『親友の死んだ理由』2
これを書く理由になったレイヤとは親友?というほどに最近は連絡を取っていなかった。
だけど小学生のころはよく遊んで、当時は親友といっても過言ではなかった。お互いに僕たちは親友だと言いあった熱い関係ではないけれど、他の誰から見ても僕たちの関係は親友としか見えない関係だった、一緒に遊んで、一緒に帰って、お互いの家に泊まったりもした。
たまには他の友達も混ざることもあったけれど基本的には二人で遊んだ。一緒にいすぎて考えることも双子みたいに一致した。何して遊ぶか同時に言えば、鬼ごっこや将棋と意見がずれることはない。泊まりに行った時に何を食べたいか聞かれると、カレー、ハンバーグとレイヤと声を揃えて言った。もちろん打ち合わせなしでだ。一緒に風呂にも入っていたしパンツだって互いのものを履いても気にならなかった。喧嘩をした時も謝り出すのは同じタイミングで、好きになる女の子も一緒だった。それくらい僕たちは一致していた。
同じ地元の中学に進学して、高校は別の学校だったけれどレイヤとは月に一度は少なくとも遊んでいた。高校を卒業すると僕は関東の大学に進学した。建築系の大学だ。レイヤは地元の企業に就職したけれど、会えない距離になってもレイヤはたまに連絡をくれた。大学の事とか、友達はできたかとか、ちゃんと飯は食っているかとか、母親みたいな心配をしてきた時期もあった。『心配しなくても大丈夫、僕はよくやっているよ』と返した。
だけど思い出せない。いつからだろう。レイヤと遊ばなくなったのは。レイヤと会わなくなったのは。レイヤのことが分からなくなったのは。いつからだろうか。レイヤから連絡が来なくなったのは。
僕はノートを閉じてキャリーケースに数日分の着替えと充電器を入れた。ノートも何となく最後に入れた。正直、レイヤのお葬式に行くか迷った。呼ばれていないような気がしたからだ。死ぬ前に相談も何も無かったのはもう僕の事なんか必要ないというようで、行きたくなかった。
だけどレイヤの死んだ理由が気になった。それが分かる手がかりが何かあるかもしれない。僕は上司に、知り合いに不幸があったので三日ほど休みますと連絡を送った。どうせ、そんなことで休むなと言ってくるはずだ。まあいい、死にたいくらいなら辞めてやる。
東京駅へ向かう東海道線は帰りのラッシュ時とは比べ物にならないくらいに空いていた。いつもは座ることができないから、扉側の一番端の席に座った。車両の中には僕と、向かい側の窓に映るやつれた僕だけだった。




