『ラストクリスマス』5
十一月一日
こんなに待ち望んでいない朝はない。中学生の時初めてやった採血日の朝と、会社でミスをした翌日の朝を五乗しても足りないくらいに気が重い。
そんな日に限っていつもより三十分も早く目が覚めてしまった。カインの寝顔はいつもと変わらない。
このまま見ていたいけれど体がカフェインを求めている。
普段より豆を五グラム多めに挽いた。お湯の温度も三度ほど上げた。そしていつも以上にゆっくりと時間をかけて珈琲を淹れた。今は無性に濃い珈琲が飲みたい気分だった。
今日は、INC計画の抽選発表日だ。時計を見ると五時四五分。結果が分かるのは十時だ。一秒の進む速度が昨日より、遅くなっている。
二十五歳の総人口約百万人の中から八・八パーセントが選出される。約八八〇〇〇人。
この「八・八パーセント」がどれだけ検索されたことだろう。もちろん僕も、何度も調べた。百人中約九人。プレゼントの抽選とかそういうものだったら低いって思うかもしれない。
けれど、徴兵となるとその確率は、あまりにも高く思えた。選ばれた人には体内チップが音で知らせるらしい。聞こえなかったふりをしても、逃れられない。
そんなことが何度も国会から発表された。
ベランダに出ると外の景色は色を失い始めていた。冬の気配が漂ってくる。一人で珈琲を飲みながらただぼんやりしていると、気分が落ちてくる。
楽しいことを考えようと今日のパーティーの段取りをたてた。パーティーと言ってもふたりで小さく祝うだけだ
【僕たちは、抽選には当たらなかったパーティー】
僕たちの無事を祝って楽しく過ごそう。当たった人たちには申し訳ないけれど。今日は月曜なのにふたりとも仕事を入れなかった。仮にも選出されたら働くどころじゃないからと思ってそうした。
「だーれだ」
ベランダの扉が開くと同時に視界が真っ黒になった。背後から抱きしめられて背中にぬくもりを感じる。
「朝から発情しているカインかな」
「してないわっ、そんなに……」そう言ってギュっと抱きしめてきた。
「紅茶飲む?」と聞くと腕を離して隣に並んで外を眺める。
「今日は珈琲でいいかな」
「珍しいね」
「なんか、そういう気分なの」僕の手からカップを掴んでそれを飲んだ。そして顔をしかめた。
「にがい…アベルの味だ」
「どんな味だよ」と返すとカインは唇にキスをしてきた。
「こんな味」悪戯っぽく微笑む顔が鼻先に触れるくらい近い。そして今度は僕からキスをした。
「寒い…」
熱烈なキスに夢中になったせいで体は冷え切っていた。
「お……おふとん、入ろ……」とカインに手を引かれて布団の中へ戻った。体を寄せ合って体温を取り戻した。唇を重ねて不安な気持ちを消し去った。その行為に現実から逃れるように夢中になった。
携帯のアラームに起こされた。二度寝をしてしまっていたようで本日二度目のカインの寝顔が目の前にある。ポケットから携帯を取り出すと抽選発表まで残り三十分だった。カインの体をゆすり起こす。
「寝坊助おはよう」
今度は紅茶も淹れて、カインが起き出てくるのを待った。時計は九時三十八分。結果が分かるまで残り二十二分だ。起きてきたカインに紅茶を渡してテレビをつける。
ニュース番組には「抽選発表まであと二十分」と、親切にもカウントダウンが表示されていた。
「年越しじゃないんだから……」とカインは言った。
一分、また一分、カウントされるたびに、レンガが体に一つまた一つと乗せられるように重くなっていく。珈琲を飲んで、向かい合って座るカインの手を握った。
「仮にさ、ふたりとも当選しちゃったらどうする?」言葉にするとそうなってしまいそうで怖かった。だけど抑え込めなかった。握られていた手が一瞬強くなった。
「徴兵されたとして何をするのかまだ分かっていないけれど、仮にそうなったとしても一緒に居られるならまだいいかなって思う。けれど離れ離れになるなら逃げだす道を、どうにか探すしかないよね。僕はアベルと離れたくない」と言って真っすぐに僕を見つめてきた。
「大丈夫」とカインが言った。
「大丈夫」と僕も行った。
だけど努力も願いも意味は無い。これはただの運勢次第だ。残り八分。リビングのソファに移動して手をつないだ。
「どんな通知音なんだろう」
「……」カインは答えなかった。ただギュっと手を握る力が強くなっただけだった。残り一分。手はお互いに冷たくなっていた。
十時〇〇分。目を閉じた。……何も聞こえない。外れたのか。カインを見るとまだ、目を閉じていた。握る手に力を入れると、カインが目を開けてほほ笑んだ。その顔に一気に安堵感が流れ込んできた。
よかった、と抱きしめるとその体は震えていた。
「カイン……?」
「選出者になった……」
その言葉が頭の中でリピートした。言葉の意味を理解するまでに時間がかかった。理解すると今度は頭の中が真っ白になった。
泣きたいのはカインなはずなのに、先に涙があふれ出したのは僕だった。カインはそんな僕を黙って抱きしめて背中を撫で続けてくれた。泣き疲れて涙が出なくなるまで。
嫌なことがあったら眠りたくなる。僕は意識を失うしかできなかった。




