第1章:継承式の朝
薄明りの中、葉山陽斗は目を覚ました。時計はまだ6時を指していなかったが、もう長い間眠れていなかった。窓から見える学園都市の風景は、朝もやに包まれて幻想的だった。古代建築の影がぼんやりと浮かび、その隣には最新テクノロジーを駆使した高層ビルが並ぶ。古と新が共存するこの街で、今日、彼の人生を決める儀式が行われる。
「今日、僕は何を手に入れるんだろう。それとも...何も得られないかもしれない」
自分の小さなつぶやきが、静かな部屋に響いた。夜明け前の不安は、いつもより重く感じられた。陽斗はベッドから抜け出し、制服が掛けられたハンガーに目をやった。学園都市第一学院の制服。入学式はまだ先だが、今日の継承式にはこれを着ていくことになっている。
机の上に置かれた新聞に目が留まった。「第37回スキル継承式:今年も各学園で挙行」という見出し。今日は4月3日、継承式まであと1時間もない。陽斗は深く息を吸い込んだ。
窓の外に目をやると、一瞬だけ空に奇妙な光の模様が浮かんだような気がした。まるで何かの予兆のように。だが、瞬きをした次の瞬間には消えていた。
「陽斗、起きてる?朝ごはんできてるよ」
母の声に我に返り、陽斗は制服に袖を通し始めた。鏡に映る自分は、想像していたより大人びて見えた。15歳。スキルを継承する年齢だ。
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「おはよう」
リビングに降りた陽斗を、朝食の準備をしていた母が振り返って迎えた。葉山彩子の指先から淡い光が漂い、料理の盛り付けに最後の調整を加えていた。彼女のスキル「イマジネーションビジュアライザー」は、イメージを視覚化する能力だ。盛り付けられた朝食は、まるで小さな芸術作品のように美しかった。
「早起きだね」
テーブルの一角では、父の智久がコーヒーを片手に原稿に目を通していた。彼の目が青く発光する瞬間があった。「ディープリーディング」という彼のスキルが作動している証拠だ。文章の奥に隠された意図や感情を深く理解する編集者としての能力は、スキルによって高められていた。
「緊張してるの?」母が優しく問いかけた。
「うん、少し」
それは控えめな表現だった。実際には胃が締め付けられるような不安を感じていた。陽斗は両親のスキルを見つめながら、自分は何を得るのだろうかと考えずにはいられなかった。父のような文章理解の能力?母のような創造力?それとも、まったく別の何か?
「スキルは、その人の本質を映す鏡なんだよ」
父が原稿から目を上げ、静かに言った。
「どんなスキルでも、陽斗らしければいいんだよ」
母が朝食を運びながら続けた。「15歳の継承式は人生の大きな節目。でも、それがすべてじゃないよ」
その言葉に少し安心しながらも、陽斗は内心で葛藤していた。普通でありたい気持ちと、何か特別なものを得たいという願望の間で。社会ではスキルの強さや希少性が人の価値を決めるといっても過言ではなかった。自分は何者になるのだろう?
「今日の気分は?」父が問いかけた。
「正直、わからない」陽斗は箸をとりながら答えた。「みんな何かすごいスキルを期待してるだろうし...でも僕は...」
言葉が途切れた。何を期待していいのかも、自分でわからなかった。
「期待するよりも、受け入れること」父は穏やかに言った。「どんなスキルであれ、それは君自身の一部になるんだ」
家族の朝食は、いつもより静かに進んだ。この日を迎える心の準備をするかのように。
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家を出た陽斗は、学園都市の朝の風景の中を歩いていった。通りでは様々なスキルが日常的に使われていた。交差点では交通整理のためにテレキネシスを使う警備員。建設現場では重い資材を持ち上げるパワー強化型のスキルを持つ作業員たち。
道は徐々に変わっていった。高級住宅地のゲートを通り過ぎると、そこにはS〜Aランクスキル保持者の邸宅が並んでいた。そこから少し離れた一般区域に、彼の家はあった。B〜Cランクスキル保持者が多く住む地域だ。陽斗はその境界線を歩きながら、社会の階層を肌で感じていた。
古代の遺跡を改築した建物の前を通り過ぎる時、陽斗は足を止めた。壁面には謎めいた紋様が刻まれていて、かすかに光を放っているように見えた。この街には、古代文明の痕跡がいたるところに残っていた。誰もその意味を完全には理解していないという。
歩道を急ぐ生徒たちの中に、ふと見知らぬ顔を見つけた。背が高く、冷たい表情の少年。彼が振り向いた瞬間、陽斗と目が合った。その鋭い視線に一瞬たじろぎながらも、陽斗は挨拶しようとした。だが少年は無言で通り過ぎていった。
通りの角では、小さな出来事が目に入った。C級スキル保持者と思われる配達員が、荷物を落として散らばらせていた。周囲の人々は冷淡な視線を向けるだけで、誰も手を貸そうとしない。陽斗は思わず近づこうとしたが、配達員は既に慌てて荷物を拾い集め、頭を下げながら立ち去っていった。
その光景に胸が痛んだ。スキルの強さだけで人の価値が決まる世界。それは正しいことなのだろうか?
やがて陽斗の前に、学園都市第一学院が姿を現した。地域最高峰のスキル専門教育機関。古代建築様式と近未来的な設備が融合した巨大な校舎群が、朝日に照らされて輝いていた。
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学園の門をくぐると、緊張感が高まった。どこからともなく集まってくる生徒たち。同じ15歳でも、表情は様々だった。興奮に目を輝かせる者、不安そうに俯く者、無関心を装う者。陽斗は自分がどの表情をしているのか気になった。
「緊張しているみたいだね」
突然声をかけられ、陽斗は驚いて振り向いた。そこには温かな笑顔の教師が立っていた。
「三村誠司です。1年A組の担任予定だよ。君は...葉山陽斗くんかな?」
「はい...どうして僕の名前を?」
「担任になる生徒はみんな把握してるんだ」三村教諭は親しげに言った。「継承式、楽しみにしているよ。何を得るにせよ、それは君だけの特別なものになる」
その言葉には励ましがあったが、同時に重圧も感じた。「一年に一人、継承式でスキルを得られない生徒がいる」という噂を思い出す。それが自分だったら...?
三村教諭は他の生徒たちにも声をかけながら去っていった。陽斗は再び式典会場へと足を向けた。途中、中庭の一角で二人の大人が静かに会話しているのが目に入った。一人は謎めいた雰囲気の男性研究者、もう一人は優しげな女性の司書のようだった。
「今年は特別な年になるかもしれませんね」女性が言った。
「そう、千年に一度の...」男性の言葉は途切れ、二人とも陽斗に気づいて会話を中断した。
陽斗は軽く会釈して通り過ぎたが、その断片的な会話が気になった。千年に一度...何のことだろう?
式典会場の入口に着くと、陽斗は深呼吸をした。荘厳な雰囲気が漂う大ホールの扉を前に、再び緊張が高まる。古代の魔法陣をモチーフにしたステンドグラスが光を通し、床に幻想的な模様を投げかけていた。
入口の掲示には「継承式:20XX年4月3日」と書かれていた。多くの生徒たちが既に中に入っている。会場内からは学園長の厳かな姿も見えた。白い髪の威厳ある男性だ。
陽斗が一歩を踏み出そうとしたとき、かすかな声が聞こえた気がした。誰もいないはずの背後から。振り返ったが、そこには誰もいなかった。胸の内側から響いてきたような...そんな不思議な感覚だった。
「次は葉山陽斗」
受付の女性の声に、陽斗は我に返った。胸の中に不思議な温かさが広がるのを感じながら、彼は式典会場へと足を踏み入れた。