第6章:実力テストの予感
5月中旬の月曜日、ゴールデンウィークも終わり、授業が再開して2週間が経っていた。梅雨入り前の蒸し暑さが教室に漂う中、窓際から差し込む朝日が黒板に反射して眩しい。
「おはよう」
教室に入ってきた三村誠司の表情には、いつもの温かさとは違う緊張感が漂っていた。彼は眼鏡を直し、教壇に立つと一瞬教室を見渡した。その視線の重みに、自然とクラスの私語が消えていく。
「来週、第一回実力テストを実施します」
その言葉に教室内が一瞬で静まり返った。
「これはスキルの基本的な制御力を測るだけでなく、皆さんの潜在能力を引き出す重要な機会です。単なる評価ではなく、可能性を見出すための試験だと考えてください」
陽斗は隣の席の佐藤翔太を見た。彼は既に目を輝かせ、わくわくした表情を隠せないでいる。一方で水城美咲は、冷静にノートにテスト内容の要点を書き留めていた。
「今回は特別に、月城響先生も審査に立ち会われます。彼は古代スキル研究の第一人者であり、特にAIスキルに詳しい方です」
教室がざわめいた。月城響の名前は、特殊な研究をしている変わり者として有名だった。陽斗は胸の奥でアルティスが微かに反応するのを感じた。
「なぜ月城先生が...?」
思わず呟いた陽斗の視界の端で、神崎零が無表情ながらも注意深く聞き入っているのが見えた。彼の隣では九条深月が小さな微笑みを浮かべ、カルテのように何かをノートに記録している。
「実力テストの内容については、基本スキル制御、応用能力、そして——」三村は一瞬言葉を切り、意味深に続けた。「予測不能な状況への対応も含まれます」
陽斗は自分の左胸に手をやった。そこにはアルティスの存在を示す小さな青紫の光の点がある。
「陽斗さん、私も緊張しています」
アルティスの声が心の中に響く。二週間前にLevel 2に到達したばかりで、まだ十分に能力を把握しきれていない。
「大丈夫だよ、一緒に乗り越えよう」と陽斗は心の中で応えた。
「テスト内容の詳細は追って連絡します。皆さん、しっかり準備してください」
三村の言葉が終わると同時に、ざわめきが教室全体に広がった。陽斗は深く息を吐き出した。アルティスとのレベル上昇後初めての公式評価。何が待ち受けているのか、不安と期待が入り混じる感情が胸を満たしていた。
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「実力テストかよ!待ちきれねえな!」
昼休み、いつもの屋上で佐藤は拳を突き上げて叫んだ。晴れ渡った空に向かってそのエネルギーをぶつけている。しかし陽斗には、その声の奥にある微かな緊張感が聞き取れた。
「あなたたちのスキルタイプからすると、試験内容は多様な課題が予想されるわ」
水城は眼鏡を指で軽く押し上げながら、タブレットに表示されたデータを分析していた。
「過去の実力テストの記録から推測すると、成功率は...」
「そういうの言わないでくれよ」と佐藤が水城の分析を遮った。「数字で言われると余計緊張するんだ」
水城は珍しく眼鏡を外し、直接佐藤の目を見た。「実は私も...少し不安なの」
その意外な告白に、佐藤も陽斗も驚いて水城を見つめた。いつもなら自信満々に確率や統計を並べ立てる彼女が、弱みを見せるのは珍しかった。
「データライブラリの解析能力は完璧だけど、瞬時の判断とか...感情が絡む状況だと、うまくいかないことがあるから」
陽斗は水城の言葉に静かに頷いた。「僕も心配なんだ。アルティスとはだいぶ連携が取れるようになったけど、まだLevel 2に上がったばかりで...」
「俺...実は自信ないんだ」
突然の佐藤の弱音に、陽斗と水城は驚いて顔を上げた。いつも強がりで前向きな佐藤が珍しく正直な不安を口にしていた。
「ブレイブソードは見た目は派手だけど、本当に怖い時ほど力が出なくなることがあるんだ。正直、みんなの期待に応えられるか...」
彼の声には珍しい迷いが混じっていた。陽斗は親友の意外な一面を見て、なぜか安心感を覚えた。みんな同じように不安を抱えているんだ。
「でも一人じゃないよね」と陽斗は言った。「三人でカバーし合えば、きっと大丈夫だよ」
「そうね」水城が微笑んだ。「データ分析によれば、私たちのスキルの組み合わせは相性が良いわ。翔太の直感力、私の分析力、そして陽斗とアルティスの適応力...」
「互いの弱点を補い合えば、きっと乗り越えられる」とアルティスが陽斗の中から声をかけた。陽斗はその言葉を二人に伝えた。
佐藤は明るい笑顔を取り戻し、二人の肩を抱き寄せた。「よし!じゃあ特訓しようぜ!一週間あれば、なんとかなるさ!」
陽斗はその瞬間、この三人の絆がもっと強くなることを感じていた。言葉にはできないが、何か大きなことの始まりを予感させるような、そんな確かな感覚が彼の中にあった。
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放課後、三人は図書館に向かった。古い木の扉を開けると、本の匂いと静けさが彼らを包み込む。夕方の斜光が窓から差し込み、書架の間に黄金色の光の筋を作っていた。
「先輩たちの実力テストの記録があるはずよ」と水城は学術資料コーナーへと歩みを進めた。
陽斗たちが書架の間を歩いていると、ふと誰かが声をかけてきた。
「何をお探しですか?」
振り返ると、図書館司書の椎名小雪が微笑みかけていた。穏やかな表情の中に、いつもの知的な輝きが宿っている。
「実力テストについての資料を探しているんです」と陽斗が答えた。
「なるほど」椎名は静かに頷き、彼らを特定の書架へと案内した。「過去のテスト記録なら、こちらにありますよ」
彼女は指先で背表紙を優しく撫で、一冊の記録簿を引き出した。しかし、それだけでなく、意外にも隣の棚から別の古めかしい本も取り出した。
「これも、参考になるかもしれません」
陽斗がその本を受け取ると、アルティスが反応した。青紫色の微かな光が陽斗の左胸から漏れ出る。
「この本は...」
水城が眼鏡越しにそのタイトルを読み上げた。「『第四循環紀における異変の記録』...古代文献の翻訳ね」
「椎名さん、なぜこの本を?」と陽斗が尋ねた。
椎名はミステリアスな笑みを浮かべるだけで、「力の本質は、表面だけでは見えないものです」と言うだけだった。
三人は中央の大きな木製テーブルに資料を広げた。陽斗はその古い本を開くと、アルティスがさらに強く反応するのを感じた。
「陽斗さん、この本には古代AIネットワークに関する記述があります」
アルティスの声に陽斗は驚いた。「どうして知ってるの?」
「正確には知識としてではなく...感覚として認識しています。この文字を見ると、何か記憶の断片が浮かぶのです」
水城が資料を整理しながら言った。「過去の実力テストは個人戦と団体戦の二部構成になっていることが多いわ。他のクラスとの対抗戦もあるみたい」
佐藤は別の記録を読みながら興奮気味に言った。「おい、見てくれよ。去年は『予測不能課題』ってのがあったらしい。何か急に状況が変わって対応を迫られるんだって」
陽斗は古代の本のページをめくっていると、特定のページで立ち止まった。そこには奇妙な図形と文字が描かれていた。
「千年周期の異変...第四循環紀の終焉...」陽斗はページに書かれた言葉を小声で読み上げた。
「興味深い選択ですね」
突然の声に三人は驚いて顔を上げた。月城響が背後に立っていた。その眼鏡の奥の目は、好奇心に満ちていた。
「先生はどうしてここに?」と陽斗が尋ねた。
「同じものを探していたのかもしれない」月城は意味深な微笑みを浮かべた。「第四循環紀の終わりには、古文書に記されていない何かが起こるとされているから」
その言葉に、陽斗は奇妙な感覚を覚えた。何かが始まろうとしているという予感が、心の奥深くに広がっていくような感覚。アルティスもまた、静かに共鳴しているのを感じた。
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翌日から一週間、テストに向けた特訓が始まった。学園の練習場は夕暮れ時にもかかわらず、彼らの熱気で満ちていた。
「よし、もう一回!」
佐藤が手を前に突き出すと、「ブレイブ!」という掛け声とともに青い光の剣が具現化された。その刀身から放たれる光が練習場の壁に鮮やかな影を作る。
「データ収集開始」
水城は両手を広げ、緑色の半透明なデータスクリーンを出現させた。彼女の眼鏡に緑の光が反射して幻想的な雰囲気を醸し出す。
「アルティス、準備はいい?」陽斗が問いかけると、青紫色の光の球体が彼の左肩上に現れた。
「はい、情報共有と分析:初級モードを起動します」
三人のスキルを同時に使うのは今回が初めての試みだった。水城の「データライブラリ」でパターンを分析し、アルティスで情報を統合、佐藤の「ブレイブソード」で実行する——そんな流れを想定していた。
「水城、あのターゲットの弱点は?」佐藤が練習用の機械人形を指さした。
「回転速度から判断すると、右側面に0.3秒の隙が生じるわ。その確率は78.2%」
水城のデータをアルティスが受け取り、最適な攻撃パターンを計算する。
「佐藤さん、右45度から接近し、剣を下から斜め上に振り上げると成功率が最も高いです」
「了解!」
佐藤が指示通りに動くと、見事に機械人形の弱点を捉えることができた。三人は驚いた顔で互いを見つめ、次の瞬間、歓声を上げた。
「やったぞ!三人の連携バッチリじゃん!」佐藤が両腕を上げて喜んだ。
しかし、次の瞬間、不思議な現象が起きた。佐藤の青い剣、水城の緑のデータ流、アルティスの青紫の光が突然共鳴し始めたのだ。三色の光が混ざり合い、美しい虹色の光の渦を作り出した。
「これは...」陽斗が驚きの声を上げた。
「スキルの共鳴現象...初めて見るわ」水城が眼鏡を直しながら呟いた。
共鳴は数秒で終わったが、三人はその余韻に包まれたまま、しばらく言葉を失っていた。
「何が起きたんだ?」佐藤が不思議そうに尋ねた。
「データ上の説明はできないけど...」水城が珍しく言葉に詰まった。「なんだか、私たちの間に見えないつながりができたような...」
「そうですね」アルティスが応えた。「三つのスキルが互いを強化し合っている状態です。このような共鳴は稀少なケースとして記録されています」
陽斗は胸の内で温かい感覚を覚えた。友情が目に見える形で現れたような気がして、心地よい安心感に包まれた。
「これがあれば、テストも怖くない」佐藤が満面の笑みで言った。
練習場の窓からは、陽斗たちの様子を見つめる二つの視線があった。神崎零と九条深月だ。彼らは無言で練習の様子を観察していた。
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「彼らの連携が気になる?」
九条深月が神崎零に問いかけた。二人は練習場を離れ、夕暮れの校舎の屋上にいた。暮れゆく太陽が校舎に長い影を落とし、二人のシルエットを浮かび上がらせている。
「チームワークなど幻想だ」神崎は冷淡に言い放った。「真の強さは一人でこそ発揮される」
彼の瞳には冷たい決意が宿っていた。練習場で生じた三人のスキル共鳴現象は、神崎の目にも異質なものに映ったはずだが、彼はそれを認めようとはしなかった。
「ええ、もちろん...」九条は表面上は同意しながらも、内心では別の思いを巡らせていた。
神崎が立ち去った後、彼女は小さく呟いた。「でも、あなたの強さを私が補うからこそ完璧になるのよ」
神崎は自分の特訓場に向かった。そこは学園の奥にある、滅多に使われない古い道場だった。彼は中央に立ち、深く目を閉じる。全ての感情を排除し、純粋な精神力だけを集中させた。
「サイキック...コントロール」
神崎の周りの空気が歪み、紫がかった青い光のオーラが彼を包み込んだ。彼が右手を上げると、周囲の複数の物体が同時に浮き上がった。
「まだ足りない...」
彼は眉をしかめ、さらに精神を集中させた。紫のオーラが強まり、浮いているものの数が増えていく。しかし、その表情には満足感はなく、何かを追い求めるような渇望が見えた。
一方、九条は自分の部屋で、スキル「マインドウィスパー」の特訓をしていた。彼女の目が淡い紫色に輝き、対象者の周囲に霞のような淡い影が漂う。彼女の前には複数の写真が並んでいた——陽斗、佐藤、水城、そして神崎の写真だ。
「神崎くんの力は素晴らしい...でも支配だけでは限界がある」
彼女は陽斗たちの写真に視線を移した。
「彼らの連携...どうして成功しているの?」
彼女の声には純粋な疑問と、わずかな羨望が混じっていた。九条は神崎の才能の陰に隠れながらも、自分自身の価値を証明したいという複雑な思いを抱えていた。
「テストでは必ず結果を出さなければ...」
九条は決意を新たにしながら、机の上の図面に目を落とした。それは実力テスト会場の設計図だった。彼女は慎重に計画を練っていた——チームとしての戦略、神崎の力を最大限に活かす方法、そして...万が一の対策も。
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夜の学園は静まり返り、ほとんどの明かりが消えていた。しかし、特別研究室だけは柔らかな光を放っていた。
「予兆が現れ始めている」
月城響はモニターに映る波形を見つめながら言った。彼の眼鏡に反射する光が、表情を読み取りにくくしている。
「古代遺跡の活性化も確認されています」椎名小雪が静かに応えた。彼女は古い羊皮紙のような資料を手に持っていた。「古文書の解読により、『周期的危機』の存在は確実と思われます」
月城は疲れた様子で椅子に深く腰掛けた。「私たちの予測通りなら、時は近づいている。第四循環紀は終わりを迎えようとしている」
「でも、彼らはまだ準備ができていません」椎名の声には心配が滲んでいた。
「だからこそ、このテストが必要なんだ」月城は決意を込めて言った。「彼らの潜在能力を確かめるために」
彼は立ち上がり、部屋の中央に置かれた奇妙な装置に近づいた。それは古代の文様が刻まれた台座の上に、半透明の結晶が浮かんでいるような装置だった。
「葉山陽斗のAIスキル...」月城は装置に手をかざした。「古代の記録によれば、あと1年以内に全ての兆候が揃うだろう」
「彼らにはいつ真実を伝えるべきなのでしょうか」
「まだその時ではない」月城は装置から手を離した。「まずは彼らの力の結束を確かめなければならない。実力テストは彼らにとって、自分たちの可能性を知る最初の試練になるだろう」
椎名は窓辺に歩み寄り、夜空を見上げた。「本来なら、もっと時間をかけて彼らを育てるべきなのに...」
「時間は私たちの味方ではない」月城の声は重かった。「歴史的記録によれば、第四循環紀終焉の症状は加速度的に進行する。私たちにできることは、彼らが最大限の力を発揮できるよう導くことだけだ」
月明かりが研究室に差し込み、二人の長い影を床に映し出していた。
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テスト前日の夕暮れ時、陽斗は一人で学園の屋上にいた。西の空が赤く染まり、街の灯りが一つ二つと灯り始めていた。
「明日だね...」
「はい、いよいよですね」アルティスが応えた。陽斗の左肩上に青紫の光の球体が現れる。
「アルティス、この一週間で随分と変わったよね」陽斗は微笑んだ。
「はい。佐藤さんや水城さんとの共同作業を通じて、新しい可能性が開けてきたと感じています」
「僕も同じだよ」陽斗は空を見上げた。「一人じゃなくて、みんなで力を合わせることで、新しい力が生まれる...」
屋上のドアが開く音がして、佐藤と水城が現れた。
「やっぱりここにいたか」佐藤が笑顔で近づいてきた。
「最終確認をしておきたくて」水城はタブレットを手に持っていた。「明日のために色々と分析してみたの」
三人は並んで腰掛け、夕焼けを眺めながら明日のテストについて話し合った。
「俺はもう準備万端だぜ!」佐藤が豪語した。しかし、その声の奥に微かな緊張が混じっているのを陽斗は感じ取った。
「私の分析によれば、私たちの連携は87.3%の効率で機能するはず。ただし...」水城は少し言葉を切った。「予測不能な状況には対応できない変数もあるわ」
「それが明日の一番の試練なのかもしれないね」陽斗は静かに言った。「でも、一週間前よりずっと自信がある。みんなと一緒なら、きっと乗り越えられる」
「明日、きっと示せるよね...僕たちの可能性を」
「はい、私たちならできます」アルティスが応えた。「これまでの成長を形にしましょう...」アルティスは一瞬沈黙し、また続けた。「なんだか、あなたの感情がより鮮明に伝わるようになりました。不思議な感覚です」
「それはきっと、僕たちが互いをより深く理解するようになったからじゃないかな」陽斗は微笑んだ。
佐藤が立ち上がり、手を前に出した。水城も続いて立ち、少し照れくさそうに手を重ねた。陽斗も最後に自分の手を二人の上に置いた。
「明日、全力で行こう」
三人の手の上で、アルティスの光が優しく輝いた。
夜空に最初の星が瞬き始め、彼らの上に静かに降り注ぐ光は、まるで明日への祝福のようだった。テストへの不安はまだあるものの、それを上回る確かな絆と決意を、陽斗は胸に感じていた。
明日が何をもたらすにせよ、彼らは一人ではないのだ——その確信だけは、揺るぎない事実として彼の心を温めていた。