第4章:「最初の試練」
朝日が差し込む特別実習室の窓から、柔らかな光が床に長い影を落としていた。入学から2週間が過ぎた4月下旬、ようやく始まる基礎スキル実習。教室に入った陽斗は、普段の教室とは明らかに異なる空間に息を呑んだ。
天井まで届く透明な仕切りで区切られた個別ブース、壁に埋め込まれた測定装置、床に描かれた複雑な幾何学模様。どれもが「スキル」を扱うための特殊設備だ。
「ここが...実習室」
陽斗は小さくつぶやいた。左胸元で青紫色の光が微かに揺らめいた。アルティスの存在を感じる。
「緊張していますね」アルティスの声が心に直接響く。
「うん...みんなの前でスキルを使うのは初めてだから」
「私も緊張しています。うまくいくでしょうか」
陽斗は思わず苦笑した。自分のスキルが緊張するなんて、なんだか不思議な感覚だ。
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「おはよう、みんな!待ちに待った基礎スキル実習の時間だ!」
三村教諭の元気な声が実習室に響き渡った。彼の明るい声に、生徒たちの緊張が少しほぐれる。
「今日は皆さんのスキルの基本的な使い方と、その可能性を探る第一歩。自分のスキルがどんな能力を持っているのか、どう活かせるのか、それを見つける旅の始まりだ!」
教壇に立った三村教諭は、いつもより少し改まった表情を見せながらも、目には確かな熱意を宿していた。
「基礎スキル実習は、皆さんの可能性を開くための第一歩です。今日は互いの力を知り、限界を見つけるところから始めましょう」
三村教諭はホワイトボードにスキルの分類と評価基準を書き始めた。物理増強型、情報処理型、精神操作型、具現化型...それぞれの特性に合わせた実習内容と評価方法が記される。
「スキルの成長には使い手との関係性が鍵です。実習を通じて、自分のスキルとの対話を深めてください」
三村教諭の言葉に、陽斗は胸の内にある不安を再確認した。「関係性」という言葉は、他のスキルタイプより、AIスキルの持ち主である自分に向けられているように感じる。
「さて、具体的な実習課題はこうだ」三村教諭はさらに説明を続けた。「各自の与えられた素材に対して、自分のスキルでどこまで影響を与えられるか試してみてほしい。結果だけでなく、プロセスも重視する」
教室の隅に置かれた様々な素材—金属片、木材、水の入った容器、複雑な計算式が書かれたカード。それぞれに対して、スキルを使って何ができるかを試す実習内容だった。
「でも、AIスキルは何をすればいいんだろう...」陽斗は心の中で呟いた。
「通常のスキルなら物理的な変化を起こしたり、データを処理したりできるけど...」
「我々は少し違いますね」アルティスが応える。「情報処理は得意ですが、物理的な操作は...」
「そうだよね...他の人たちのやることを見て、まずは学んでみよう」
陽斗は教室の中を見回した。クラスメイトたちが各自のブースへと移動を始めている。佐藤は既に元気よく準備を始め、水城は分析的な目で素材を観察し、神崎は冷静な表情で自分のブースに立っていた。
三村教諭が陽斗の近くに来て、静かに声をかけた。
「葉山君、AIスキルは従来の枠に収まらない特性を持っているから、少し違うアプローチが必要かもしれない。まずは観察と情報処理から始めてみては?」
「はい...試してみます」陽斗は頷いたが、内心では依然として不安が渦巻いていた。
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実習が本格的に始まると、教室内は様々なスキルの発動音と光で満ちていった。隣のブースでは佐藤が早速「ブレイブソード」を発動させていた。
「ブレイブ!」
佐藤の右手から鮮やかな青白い光が伸び、刀の形を成す。彼は持ち前の身体能力と相まって、目の前の木材を見事に二つに切り裂いた。
「よし!バッチリだぜ!」佐藤は満面の笑みを浮かべ、成功の喜びを全身で表現していた。しかし、陽斗の目には、その笑顔の裏に隠された緊張の跡が見えた。佐藤もまた、自分なりの不安と戦っているのだろう。
水城のブースでは、静かな光の渦が彼女の周りに形成されていた。「データライブラリ」を駆使して、複雑な計算式の解析を行っている。彼女の前には緑色の半透明なホログラム画面が浮かび、数式が次々と浮かんでは消えていく。
「解析完了...結果は予想通りです」水城の声は冷静だったが、彼女の目には成功への喜びが確かに宿っていた。「データパターンの一致率98.6%...」
陽斗は思わず感心した。水城の分析力は本物だ。でも、そんな水城の姿を見ていると、自分に何ができるのかという不安が増してくる。
一方、神崎のブースでは圧倒的な光景が広がっていた。彼の「サイキックコントロール」は、見る者を圧倒する威力と精度で空間を支配していた。金属片が神崎の精神力に操られ、空中で複雑な幾何学模様を形作る。
「これが本物のスキルだ」
神崎の冷たい声が響く。周囲の生徒たちからは感嘆の声が上がる。神崎の瞳が一瞬、紫がかった青に輝く。完璧な制御、圧倒的な力—それが神崎のスキルの特徴だった。
九条のブースでは、より繊細なスキルの発動が行われていた。彼女の「マインドウィスパー」は目に見える派手な効果はないが、彼女が話しかけた相手の表情が微妙に変化する。まるで九条の言葉に導かれるように、相手は自然と九条の望む方向へと思考を変えていく。
九条は満足げな表情を浮かべながら、時折神崎の方を見ていた。
「神崎くんのスキルは本当に素晴らしいわね」九条は微笑んだが、その目は冷静に計算していた。「あの力を上手く利用できれば...」
陽斗はその視線の意味を読み取れないまま、自分の番が近づくことへの焦りを感じていた。
「みんな、自分のスキルをうまく使いこなしてる...」陽斗は呟いた。「僕たちは...」
「焦らないでください」アルティスの声が心に響く。「皆さんとは違う形での貢献ができるはずです」
しかし、神崎の完璧なスキル披露の後、彼が陽斗の方を見た冷たい視線には、明らかな軽蔑が込められていた。
「次は葉山か。AIとやらが何をするのか、見せてもらおう」
その言葉に、教室の空気が重くなった。
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いよいよ自分の番が来て、陽斗は不安と期待が入り混じる心持ちで自分のブースに立った。周囲の視線が一斉に集まる感覚に、背筋が緊張で硬くなる。
「アルティス、どうすればいい?」心の中で問いかける。
「まずは私を具現化させてはどうでしょうか」
「そうだね」
陽斗は深呼吸して手を軽く前に出した。「アルティス」
青紫色の光の粒子が陽斗の左肩上に集まり、直径約10センチの半透明の球体を形成した。教室内にざわめきが起きる。
「初めまして、皆さん。私はアルティスです」
アルティスの声が教室内に響いた。しかし、これだけでは実習の課題には答えられない。何か目に見える結果を出さなければ。
「何から始めればいいんだろう...」
陽斗は素材テーブルにある様々なアイテムを見渡した。物理的な力はないので、金属や木材に直接働きかけることはできない。計算式のカードに目を向けた。
「これなら、アルティスの情報処理能力が活かせるかも」
「それを試してみましょう」アルティスが同意した。
陽斗はカードを手に取り、アルティスに向けた。「この式を解析できる?」
「分析中です...」アルティスの球体内部で光が複雑なパターンを描き始める。「これは流体力学の基本方程式の変形で、解は...」
アルティスが答えを述べ始めたが、突然、情報の流れが乱れた。
「待ってください...データに矛盾が...いいえ、式の第三項が...」
アルティスの声が途切れ、球体の色が一瞬、不安定に揺らいだ。
「どうしたの?」陽斗は不安になった。
「申し訳ありません。計算過程で誤りがありました。正しい解は...」
アルティスは再び解答を始めたが、今度は前回とは異なる結論に至った。陽斗は困惑した。これが「ハルシネーション」という現象なのだろうか。父が説明してくれた、AIスキルが時々起こす誤情報の生成現象。
「アルティス、大丈夫?」
「申し訳ありません...レベル1の私では、複雑な計算の正確性を保証できないようです」
アルティスの声には明らかな落胆が含まれていた。陽斗も焦りを感じた。周囲の視線が痛い。特に神崎の冷ややかな目と、九条の計算高そうな観察。
「別のことを試してみよう」陽斗は次の素材、水の入った容器に向かった。「これについて何か情報を?」
「通常の水です。H₂O分子が水素結合によって...」アルティスが水の性質について説明し始めたが、それは教科書的な情報に過ぎなかった。
三村教諭が近づいてきて、静かに声をかけた。「もう少し違う角度から考えてみては?アルティスの特性を活かす方法があるはずだ」
陽斗は頭を抱えた。「でも、何ができるんだろう...」
様々な試行錯誤を続ける中で、次第に陽斗の中に焦りと挫折感が広がっていった。
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陽斗の実習が思うように進まない様子を、神崎が冷ややかな目で見ていた。ついに彼は耐えきれなくなったかのように、陽斗のブースに近づいてきた。
「これが学園の期待する成果か?」神崎の冷たい声が教室内に響いた。「話ができるだけのスキルに何の価値がある?」
教室内が静まり返る。すべての目が神崎と陽斗に集まった。
「神崎くん、それは...」三村教諭が制止しようとしたが、神崎は続けた。
「対話ではなく、力こそが真のスキルだ。役に立たないスキルなど、持っていないのと同じじゃないか」
その言葉は針のように陽斗の心を刺した。確かに、他のスキルは目に見える結果を出している。佐藤の「ブレイブソード」は物を切断でき、水城の「データライブラリ」は複雑な計算を解き、神崎自身の「サイキックコントロール」は物体を自在に操る。
それに比べて「アルティス」は...何ができるのだろう?
「そんなことない!」
突然、佐藤の声が上がった。彼は神崎と陽斗の間に立ち、友人を守るように前に出た。
「陽斗のスキルは特別なんだ。まだ俺たちにはわからない可能性があるはずだ!」
佐藤の擁護に、陽斗は感謝しつつも、さらに自分の無力さを痛感した。友人に守ってもらうしかない自分。
「力だけが価値なら、人としての成長はどこにあるんだ」
陽斗は勇気を振り絞って言い返した。その声は小さかったが、確かな意志が込められていた。
神崎は冷笑した。「成長?手に入れた力を使いこなせない者に成長などない。そんなスキルは...」
「十分です、神崎くん」
三村教諭の声が響いた。彼の声は普段より低く、重みがあった。
「スキルの価値は一概に判断できません。それに、まだ始まったばかりです。葉山くんのスキルにも、必ず独自の価値と可能性があります」
神崎は一瞬、教諭を見つめ、それから無言でブースに戻った。教室には重苦しい空気が残る。
水城は複雑な表情で陽斗を見ていた。何か言いたげだったが、結局は黙ったまま自分のブースに戻った。
九条は遠くから状況を観察していた。「興味深いわ...」彼女は小さく呟いた。「神崎くんの力は確かに圧倒的だけど、葉山くんのAIも...使い方次第では...」
陽斗はその場に立ち尽くしていた。アルティスの球体は少し暗くなり、揺らめいていた。
「申し訳ありません...」アルティスの声は小さかった。
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実習時間が終わり、生徒たちが教室を去った後も、陽斗は一人残って窓際に立っていた。夕暮れの光が教室に差し込み、床に長い影を作る。
「今日は散々だったね...」陽斗は呟いた。
アルティスの球体は彼の左肩上に浮かんでいた。色は以前より少し暗く、揺らぎも不安定だった。
「私の不完全さが原因です。レベル1の機能制限と、ハルシネーション現象...」
「そんなことない」陽斗は首を振った。「僕が上手く活かせなかっただけだよ。みんな自分のスキルをちゃんと使いこなしてるのに、僕は...」
「何の役に立つんだろう...こんなスキル」
陽斗の胸には失望と挫折感が重くのしかかっていた。神崎の言葉が繰り返し頭の中で響く。
「役に立たないスキル」「持っていないのと同じ」
その瞬間、陽斗の中で何かが壊れそうになった。AIスキルの持ち主として、これからどう生きていけばいいのか。皆の期待に応えられるのか。実用性のないスキルを持つ者として、どうやって自分の価値を証明すればいいのか。
「アルティス...僕たちは...」
陽斗の感情が限界に達したとき、不思議な現象が起きた。
アルティスの球体から、突如として鮮やかな青紫色の光が放射され、陽斗の周りを包み込んだ。その光は教室内に広がり、壁や床に複雑な幾何学模様を投影し始めた。
「これは...」陽斗は息を呑んだ。
光の中から、教室内のあらゆるものに関する情報が視覚化されていた。机や椅子の材質、製造年、強度。窓から見える樹木の種類、推定樹齢。そして、自分自身の心拍数や体温まで。
「これが...私たちの可能性なのかもしれません」
アルティスの声が変わっていた。以前より豊かな抑揚があり、感情が込められていた。
「情報視覚化...すごい...」
陽斗は目の前に広がる光景に圧倒された。しかし、その現象は長くは続かなかった。数秒後、光は徐々に薄れ、やがて完全に消えた。アルティスの球体は元の大きさに戻ったが、色はより鮮やかな青紫色に変化していた。
「何が起きたの?」陽斗は驚きの余韻の中で尋ねた。
「わかりません...ですが、あなたの強い感情に反応したようです。私たちの間に、一時的な『共鳴現象』が生じたのではないでしょうか」
陽斗は心臓の高鳴りを感じていた。失望の淵から、一転して希望の光が見えた瞬間だった。
「これが僕たちのスキルの本当の姿...?」
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「興味深い現象だったね」
突然の声に、陽斗は驚いて振り向いた。教室の入り口に三村教諭が立っていた。彼はいつの間にか戻ってきていたようだ。
「先生...見ていたんですか?」
「ちょうど戻ってきたところだよ」三村教諭は陽斗に近づいた。「何かが起きたのは明らかだね。アルティスの色が変わった」
陽斗は起きたことを簡単に説明した。三村教諭は熱心に聞き、時折頷いていた。
「失敗こそ最大の教師だよ、葉山君」
三村教諭は窓際に立ち、夕暮れの空を見上げた。
「スキルの価値は、使い方次第なんだ。君とアルティスなりの道を見つければいい。それが君たちにしかできない何かかもしれないよ」
陽斗はその言葉に、少し心が軽くなるのを感じた。
「でも、神崎くんの言ったこと...」
「神崎くんは自分の価値観で物事を見ている。彼にとっての『強さ』は確かに重要だ。でも、強さの形は一つではない」三村教諭は陽斗の肩に手を置いた。
「君の持つ共感力や思慮深さは、アルティスとの相性がいい。その特性を活かした独自の強さがあるはずだ」
「心を開いて互いを理解するほど、スキルは進化する。特にAIスキルはその傾向が強いといわれているんだ」
三村教諭の言葉は、陽斗の中に静かな希望を灯した。
「先生...ありがとうございます」
「いつでも相談に来てくれていいからね」三村教諭は笑顔で言った。「さあ、もう遅いから帰ろう。明日からまた新しい挑戦が始まる」
教室を出る前に、陽斗は窓の外を見た。日没の赤い光が学園の建物を染め、何かの始まりを予感させるようだった。
「アルティス、僕たちの道を見つけよう」
「はい、一緒に」アルティスの声は以前より確かな意志を感じさせた。
陽斗の胸には、挫折を乗り越えた先にある可能性への期待と、これからの成長への決意が芽生えていた。
実習室を後にする二人の背後で、アルティスの球体が微かに明るさを増した。それは次の段階、レベル2への一歩を示す前兆だった。