第五二話 和するガゼル不和のアノニムを走らす
宇宙港ルテアとリラ、それぞれの付近に派遣した偵察巡航艦、そして母艦モリガン。五箇所の通信端末を結びつけた。母艦モリガンをサーバーとして映像会議室を設け、皆をそこへ招待する。俺も参加者としてカウント済みだ。
「「……」」
途中参加のザエト提督と参謀ユーリスの両名が、報告書を読み進めている。終始冷静な前者に対し、後者は動揺が隠せずに居た。読み終わる頃合いに、スカーが口火を切る。
「ザエトよ。多くは問わぬ。彼の者の捕縛、応か否か」
「……応だ」
二人の遣り取りの傍らで、ユーリスが歯噛みをする。初対面でスカーに無礼を働いた手前、上官への口の利き方を咎められないのだろう。逆上はスカーの思う壺だと、理解はしているらしい。
(理解と納得は、やはり別物ということか……)
一方のスカーは、帝国に外交を疎かにされ続けている。その挙げ句が〝傭兵風情〟扱いとくれば、反撃を企てたくもなったのだろう。
「ユーリス。アノニムの身柄を拘束せよ。罪状は、外患誘致だ」
「ハッ。すぐに手配します」
ザエトの指示にユーリスが神妙に応じ、視線を落とす。カメラから視線を外して、モニターに向かっているのだろう。それに対し、スカーはカメラを真っ直ぐ見つめたままだ。その様は、ユーリスへの無言の圧のようにも感じられる。
「捕縛の差配は済んだな? では、外交の時間だ」
スカーがアドミラルコートの襟を正す。真っ直ぐな眼差しが、強みを増していた。
「我がダンスカー艦隊の意思を表明する。我々は貴国との講和交渉を求める。交渉の実現を阻む障害は、全て排除する。此度の急報は、その意思表示と受け取られよ。以上だ」
白紙撤回は許さず。スカーは力強く宣言した。抗議と叱咤の混ざった表明を受け取り、帝国勢が押し黙る。このまま傍観しても、スカーが痺れを切らすだけだろう。彼女の口癖は、〝敵は待ってはくれぬ〟だからな。
「貴国のブルート星系撤退の意図は、このゲイル星系救援の為と理解しております」
膠着を打開すべく、俺は静かに所見を述べ始めた。
「皇帝陛下も望んでおられた話し合いです。断念せざるを得ない戦況ならば、共同して押し返しましょう」
微かな打鍵音がする。おそらく、ルストが書記を務めているのだろう。
「我々ダンスカー艦隊に、貴国と敵対する意思はありません」
「虚言を弄すな!」
怒声を発したのは、若き参謀ユーリスだった。
「虚言か否かは、講和交渉の場で占いましょう。その為に、今宵は推して参ったのです」
ザエト提督がユーリスを咎める前に、やんわりとあしらう。
「……正直なところ、貴女らが味方で居てくれるのは有り難い」
ティリー提督の吐露に、ユーリスは何も言えなくなっていた。
「貴国と敵対せずに済むのは、我々としても助かります」
俺たちの目当てが赤星鉄採掘なのは、娘のルストを通じて承知しているだろう。傭兵報酬を値切ろうとしたユーリスの前で、余計な発言は控えたい。採掘権の更新に、圧力をかけられたら面倒だ。
「敵意無き証に、我々の量子通信端末を幾つか進呈しましょう」
宇宙港ロンドやノーフォに導入した装置だ。本棚大の中継機に、各種通信端末を接続して使う。同様の中継機はダンスカー艦隊の各艦艇にも備えており、中継機どうしが遅延ゼロの量子通信を行っている。
「まずは宙戝に備え、連携強化の為にお使い下さい。宙戝平定の暁には、講和交渉に役立てましょう。アイセナ王国にも、既に導入済みです」
ザエト提督は、俺たちに借りを作りたがらない。外交を意識してのことだろう。
「貴艦隊の申し出、有り難くお受けしたい」
にも関わらずの、受諾の返事だ。宙戝の背後には、俺たちと同等の敵が居る。外交の敗北を恐れる前に、目前の軍事的脅威に全力で対処すべきと悟ったのだろう。
その後、帝国皇帝への上奏文と、宇宙港アモルへの航行許可を得る。進呈する量子通信端末を、遊撃艦隊の電子巡航艦に出力させた。電子巡航艦は一路、宇宙港アモルへと急ぐ。単艦となった戦艦は、母艦へと引き上げさせた。宇宙港ルテアとリラには、派遣した偵察巡航艦を入港させ、端末をそれぞれ進呈した。
***
(デキア・カッツ……いや、アノニムの天命を試すべき時が来たか)
無機質で殺風景な部屋の中、マルチモニターを前にした男が頬杖を突く。
「ダンスカー艦隊の働きかけで、アモル帝国はアノニムの身柄拘束へ動きました」
男は頬杖を止め、黒髪を掻き上げた。姿無き愛妻は、更に報告を続けている。
「敷設した跳躍信号機も、約三分の一が押収されています」
「作戦を早めろ、シギュン。アノニムを宇宙港リラから逃がせ」
妻の報告を遮るように、男が即断する。
「かしこまりました。わたしは引き続き『AIヘクサ』として、アノニムに同行します」
「あぁ。あの臆病者に、最初で最後の見せ場を作ってやれ」
傭兵アノニムこと、元行政長官デキア・カッツ。その汚職と逃亡に塗れた経歴を、男は振り返っていた。
(任官先での悪政のツケを他人に擦り付け、今度は母国からも逃亡か……)
まさしく臆病者だ。だが、臆病者には臆病者の使い途がある。
(それにこの風体。よほど、拗らせていたようだ)
くすんだ短髪で短躯の中年男は、今は金髪で長身の美青年へと変貌していた。
「行ってきます。妬かないで下さいね、ロプト。……愛しています」
「あぁ、オレもだ」
名を呼ばれた男が応える。眼前のマルチモニターには、策動の進捗が流れていた。
***
「……ム。……ニム」
乗艦で眠るアノニムは、何者かに呼び起こされた。
(鬱陶しい。まだ儂を働かせるのか)
サポート役を自称する、あの忌々しいAIの呼びかけだろう。癪に障ったアノニムは、無視を決め込もうとする。
「緊急事態です。あなたに逮捕状が出ています」
寝台から飛び起きた。
「ヘクサ! すぐに出港準備をせよ!」
寝間着を脱ぎ捨て、航宙服に着替える。蛮族共が好むボディスーツは、性に合わぬ。あんな脱ぎ着の面倒な物は、休息の妨げでしかない。
「もう完了していますよ。あとは、あなたが席に着くのを待つばかりです」
小賢しい物言いに苛立つ。寝室の扉をひとつ潜ると、そこは艦橋となっていた。
「こちら巡航艦レージング。出港許可を乞う」
アノニムはシートベルトを締めつつ、宇宙港リラ管理局へ問い合わせた。
『……こちら宇宙港リラ管理局。アノニム艦長、貴官の出港は許可できない』
管理局員は、それだけ告げると回線を閉じた。
「管理局にクラッキングを実行中」
アノニムが気を乱すよりも早く、ヘクサが対抗策を取る。
「……クラッキング完了。出渠シークエンスに強制介入しました」
格納庫のリフトがせり上がる。円筒形宇宙港の内壁に、艦が露出した。円筒の底には、二枚のシールドで隔てられた入出港ゲートが見える。
アノニムは艦を急発進させた。そのまま一枚目のシールドを突き抜け、二枚目のシールドに差し掛かる。
「ハイパードライブに妨害を受けています」
「……ッ!」
嫌な報告を聞き流し、そのまま突き進んだ。二枚目のシールドが艦と干渉する。アノニムは最大戦速で艦を駆り、強引にシールドを突き破った。
「ヘクサ! ゲルム星系へ跳躍だ!」
「不可能です。ハイパードライブ、出力低下――」
入出港ゲートを突き抜ける間、備え付けの巡航阻害装置の照射を受けたらしい。
「現在、リカバリー中です」
「急げ! 何とかしろ!」
忌々しさのあまり、ヘクサを怒鳴りつけていた。
「善後策を採ります。このまま主星めがけ、巡航に入って下さい」
迷う暇は無い。騒ぎを聞きつけ、追手が掛かるのも時間の問題だろう。アノニムは宇宙港リラから一定距離を取り、巡航へと移行した。
アノニムを乗せた巡航艦レージングは、主星への路を急いでいた。その過程で宇宙港ルテア近隣を通り、そこに駐留する帝国正規軍の注意を惹いてしまう。
「本当に策はあるのだろうな!」
十分に加速の乗った艦は、帝国軍艦艇を容易く振り切っている。しかし振り切ったところで、主星の周りには別働隊が待ち構えているだろう。
「主星の重力で、艦を加速中です。加速で過給し、ゲルム星系へ跳躍します」
「方角が真逆ではないか!」
巫山戯た話だと断じ、アノニムは憤った。
「進路をプロットします。これに沿って、重力ターンを行って下さい」
いとも気軽に、曲芸じみた操艦を勧めて来る。ヘクサに対するアノニムの憤懣は、頂点に達しようとしていた。
「跳躍目標、設定完了。ハイパードライブ、低稼働ながら跳躍に支障なし」
ヘクサは恐るべき性能を秘めている。しかし、あくまでもアノニムの補助に徹していた。
(こやつはなぜ、わざわざ儂を巻き込んだのだ)
敵前逃亡を帳消しにする為、外患誘致に手を貸す羽目になった。隠した罪の上に、より重い罪を重ねている。必ず逃げ切らねば、割に合わぬ話だ。
「必ず跳躍を成功させろ。儂をゲルム星系へ逃がす契約を、何としても守れ!」
「勿論です。あなたも、われわれの指示に従う契約を、必ず守って下さいね」
間もなく主星へと辿りつく。アノニムの行く手には、哨戒艦隊が展開していた。




