つめていたような気がしたのだ。
そんなはずはない。
そう思いながらも、胸の奥に小さな棘のような違和感が残っていた。
その夜、僕は二十三時に布団に入った。
昨日の寝不足があるから、今日はすぐに眠れるだろうと思っていた。
実際、目を閉じて数分も経たないうちに意識が沈んでいった。
だが――また一時半に目が覚めた。
昨日と同じ時間。
まるで目覚まし時計のように、ぴたりと。
喉は渇いていない。
トイレにも行きたくない。
ただ、眠れない。
目を閉じてじっとしていると、廊下の方から“コツ…コツ…”と音がした。
家鳴りだろうか。
古い木造の家ではよくある。
だが、音は一定の間隔で続き、少しずつ近づいてくる。
歩いているような音だった。
家族は全員寝ている。
こんな時間に廊下を歩く理由はない。
それに、歩くなら目的地があるはずだ。
なのに音は、僕の部屋の前と階段の方を往復している。
耳を塞ぎたかったが、逆に音が鮮明に聞こえそうで怖かった。
目を閉じていると、音だけが際立つ。
眠れないまま、いつの間にか意識が途切れ、朝になっていた。
学校から帰ったあと、僕は廊下を歩いてみた。
僕の体重は七十キロを超えている。
歩けば床はギシギシ鳴る。
だが、昨夜の音はもっと軽く、もっと規則的だった。
廊下の先には仏間がある。
普段は使わない部屋だ。
恐る恐る扉を開けると、そこには黒い猫がいた。
僕を見るなり、猫は窓から飛び出していった。
猫が迷い込んでいたのか。
そう思えば説明はつく。
だが、その夜もまた一時半に目が覚め、廊下から足音が聞こえた。
猫はいないはずなのに。
音はゆっくりと、僕の部屋の前で止まり、また離れていく。
風が強く、家全体が軋んでいた。
その軋みの中に、確かに“誰かの歩く音”が混じっていた。
眠れない夜が続いた。
ある日、足音が外に移った。
砂利を踏む音が、窓の外から聞こえる。
こんな田舎で、夜中に人が歩くことはまずない。
泥棒かと思ったが、窓を開ける勇気はなかった。
その翌日、僕は久しぶりにぐっすり眠れた。
だが、妙な夢を見た。
通学路で白いワンピースの女性に呼び止められ。
「佐伯さんの家に行きたくて」
と言われる夢だ。
佐伯という家は、この辺りにはない。
ただ一つ、町外れの廃屋の表札が佐伯だったことを思い出した。
夢は夢だ。
そう思って忘れようとした。
夢のことを忘れようとしていたその夜、僕はまた二十三時に布団へ入り、眠気が来るのを待った。
昨日はぐっすり眠れたから、今日も大丈夫だろう。そう思っていた。
だが、眠りについたのは覚えているのに、またしても一時半に目が覚めた。
暗闇の中で、胸の奥がざわつく。
昨日の夢のせいかもしれない。
そう思い込もうとしたが、耳が勝手に外の音を拾ってしまう。
――ザリ…ザリ…。
砂利を踏む音だ。
ゆっくりと、家の周りを回るように聞こえる。
猫かもしれない。
そう思ったが、昨日畑で見た三毛猫は、砂利の上を歩いてもほとんど音を立てなかった。
では、この音は何だ。
音は一定のリズムで続き、時折止まり、また動き出す。
まるで“誰かが立ち止まって、こちらを見ている”ような間がある。
怖くて、布団の中で息を潜めた。
耳を塞ぎたいのに、塞いだら逆に音が近づく気がしてできなかった。
やがて、砂利の音が止んだ。
その静けさが、逆に不気味だった。
しばらくして、今度は廊下の方から音がした。
――コツ…コツ…。
まただ。
猫はいないはずなのに。
音はゆっくりと、僕の部屋の前で止まる。
そして、しばらく動かない。
息を止めていると、心臓の音だけがやけに大きく聞こえた。
その鼓動に合わせるように、廊下の床がわずかに軋む。
誰かが、そこに立っている。
そう確信した瞬間、背筋が凍りついた。
やがて足音は離れていき、階段の方へ向かった。
その後は何も聞こえなくなった。
朝になり、僕は恐る恐る廊下を確認した。
もちろん誰もいない。
だが、廊下の中央あたりの床板が、昨日よりも深く沈んでいるように見えた。
気のせいだろうか。
そう思いながらも、胸のざわつきは消えなかった。
その日の放課後、僕は家の周りを歩いてみた。
砂利の上には、猫の足跡らしきものがいくつかあった。
だが、それとは別に、妙に深く沈んだ跡が点々と続いていた。
人間の足跡に近いが、形が曖昧で、輪郭がぼやけている。
まるで、重さだけが残ったような跡だった。
その夜、僕は布団に入るのが怖かった。
だが、眠らなければ明日が辛い。
無理やり目を閉じて、眠気が来るのを待った。
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