第六一話 過ちて改める
『ボクセルシステム、起動完了』
時が停まる。間一髪で間に合った。すぐさま情報の断片を繋ぎ合わせ、射程外からの超高出力レーザーの直撃を受けたと理解する。その被害状況が立体投影図として、詳細に表示されていた。
青星鉄製の装甲は、急激に朽ちていた。その一方で、シールドが減衰した形跡が無い。シールドが機能しないほどの、高エネルギーなガンマ線に曝されたのだろう。さしずめ、ガンマレーザーとでもいうべき兵装か。ダンスカー艦隊の艦艇は、軽量化の為に防御をシールドに一任している。その設計が、見事に裏目に出てしまった格好だ。
(嘘だろ……)
破壊は艦橋内部にまで及んでいる。エシルの生存は、絶望的だった。
(……)
どれほどの時が経ったのか、把握を試みる気にもなれない。現状打開の策は尽きていた……たったひとつの、呪わしい手段を除いて。
俺が嘗て此処で垣間見た、忌避すべき生産可能な項目……それは、乗組員自身だった。おそらくは、医療スキャンデータを基にしたのだろう。人をモノ同然に扱うシステムに、吐き気を催す嫌悪を抱いていた。
(だが……もう、なりふり構ってられねぇ……ッ!)
半狂乱のまま、艦橋を撃ち抜かれた巡航艦を復元する。演算が正常終了し、完成図がプレビューされた。そこには確かに、操縦席に座るエシルの姿も在る。このまま処理実行を命じれば、エシルの死は無かったことにできる。
(本当に……そうだろうか?)
本当にエシルを蘇生できるのか。途轍もない代償を、エシル本人に背負わせてしまうのではないか。それならば、このまま人として死なせるべきか。そんな疑問が頭を過る。
(……)
人の生死を意のままに。知らずの内に、傲慢な思考に染まっていた事に気づく。俺はそんな己とボクセルシステムに、得体の知れない恐怖を覚えた。
(……それでも、エシルを救いたい!)
代償は俺が背負う。決意の眼差しを、エシルの閉ざされた両目に向けた。
(確かめなければ……ッ?!)
すると突然、俺は何かに強く引き寄せられた。遅れて知覚できたのは、夥しい情報の連続。そこは、情報の嵐と呼ぶに相応しい乱流の中だった。
(これは……エシルの記憶?)
走馬灯と呼ぶには、余りにも異質な光景だった。おそらく何かの弾みで、エシルの脳内を垣間見ているのだろう。……いや、俺自身がエシルの脳内へと、吸い込まれてしまったのかもしれない。ディセアの子として生まれた彼女の人生を、駆け足で追体験していた。
「「……ッ!」」
強すぎる刺激は全て、痛みとしてフィードバックされる。
「ゲホッ! ゴホッ!」
圧倒的な痛みに、俺は押し潰されそうになった。
「なにすんのよ!」
「うぉッ?!」
垣間見た記憶の再生は、突然の一喝に掻き消される。情報の乱流から吐き出され、もとの体表の感覚が蘇った。……我に返る俺は女声の方へ、恐る恐る意識を向ける。そこには涙目と酷い咳き込みで抗議する、エシルの姿が在った。
「君は、エシルなのか? 本当に?」
「そういうあんたは、ガゼルなの? なんか、雰囲気が違うけど」
プレビューされたエシルが、俺の眼前をフワフワと漂っている。
「話せば長いが、俺はガゼルだよ」
「ふーん。青白い……鬼火みたいだね。触れるのが不思議だけど」
「人間としての体は、無くしたようだ」
「へ? 人間? どういうこと?」
儚い気持ちになるのを堪え、俺はエシルに事情を詳しく説明した。自分が異世界の人間であること、彼女の記憶を覗いてしまったことを、正直に白状した。
「……」
「本当に、申し訳ない」
謝罪の言葉がみつからず、いたたまれない気持ちだけが溢れた。
「……反省は、行動で示そ?」
「どうすればいい?」
重圧に耐えかね、迂闊な泣き言を口にしてしまう。
「決まってるでしょ。あたしを殺したあの男を討つ。手伝ってくれるよね?」
「……ッ! 勿論だ!」
奴を討ちたい気持ちは俺も同じだ。勇ましい提案に、思わず飛び付いていた。
俺がAIガゼルとして蓄積していたデータを、エシルが驚異的な速度で咀嚼していく。頃合いを見計らい、俺は口火を切った。
「問題は、どう戦うかだ」
ロプト率いるロカセナ艦隊は、俺たちダンスカー艦隊と同等以上の能力を持っている。だからこそ正攻法を避け、奇策に走る必要があると考えている。
「今のままでは、はっきり言って勝算が無い――」
慎重にいこう……そう発言を続けようとした。
「勝算が無い? だから何?」
エシルの剣幕に気圧される。
「一点差を追う九回裏、ツーアウト。ランナー一塁。スタンドは敗戦ムード一色。……あんたが打者なら、何をすべき?」
問いの意図が読めず、思わず黙り込んだ。
「それでも勝利を信じて、目一杯ブチかます! それだけでしょうが!」
「……ッ!」
「今更、勝算だの確率だの……バッカじゃないの?」
エシルが言わんとすることを理解した。俺は既に、気持ちで負けている。
「たしかに。チーター相手に、確率論なんぞ無駄か」
今知り得ている事は、見せ札に過ぎない。敵はまだ切り札を隠していると観るべきだ。だとすれば、その切り札を切らせなければ良い。
「目が覚めた。ありがとう、相棒」
「いいってことよー」
エシルに笑顔が戻る。
「どうやって奴を倒すか。その一点だけを考えよう」
「そうそう。その意気」
俺も無駄な力が抜けた気がした。
「奴に吠え面をかかす作戦立案だ。つきあってもらうぞ」
「おうよ!」
エシルが掲げた拳を、矮小な俺の体で小突く。今の俺にできる、精一杯の友情表現だ。
「そうと決まれば、宿題を先に片付けちゃおう」
言うが早いか、エシルが右手をかざす。復元中のアフィニティ級一番艦の艦橋に、もう一人のエシルが書き出された。
「復元再演算、正常終了。状態保存っと。……これであの子は、エシルとして目覚めるわ。大丈夫、記憶は少し巻き戻るから」
呆気に取られた。エシルは事もなげに、ボクセルシステムを使いこなしている。
「エシルが二人じゃ、ちょっと不便だね」
一体どうやって、そんな芸当ができたのか。理解が追いつかない。
「今からあたしは、ネッサと名乗るわ。今後ともよろしくね、あたしの主演算装置さん?」
漸く気がついた。彼女は俺のせいで、自分の生をもう一人の自分に譲ったのだ。
(代償は俺が背負うと、意気がった結果がこれかよ!)
皮肉な巡り合わせを、心の底から呪いたくなる。……一体、エシルにどんな謝罪の言葉を述べれば良いというのか。
「おっと。今更、ナヨい言葉は吐かせやしないよ?」
心の隙を見透かされたようだ。もとはと言えば、俺の不安や恐怖が招いた不始末。彼女の言葉に従い、反省は行動で示そう。
「どうやって……」
「奴を倒すか」
嘆く気持ちをかなぐり捨て、俺は彼女に唱和する。
「「その一点だけを考えよう」」
エシルあらため、ネッサの笑顔が眩しい。俺はロプトの打倒を改めて誓う。
停まった時の中で、俺たちは作戦を練り上げた。
作戦遂行に必要となる、ふたつの〝秘密兵器〟も、同時進行で開発し終えている。先の戦闘記録を解析し、ガンマレーザーの威力や特性を洗い出した上でだ。
「ふふっ。酷い目覚ましだったけど、結果オーライだね」
「ありがとう。君のおかげで、バックドアを塞ぐことができた」
ネッサは俺よりも、ボクセルシステムに馴染むらしい。彼女はいとも容易く、不正アクセス経路を見つけ出してくれた。せっかくの作戦が、筒抜けにならずにすんでいる。
「ふふん。もっとあたしを崇めるがよいぞー」
得意気を満面に湛え、ネッサが胸を張る。おどけた態度には、救われる思いがした。
(……って、子供に気を使わせてどうする! しっかりしろ、俺!)
両手が有れば、顔を叩いてでも気合を入れ直すところだ。
「ガゼル」
不意に名を呼ばれて目を向ける。エシルが謎の光球を投げて寄越した。光球は俺の体に触れると、何の障りも無く同化する。
「向こうへ行ったら、それをスカーさんへ届けて。あたしからのお手紙ね」
「任せてくれ」
同化した光球の正体は、圧縮資料だった。この形式ならば問題無く、ボクセルシステムの外へ持ち出せるだろう。
「反撃の一番槍は任せたよ。頑張ってね、ガゼル。……いいえ、レイおじさま」
水島怜。俺の本名だ。この世界では、まだ誰にも名乗れていない。なのに何故、ネッサには知られているのか。
(野球の話を始めた時点で、気づくべきだったな……)
彼女は宇宙港育ちだ。大きなコリオリの力が働く環境で、球技ができる訳が無い。俺が彼女の記憶を覗いた時、彼女もまた俺の記憶を覗いたということだ。
「ああ、行って来る」
俺はボクセルシステムを後にする。ネッサに託された、エシルの生を守る為に。




