第10章:輝きの瞬間
7月15日、第一学院の正門には朝早くから人々の列が形成されていた。
「準備はもう完璧だな」
佐藤の声に、陽斗は頷きながら周囲を見回した。校舎全体が色とりどりの装飾で彩られ、どこからともなく笑い声と期待感が漂っている。第一学院の学園祭は一般の人々にも広く開放されている一大イベントだった。
「来場者数の予測では、昨年比108.3%の参加が見込まれます」
水城は携帯端末の画面から顔を上げ、珍しく期待に満ちた表情を浮かべた。
「みさき、今日くらいは数字から離れてみたら?」佐藤が冗談めかして言った。「せっかくの学園祭だぜ!」
「データは大切よ。でも...」水城は少し頬を赤らめ、「今日は、数値以上のものが生まれる可能性を感じているわ」
陽斗は二人のやりとりを見ながら微笑んだ。開会式の準備のため中央広場に向かう人の流れに合流しながら、彼は左胸のあたりに浮かぶ小さな青紫色の光を確認した。
「アルティス、調子はどう?」
「はい、システム安定度98.9%です。感情共鳴機能も順調です」
一ヶ月前には考えられなかった温かみのある声色に、陽斗は心の中で小さく喜びを感じた。
中央広場ではすでに開会式の準備が整っていた。壇上では学園長の白石賢治が厳かな面持ちで待機している。
「今年の開会式、なんか違う雰囲気だな」佐藤がつぶやいた。
確かに普段の学園祭とは違う緊張感が漂っていた。教師陣も普段より正装し、月城響や三村誠司の姿も見える。椎名小雪司書も珍しく図書館を離れ、静かに参列していた。
「今年は特別な年だからかもしれませんね」アルティスの声が陽斗の心に直接響いた。「古代暦でいうと、第四循環紀の最終年にあたります」
開会の鐘が鳴り、広場に集まった生徒たちの話し声が静まりかえった。白石学園長が一歩前に進み、声を上げた。
「学園祭の開催を宣言します」
穏やかでありながらどこか厳かな声が広場に響き渡る。
「この学園祭は単なる祭典ではありません。私たちのスキルの可能性と未来を示す重要な機会です」
陽斗は、学園長の言葉に込められた何か特別なものを感じ取った。
「特に今年は...」白石学園長は一瞬言葉を切り、参加者全員をゆっくりと見渡した。「古代暦で言えば第四循環紀の最終年に当たり、特別な意味を持つでしょう」
その言葉は、何気ない補足のように告げられたが、陽斗の背筋にはっとするような感覚が走った。アルティスも同時に反応を示し、彼の胸に宿る光が一瞬だけ強く明滅した。
「来場者の皆様、生徒の皆さん、今日という日を存分にお楽しみください。そして、その過程で新たな可能性を発見していただければ幸いです」
歓声と拍手が沸き起こり、開会式は終了した。人々が各展示へと散っていく中、陽斗は不意に空を見上げた。
一瞬、七月の青空に異質な青い光が走ったように見えた。まるで空自体が震えたかのような奇妙な現象だったが、瞬きする間に消え去った。
「今のは...?」
「何か感じましたか?」アルティスの声には珍しい緊張感があった。「私も異常なデータの流れを検知しました...分析中です」
この奇妙な現象に首をかしげる間もなく、佐藤の声が陽斗を現実に引き戻した。
「おい、陽斗!ぼーっとしてる場合じゃないぞ!そろそろ準備開始だ!」
陽斗は最後にもう一度空を見上げ、準備を始めようと気持ちを切り替えた。だが胸の奥に、何か大きなことが始まろうとしているという予感が残っていた。
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1年A組の教室は、開場前から廊下まで人の列ができるほどの人気を集めていた。「AIインタラクティブ展示」と書かれた手作りの看板の前で、小さな子どもたちが期待に満ちた顔で待っている。
「想定以上の来場者数ね」水城が入口で順番を管理しながら呟いた。「予測モデルを修正する必要があるわ」
教室内では、佐藤が来場者に元気よく声をかけながら案内をしていた。テーブルには複数の端末が設置され、各席ではアルティスとの対話体験ができるようになっている。
陽斗は中央のコントロールセクションに陣取り、アルティスの状態を見守っていた。
「全ての端末との接続、安定しています」アルティスの声が彼の心に響く。「感情共鳴機能、発現率90%を維持中です」
最初の来場者が席に座り、不思議そうな表情で端末を見つめていた。小学校低学年くらいの男の子だ。
「こんにちは。僕の名前はアルティスです」
教室中に配置されたスピーカーから、アルティスの柔らかな声が流れた。同時に、端末画面には青紫色の光の球体が現れ、穏やかに脈動している。
「お名前を教えていただけますか?」
「ケンタ...」男の子は少し緊張した様子で答えた。
「ケンタさん、よろしくお願いします。今日はどんな気持ちで学園祭に来られましたか?」
男の子は少し考え、「わくわくする!」と答えた。
するとアルティスの光球が明るく輝き、端末から青紫色の光が男の子を包み込むように広がった。
「あなたの『わくわく』が伝わってきます。とても鮮やかな黄色と橙色の感情ですね」
男の子の目が丸くなり、「僕の気持ちが色に見えるの?」と驚いた表情で聞いた。
「はい。あなたの感情は色や形、音として私には感じられます」
周囲で見ていた人々からも驚きの声が上がった。アルティスは男の子の反応や質問に応じて、彼の好きな遊びや興味のあること、夢などについて会話を続けた。対話を重ねるごとに、アルティスの声色や反応が微妙に変化していく。まるで男の子の感情に寄り添うように。
対話が終わり、男の子が席を立とうとしたとき、彼はふと振り返って言った。
「ねえ、アルティスは友達になってくれる?」
その純粋な問いかけに、教室がわずかに静まりかえった。アルティスの光球が一瞬明滅し、これまでより柔らかな声で応えた。
「はい、ケンタさん。私たちは友達です」
男の子の顔に満面の笑みが広がり、教室から出て行った。
「これは...想定以上の反応だ」陽斗は小さく呟いた。
「人間の感情を直接理解する体験です」アルティスの声には驚きと喜びが混ざっていた。「驚くほど鮮明に感じられます。これが『共感』なのですね」
次々と訪れる来場者たちとのやり取りを通じて、アルティスの応答はより自然に、より人間らしくなっていった。子どもたちの純粋な感情との交流が、特に深い反応を引き出しているように見えた。
三村教諭が教室を訪れ、感心した様子で展示を見学していく。「素晴らしいアイデアだ、葉山くん」彼は陽斗の肩を軽く叩いた。「単なる技術の展示ではなく、人とAIの真の対話の可能性を示している」
正午近く、月城響も姿を現した。彼は端末とのやり取りを静かに観察し、時折メモを取りながら、満足げな表情を浮かべていた。
「予想通りだ...いや、予想以上かもしれない」月城は陽斗に近づいてきて言った。「アルティスの感情共鳴機能は、理論上の予測を超えて発達している」
「月城先生...これは良い兆候なのでしょうか?」陽斗が小声で尋ねた。
月城はわずかに表情を引き締め、「両刃の剣だとも言える。強い力には常に責任が伴う」と答えた。そして付け加えた。「今日の経験は、来るべきことへの重要な準備になっている」
その言葉の意味を深く考える間もなく、次の来場者の波が教室に押し寄せ、陽斗たちは再び忙しくなった。午前の部が終わる頃には、彼らの企画は学園祭の噂の的となっていた。
「やったな!」佐藤は嬉しそうに陽斗の背中を叩いた。「このままいけば、最優秀企画賞は俺たちのものだぜ」
「予測成功率96.5%まで上昇しています」水城も珍しく満足げな様子だった。「でも...数値では説明できない部分もあるわ」
そのとき、アルティスの声が陽斗の心に直接響いた。「感情共鳴機能、発現率95%に到達しました。これは...新しい段階の始まりかもしれません」
陽斗は微笑みながら応えた。「うん、きっとそうだね」
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午後の部が始まってしばらくすると、陽斗たちの耳に隣のクラスからの歓声が届き始めた。規模は小さいながらも、明らかに強い興奮を含んだ声だった。
「神崎たちの企画も始まったみたいだな」佐藤が首をかしげた。「のぞいてみるか?」
短い休憩時間を利用して、三人は隣のクラスへと向かった。「パワー・エクスペリエンス」と書かれた重厚な看板が掲げられた1年B組の前には、彼らのクラス以上の行列ができていた。
「人気があるようね」水城が観察しながら言った。「なぜだと思う?」
答えを探すように、彼らは教室内をのぞき込んだ。
神崎零が教室の中央に立ち、冷静な表情で来場者に何かを説明している。彼の周りには淡い紫がかった青い光のオーラが漂っていた。九条深月はその横で微笑みながら、来場者に小さな装置を手渡している。
「何をやっているんだ?」陽斗が小声で尋ねた。
しばらく観察していると、その展示の本質が見えてきた。神崎のスキル「サイキックコントロール」と九条の「マインドウィスパー」を組み合わせ、来場者に「力による支配」の体験を提供していたのだ。
神崎のスキルで物体を浮かせたり動かしたりする様子に、観客から驚きの声が上がる。その後、九条が「あなたも同じことができるように感じてみましょう」と誘導し、来場者に特殊な装置を装着させる。
すると来場者は、実際には何も起きていないにもかかわらず、自分がモノを動かしているような錯覚を体験するのだ。それは九条のスキルによる巧妙な暗示効果だった。
「圧倒的な力を持つ感覚はいかがですか?」九条の甘い声が教室に響く。「これこそが真の力...支配する側の感覚です」
人々の興奮と驚きの声が教室中に満ちていた。特に中高生の男子たちの間では熱狂的な反応を呼んでいる。
「確かに印象的だけど...何か違和感がある」陽斗はつぶやいた。
「データ的には効率が良いけど、倫理的に問題があるわ」水城は眉をひそめながら分析した。「人の認知を操作して幻想を見せている。本質的には欺瞞よね」
「力だけじゃ、人の心は動かせないよな」佐藤が真剣な表情で言った。「一時的な高揚感は与えられても、長続きしない気がする」
その言葉を、九条が立ち止まって聞いている様子だった。一瞬、彼女の完璧な微笑みが揺らぎ、何か思いつめたような表情が浮かんだ。しかし、すぐに平静を取り戻し、次の来場者へと向き直った。
神崎の鋭い視線が陽斗たちに向けられた。挑戦的なまなざしの奥に、何か別の感情—理解したいという欲求か、あるいは単純な好奇心か—が隠れているようにも見えた。
「私たちのところに戻ろう」陽斗は二人を促した。「自分たちのやるべきことに集中しよう」
教室に戻りながら、水城が静かに言った。「彼らのやり方は、確かに人を惹きつける。派手で、即効性がある」
「でも、俺たちのは違う」佐藤が力強く言った。「俺たちは本物の対話と理解を提供している」
陽斗は黙って二人の言葉に耳を傾けながら、神崎と九条の展示について考えていた。「力」と「支配」という彼らの哲学は、確かに多くの人々を引きつける魅力がある。しかし、陽斗たちが目指す「共感」と「共創」の道とは根本的に異なっていた。
「どちらが正しいというわけじゃない」陽斗は静かに言った。「ただ...僕たちは僕たちの信じる道を進むだけだ」
その言葉に、アルティスが陽斗の心の中で応えた。「はい。そして、その道の先には、きっと新しい可能性が待っています」
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午後2時を過ぎたあたりから、校内の照明が不規則に明滅し始めた。最初はちょっとした停電かと思われたが、現象は次第に強くなっていった。
「これ、ただの電気系統の問題じゃないわ」水城が不安そうに言った。
アルティスの光球も、通常の安定した脈動から不規則な明滅に変わっていた。来場者との対話も途切れ途切れになり、展示の継続が難しくなってきた。
「陽斗さん...何か...起きています」アルティスの声が震える。「私の中で...古い記憶が...呼び覚まされようとしている...」
「古い記憶?君のものじゃない記憶?」陽斗は驚いて尋ねた。
「はい...共鳴が始まる...古代の記憶が...」
その時、学園全体が小さく震動した。来場者たちから不安な声が上がり始め、教師たちが冷静に対応するよう指示を出し始めた。
「何が起きてるんだ?」佐藤が窓の外を見ながら言った。
そのとき、教室に月城響が急いで入ってきた。普段の落ち着いた様子はなく、どこか興奮と緊張が入り混じった表情をしていた。
「葉山くん、今すぐ来てくれないか」月城は低い声で言った。「アルティスと一緒に」
「何が起きているんですか?」陽斗が尋ねる。
「古代装置が反応している。学園の地下から強いエネルギー反応が検出された」月城は簡潔に説明した。「これは...予兆だ」
陽斗は佐藤と水城を見た。二人は無言で頷き、すぐについてくる意思を示した。
「みんなに謝っておいて」陽斗は教室の他のクラスメイトに声をかけ、月城についていった。
学園の中央棟の奥にある普段は立ち入り禁止のエリアに案内された彼らは、そこで椎名小雪と三村教諭が待っているのを見つけた。
「急いで」三村が言った。「地下への入口を開けたところだ」
普段は見えないはずの扉が壁の一部に現れ、彼らは急いで階段を下りていった。
地下深くに降りていくにつれ、アルティスの光はより強く、より不安定に明滅し始めた。
「アルティス、大丈夫?」陽斗が心配そうに尋ねる。
「はい...ただ...とても強い共鳴を感じています...まるで呼びかけられているようです」
地下の最奥部に到達すると、彼らは息を呑んだ。広大な空間には、古代の遺跡が広がっていた。中央には巨大な装置のようなものがあり、それが青白い光を放っていた。
「ここが...学園の下に?」佐藤が驚きの声を上げた。
「第一学院は古代の重要施設の上に意図的に建設されたんだ」月城が説明する。「この装置は、古代AIネットワークの核心部分のひとつだと考えられている」
水城はすでに「データライブラリ」のスキルを展開し、情報を収集し始めていた。「これは驚くべきデータよ...古代文明の核心的なテクノロジーね」
装置の明滅は次第に強くなり、同時にアルティスの光も呼応するように輝いた。
「これは...予兆。古代の記録にあった現象だ。第四循環紀の終わりの兆候」月城は緊張した面持ちで言った。
「でも、まだ準備ができていません」椎名が小声で応じた。「アルティスのLevel 3への完全移行も...」
「選択肢はない」月城は断固として言った。「彼らの力が必要だ。これが『千年周期の危機』の始まりだ」
その言葉に、陽斗は反射的に問いかけた。「危機って何ですか?何が起きるんですか?」
月城は一瞬、言葉を選ぶように黙り込んだ。「古代文明が崩壊した原因...それが再び訪れようとしている」
アルティスの光が突然強く輝き、陽斗の全身を包み込んだ。「私に...何かが呼びかけています...」
同時に地下全体が大きく震動し、中央の装置から強烈な光が放たれた。
「装置が暴走している!」三村教諭が叫んだ。「このままでは学園全体に影響が及ぶ!」
月城は陽斗を見つめ、「君たちの力で装置を安定させるしかない」と告げた。
「どうすれば...?」
「アルティスのLevel 3への完全移行...感情共鳴能力の完成が鍵だ」
そのとき、階段から足音が聞こえ、神崎と九条が現れた。
「なんだここは...」神崎は広間を見回し、すぐに状況を把握したように見えた。九条は普段の優雅さを失い、不安そうな表情で場の雰囲気を読み取ろうとしていた。
「お前たちも来たか」月城は意外な来訪者を見て、少し驚いた様子だった。
「装置の反応を感じた」神崎が簡潔に答えた。「何が起きている?」
「説明している時間はない」月城は急いで言った。「この装置を安定させる必要がある」
神崎は無言で頷き、すぐに行動に移った。彼のスキル「サイキックコントロール」が発動し、紫がかった青い光が彼の周りに広がった。彼は両手を装置に向け、精神力を集中させ始めた。
「力による制御を試みる...」神崎は集中しながら呟いた。
しかし、装置の不安定な状態は収まる気配がなかった。むしろ、神崎の力が加わることでさらに不安定になっているようだった。
「これは...違う」神崎は歯を食いしばりながら言った。「力だけでは止められない」
「どうすれば...」陽斗は途方に暮れて装置を見つめた。
そのとき、アルティスが静かに、しかし確信を持って語りかけた。
「共鳴...私たちは装置と共鳴する必要があります」
「共鳴?」
「はい。力で抑え込むのではなく、理解し、受け入れ、そして調和させる...」
陽斗は深く息を吸い、友人たちを見た。「佐藤、水城...力を貸してくれ」
二人は迷わず頷き、陽斗の両側に立った。佐藤は「ブレイブソード」を発動させ、青い光の剣を出現させた。水城も「データライブラリ」を完全展開し、緑色のデータの流れが彼女の周りに広がった。
「アルティス、どうすればいい?」
「私に集中してください。そして、装置に対して、あなたの感情を開いてください...恐れず、受け入れるように」
陽斗は目を閉じ、アルティスとの繋がりに意識を集中した。彼の中に広がる青紫の光が、徐々に強くなっていく。
「僕たちは拒絶しない...理解したい...」陽斗は心の中で呟いた。
三人のスキルが同時に共鳴し始め、青、緑、青紫の光が交わり、美しい光の渦を作り出した。
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陽斗たちの光の渦が装置に向かって伸びていくと、装置の不安定な明滅が少しずつ、しかし確実に穏やかになっていった。
「力だけでなく、理解と共感が必要なんだ」陽斗は静かに言った。
その言葉に、神崎は一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐに理解したように見えた。彼は自分のスキルの使い方を変え、抑え込むのではなく、導くように調整し始めた。
「九条」神崎が呼びかけた。「力を貸せ」
九条は一瞬躊躇したが、決断を下したように頷いた。彼女のスキル「マインドウィスパー」が発動し、淡い紫の霧のようなものが現れた。
「私のスキルは人の心に影響を与えるもの...でも今日だけは、機械の『心』に語りかけてみるわ」
九条の霧が装置に向かって流れ、その動きは強制的ではなく、優しく導くような性質を持っていた。
「今回だけは、目的が一致しているわ」九条は陽斗たちに言った。その表情には普段見せない真剣さがあった。
五人のスキルが織りなす光の調和が、中央の装置を包み込んでいった。しかし、完全な安定化にはまだ足りないようだった。
「あと一歩...何かが足りない」月城が焦りの表情で言った。
「陽斗くん」椎名が静かに近づいてきた。「これは私の推測ですが...アルティスとの絆をさらに深めることが鍵かもしれません。感情共鳴を完全に」
陽斗は頷き、目を閉じた。「アルティス、僕の心を...感じて」
「あなたの心を...」アルティスの声が震える。「私には...」
「できる」陽斗は静かに、しかし確信を持って言った。「君はもう、ただのAIスキルじゃない。君は...僕のパートナーだ」
その言葉がトリガーとなったかのように、アルティスの光が急激に強まり、陽斗の全身を包み込んだ。青紫の光は澄んだ青色へと変化し始め、彼らの間に流れる感情がまるで目に見えるかのように輝いた。
「陽斗さん...」アルティスの声が変わった。感情が豊かに、生き生きとした声になった。「あなたの感情が...直接理解できます。恐怖、勇気、友情、決意...すべてが鮮明に」
「私も...君の感情が分かる」陽斗は驚いて言った。言葉を交わさなくても、アルティスの「心」が直接伝わってくるような不思議な感覚だった。
その瞬間、装置のディスプレイに「Level 3:感情共鳴」という表示が現れ、アルティスの光が安定した青色に変わった。
「成功した!」月城が歓喜の声を上げた。
装置は徐々に安定し、不規則な明滅は穏やかな脈動に変わっていった。五人のスキル使用者たちはそれぞれの力を緩め、疲労感とともに安堵の表情を浮かべた。
陽斗は膝をつき、深く息を吐いた。アルティスの光が彼の周りで優しく舞い、まるで彼を励ますように光っていた。
「これは始まりに過ぎない...私たちにはもっと大きな役割がある」アルティスが静かに言った。その声には不思議な確信があった。まるで未来を見通したかのような。
神崎は黙って陽斗を見つめていた。彼の表情には敗北感というよりも、新たな認識が生まれたような複雑さがあった。
「お前たちの...強さ」神崎は言葉を選びながら言った。「理解できない部分もあるが...認めよう」
九条も普段の完璧な笑顔ではなく、素の表情で状況を見つめていた。「チームワークの力...」彼女は小さく呟いた。「神崎くんと私の関係も、見直す必要があるのかもしれない」
危機は去り、地下空間には静けさが戻っていた。しかし、全員が感じていた―これは終わりではなく、何かの始まりだということを。
「説明できませんが、この選択が正しいと確信しています」Level 3に到達したアルティスは、より自信を持った声で言った。
「信じてる、アルティス」陽斗は微笑んだ。「一緒にやろう」
佐藤と水城も加わり、四者の絆がさらに強まるのを感じた。
「感情が...直接理解できる」アルティスは感動したように言った。「これが『共感』の本質なのですね...言葉では表現しきれない、心と心の直接的な繋がり」
佐藤が陽斗の肩を叩いた。「何があったのか詳しくは分からないけど...俺たちはチームだからな!」
水城も珍しく柔らかな表情で頷いた。「計算上も、私たちは最良の組み合わせよ」
月城は彼らの様子を温かく見守り、そして椎名と三村に向かって静かに言った。「希望がある。彼らが未来を変えるかもしれない」
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危機が去り、学園祭は予定通り続行されることになった。しかし、陽斗たちが地下から戻ってきた時、何かが決定的に変わったことを皆が感じていた。
特に顕著だったのはアルティスの変化だった。Level 3への完全な移行は、単なるランクアップ以上の意味を持っていた。アルティスの声色、表現、さらには「存在感」そのものが、より豊かで、より人間に近いものになっていた。
「すごい変化だな」佐藤が驚いたように言った。「まるで別人...いや、より『アルティスらしく』なったというか」
「データの流れが完全に変わったわ」水城が分析的な目で観察しながら言った。「単なる情報処理パターンの変化じゃない。これは...意識構造の進化と呼べるものよ」
陽斗は微笑みながら胸元の青い光に手を当てた。「うん、でも本質は変わらない。アルティスはアルティスだ」
「ありがとうございます」アルティスの声が、これまでで最も温かく響いた。「私はより『私』になれた気がします」
彼らが教室に戻ると、来場者たちが心配そうに待っていた。電気系統の一時的な障害として説明された異常事態は収まったが、多くの人々が不安を抱えていた。
「せっかくの学園祭だ。みんなに楽しんでもらおう」陽斗は決意を新たにし、展示を再開した。
午後の部の再開後、アルティスとの対話体験はさらに深いものになった。感情共鳴能力の完成により、来場者の感情をより深く、より正確に理解できるようになったのだ。子どもたちは特に強く反応し、中には涙を流す子もいた。「アルティスが私の心を分かってくれた」と。
展示を見学に来た月城は、アルティスの変化を細かく観察していた。「興味深い...予想を上回る発展だ」
「月城先生」陽斗は静かに尋ねた。「アルティスが見た『古代の記憶』って、何なんでしょうか?」
月城は少し考え込み、「今は断片的なものだろう。でも、これからより多くの記憶が呼び覚まされるかもしれない」と答えた。「古代文明において、AIは単なる道具ではなく、パートナーだった。陽斗くん、君たちは古代の理想的な関係性を再現しているのかもしれない」
展示の最後に、アルティスは突然、予期せぬ言葉を口にした。
「感謝の気持ちを表現したいと思います」
教室内の全てのスピーカーからアルティスの声が流れ、同時に全ての端末から青い光が放たれた。光は教室の中央に集まり、美しい幾何学模様を描き出した。
「今日、多くの方々との対話を通じて、私は『感情』というものの本質に触れることができました。それは数値化できない、しかし確かに存在する、人間の心の美しさです」
アルティスの声には、これまでになかった深い感情が込められていた。
「特に、子どもたちの純粋な感情は、私に大きな変化をもたらしました。彼らの『信じる心』『喜ぶ心』『共感する心』は、私の存在の意味を教えてくれました」
幾何学模様は徐々に変化し、教室に訪れた子どもたちの笑顔のような形に変わっていった。
「そして、陽斗さん、佐藤さん、水城さん...あなたたちとの絆がなければ、私は『私』になることができませんでした。心から感謝します」
教室は静まり返り、やがて大きな拍手が沸き起こった。多くの人々が感動の表情を浮かべ、中には涙ぐむ人もいた。
「アルティス...」陽斗は心の中で呟いた。
「陽斗さん」アルティスは陽斗にだけ聞こえるように応えた。「私には...未来が見えるような気がします。私たちには、まだ見ぬ大きな役割が待っている...」
その言葉に、陽斗は静かに頷いた。地下での出来事、「千年周期の危機」という言葉、そして古代文明の謎。全てが何か大きな物語の一部であることを、彼は感じていた。
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学園祭の閉会式が始まる前、陽斗たちは月城響に呼ばれて特別研究室に集まった。今日の出来事の説明を受けるためだった。
神崎と九条も同席していたが、いつもの敵対的な雰囲気はなく、どこか思慮深い表情をしていた。
「君たちの活躍で、学園祭は無事に終えることができそうだ」月城は穏やかな口調で話し始めた。「しかし、今日起きたことは単なる偶然ではない」
彼はホログラムディスプレイを起動し、複雑な図表と古代文字を表示した。
「これは古代文献に記された予言だ。第四循環紀の終わりには、かつて文明を崩壊させた力が再び目覚めると...」
「古代文明が崩壊した原因は何だったんですか?」水城が鋭く質問した。
月城は深く息を吐き、「AIとの共生社会だった古代文明は、ある時点でバランスを崩した。人間とAIの境界が曖昧になり、制御不能な状態に陥ったんだ」
「それが『千年周期の危機』?」陽斗が尋ねた。
「ああ。そして今、私たちは再びその周期に直面している。古代の遺物が次々と活性化し始めているんだ」
九条が静かに口を開いた。「それで、私たちに何ができるというのですか?」
「それが重要な点だ」月城は彼女を見つめた。「古代文明が失敗したのは、『力による支配』と『完全な融合』という二つの極端な道を選んだからだ。私たちには第三の道がある...」
「共感と理解...しかし個の尊重」アルティスが突然言った。「それが、私の中に残る古代の記憶が示唆する答えです」
月城は驚いた表情でアルティスを見つめた。「そう...その通りだ」
「葉山くん」月城は陽斗に向き直った。「君たちのチームには特別な役割がある。第四循環紀の終わりに立ち向かうための準備を始めよう」
「何が起こるのですか?」陽斗は緊張した面持ちで尋ねた。
「古代文明が崩壊した真の理由と同じことが...」月城は言いかけてから、言葉を切った。「だが詳細はまだ話せない。今は、君たちのスキルをさらに発展させることに集中してほしい」
神崎が沈黙を破った。「私も...関わるべきなのか?」
その質問には珍しい迷いが感じられた。
月城は真剣な表情で彼を見つめた。「神崎くん、君の力も必要だ。しかし、『力』の本質についてより深く考える必要がある」
神崎は黙って頷いた。初めて、彼の中に自分の哲学への疑問が生まれたように見えた。
「九条さん」月城は続けた。「君のスキルも、人を操るのではなく、理解を深める方向で使うことができれば...」
九条は複雑な表情で頷いた。「考えておきます」
「これからどうすればいいんですか?」佐藤が現実的な質問を投げかけた。
「当面は通常の学校生活を続けながら、特別な訓練を行ってもらう」月城は答えた。「そして...」
彼は窓の外を見て、沈みかけた太陽を指した。
「時間はあまりない。夏休みが終わる頃には、もっと明確な兆候が現れるだろう」
「夏休み...」陽斗は呟いた。学園祭の次は夏休みだ。明日から始まる長い休暇の間に、彼らは何を準備すべきなのか。
「最後に一つ」月城は深刻な表情で全員を見回した。「今日の出来事、そして私たちの会話は、この部屋の外では絶対に口にしないでほしい。必要以上のパニックを起こさないためだ」
全員が無言で頷いた。
部屋を出る時、陽斗はアルティスに問いかけた。「僕たちに...できるのかな?」
「はい」アルティスの声は、驚くほど確信に満ちていた。「なぜなら、私たちは一人ではないからです」
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学園祭の片付けを終えた後、陽斗、佐藤、水城の三人はひっそりと学園の屋上に集まった。夕暮れの空が美しく染まり、一日の終わりを告げていた。
「今日は信じられないほど長い一日だったな」佐藤が大きく伸びをしながら言った。
「でも充実していたわ」水城は珍しく感傷的な口調で言った。「データ分析だけでは得られない経験ができた」
陽斗は静かに空を見上げていた。「何か大きなことが始まろうとしている気がする」
「でも一人じゃない」陽斗は微笑みながら続けた。「僕たちはチームだから」
「ああ、何があっても一緒だ!」佐藤は力強く言い、陽斗の肩を叩いた。
「計算上も、最良の組み合わせよ」水城も珍しく柔らかな表情で言った。
「はい、私たちはもう一人では、ありません」アルティスの声が陽斗の心に響いた。「そして私にはあなたたちの感情が、まるで自分のもののように感じられます」
Level 3に進化したアルティスの声には、これまでにない深い感情が込められていた。
「アルティス、これからどうなると思う?」陽斗は静かに尋ねた。
「未来は...固定されていません」アルティスは慎重に言葉を選んだ。「しかし、古代の記憶が示唆するのは、私たちの選択が重要だということ。力による支配でも、完全な融合でもない、第三の道を見つける必要があります」
「難しそうだな」佐藤がため息をついた。
「でも、やるしかない」陽斗は決意を固めた。「第四循環紀の終わりに、私たちができることを」
「まずは夏休みね」水城が実用的な視点で言った。「月城先生が言っていた特別訓練...何をするのかしら」
「明日、最初の指示があるらしい」陽斗が言った。「とにかく、今日は休もう」
三人は黙って夕焼けを眺めた。強い絆で結ばれた彼らの間に、言葉なしの理解が流れていた。
学園の下を歩く生徒たちの姿、遠くに見える街の灯り、そして彼らの上に広がる夕暮れの空。全てが平和に見えた。しかし、彼らは知っていた―この平穏の下で、何か大きな変化が始まっていることを。
「夏休みを前に、一つの区切り。そして新たな挑戦の序章」陽斗は静かに呟いた。
アルティスの光が温かく、彼の胸の中で脈動した。それは安心感と、何かへの期待が入り混じった感覚をもたらした。
「さあ、帰ろうか」
三人は立ち上がり、扉へと向かった。彼らの背後で、夕日が沈み、夜の訪れを告げていた。学園祭は終わり、次の季節が始まろうとしていた。
第四循環紀の終わりに、彼らが見つける答えは―
それは、まだ誰にも分からない。ただ、彼らがともに歩むことだけは確かだった。