第二話 初陣
突然、世界から音が消えた。スーツとシートの摩擦音、計器類の電子音、動力炉の駆動音、その他ありとあらゆる音が。驚いてスカーの様子を窺うと、彼女は何かに気づいた顔をしている。その光景は何故か、一様に白く朧げだ。視界全てが白く霞み、停まっていた。
(……ッ!)
動揺が言葉を失わせる。……だが、考えを纏める好機だと気づいた。努めて冷静に、現状を確認する。
(……宙戝の罠だと想定してみよう。要塞と戦艦の両方を残す必要がある)
慎重すぎると見なされている。……少し思い切ろう。
(仮にこの救難信号を無視して隠れ続けたとしても、要塞が見つかる恐れがある)
五〇〇光秒――地球と太陽との距離に相当する――など、この世界の宇宙船には散歩のように近い距離だ。やりすごしても、ひと仕事のついでに見つかる恐れがある。そうなれば要塞ごと、奴らの餌食となるだろう。多勢を相手に、要塞を護って戦うのは避けたい。
(ならば静観は悪手だ。討って出よう。そのうえで、助けた相手と取引すれば良い)
熟考の末の同意見に、俺は無力を噛み締めた。……だが、良心と規約に従うことができる。迷いが晴れて幸いだ。……そう寛いだ途端、世界に音と色が戻った。
「……どうした、ガゼル。またダンマリか?」
スカーが咎め、俺は一矢を報いる。
「シミュレーション完了。すぐさま出撃すべきと判断します。制御調整、試験航行の中止を推奨。相応の操艦負担をご容赦願います」
一瞬、スカーが面食らう。……うまく牽制できたと良いが。
「……ほう。お主にしては積極的だ。よろしい、出撃だ!」
視界を艦外カメラに切り替えた。
「出撃命令確認。制御権、掌握。……主推進機始動。艦固定具を解除後、前進微速」
狭い非常用格納庫に、要の収蔵管理システム端末がある。慎重に、意識で艦を操った。意外にも滑らかに動かせるのは、きっと同居AIのアシストのおかげだ。
「ラスティネイル、出渠完了。スカイアイル、隠密擬装を強化します」
戦艦が格納庫を後にし、要塞の生命維持装置を止める。そのまま静かに前進を続け、聞き耳を立てた。隠すべき要塞のすぐそばで、強力なレーダー波の照射は止めておきたい。ここに居るぞ、と大声を出すようなものだからだ。
量子通信――盗聴防止と超光速の情報伝達とを両立する――で、要塞から救難信号の方角情報が送られてくる。要塞と戦艦の二箇所で聞き耳を立て、より正確な方角を割り出すのが俺の狙いだ。できればもう一箇所、聞き耳が欲しい。そうすれば、交差方位法でほぼ正確な位置がわかるのだが。
『……ちら、……セナ王国所属……助を……要……ます』
途切れつつも、救難信号の探知に成功した。すぐに発信源へ艦首を向け、星系内巡航の準備をする。
「救難信号の発信源へ、巡航を開始します。ハイパードライブ起動」
ハイパードライブ機構は、超光速航行の為のエネルギー発生装置だ。主推進機の出力を過給して発動させる。今回の発動方式は巡航だ。星系――太陽系などのことを指す――の中を素早く移動するのに適している。巡航ならば少ない過給圧で済む。
「……三、二、一、今!」
行く先の星々が尾を引き、迫って見えた。戦艦が軽快に宇宙を駆けてゆく。……だが、その道行きはすぐに躓いた。
「巡航阻害を検知」
巡航阻害とは専用の装置などを使い、巡航を妨害する犯罪行為だ。重大事故に繋がる場合もある。そんな無法を、平然と行う者は限られる。
「迎撃だ。手並みを見せよ」
「了解。巡航解除」
沈黙を保っていたスカーが、ここぞと命を下す。俺も端的に応じた。戦場では敬語を使わず簡潔にやりとりすると聞く。秒速二、三〇〇米ほどで飛び交う宙戦だ。悠長な喋り方は危険すぎる。
巡航を解除し、砲門を開く。宙戝に背後を取られた。
「前進全速、三秒。急速反転」
背後の敵と間合いを取るよう勢いをつけ、急激に艦首を引き起こす。水泳のフリップターンを腹側ではなく背中側へ、後ろ回りでやっているような動きだ。ターン直前までの勢いはそのままに、艦首方向だけを変える。全速で後進しつつ、上下逆さの敵艦を正面に捉えた。艦首を捻るように一八〇度左回転させ、艦の上下が敵と揃う。
「敵艦捕捉。一二時、艦数三。交戦開始」
巡航阻害は、冗談では済まされない。俺は躊躇なく反撃に出る。敵は一二時方向で、前後に一列となっていた。恐らくは追撃のつもりで、嬉々として突っ込んできたのだろう。……全速後進のまま、先頭の一隻に、対盾レーザーをお見舞いした。その赤い光条が、一瞬のうちに目標へと命中する。
『敵艦A、防盾喪失。対盾兵装、再充電中』
戦闘ログが、頭の片隅に書き出される。全速後進のまま、戦果を確認した。青く膜状に光るシールドが霧散している。敵艦Aが飛来物への守りを失った隙に、対装甲レールガンを三点バースト射撃で叩き込んだ。
レールガンはフレミングの左手の法則でお馴染みの電磁力で、実体弾を無反動で打ち出せる。レーザーほどではないが射程や弾速にも優れる、宇宙空間で扱うには都合が良い兵装だ。
『敵艦A、撃破。対盾兵装、再充電完了』
老朽艦どうしを無理に繋ぎ合わせたような、異形の宙戝艦が爆散した。可燃性ガスで満たされた蓄電機が誘爆したらしい。艦の重要区画は、損傷を負えばすぐさま熱が篭もってしまう。その熱の温度が、可燃性ガスの発火点を超えたのだろう。
(逃しはしない!)
全速後進のまま、螺旋を描くように機動する。敵艦Aの爆散に紛れた、残り二隻を捉える為に。ここで宙戝に逃げられると厄介だ。奴らの背後方向は、隠し通すべき要塞がある方角なのだから。
意外なことに、宙戝の残党には逃げる気配がしない。勢いを増していた。宙戝艦は明らかに脆すぎるが、こちらも命懸けだ。手加減はしない。
俺は後ろへの螺旋機動のまま、残る敵艦BとCに撃破判定を記録した。
「敵艦隊、殲滅確認。交戦終了」
初陣に危なげなく勝利し、ひとまず安心した。だが、浮かれても居られない。要救助者を待たせている。
「反転後、巡航へ移行します」
俺は再びのフリップターンで、救難信号の方へ艦首を向け直した。
「ハイパードライブ起動。……三、二、一、今!」
巡航しつつ耳を澄ませる。要塞からの信号も合わせ、救難信号の発信源に辿り着く為だ。
そんな時だった。まるで耳元で囁くように、俺を嗜める声がしたのは。
「周辺の警戒も……怠るでないぞ?」
嗜める声にはっとする。伏兵がこれだけとは限らない。俺は救難信号への聞き耳を少しだけ絞り、その分を回りの警戒に割く。
「ガゼルよ」
ぞくり、とした。……その声はどこまでも透き通り、底冷えがしていた。
「……なかなか、手荒い操艦をするではないか」
怒気の氷塊が急速に膨れるが如き錯覚に圧され、俺は艦橋内カメラに視界を切り替える。
(……ッ!)
そこには長く艷やかな黒髪を大いに乱しつつも……笑顔が眩しいスカーが居た。
【登場艦艇紹介】
ダンスカー艦隊所属
ラスティネイル級戦艦
https://twitter.com/voxelhed/status/1788385394691809417
【作中の戦闘機動について】
〝1.ベクトル不変のインメルマン〟から、後ろ向きで〝2.バレルロール〟に繋いでいます。
1.ベクトル不変のインメルマン
-1 クルビットを半回転で止める
-2 180度左エルロンロール
2.バレルロール
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB_(%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90)




