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竜の仔  作者: bamboo
第一章
9/9

殺戮者 vs オルカ



 オルカとネグロは向かい合った。

「お前、オルカといったか。さっき仇をとるとか言っていたが、まさかそれは俺を倒すという意味ではあるまいな?」

 ネグロは実に不愉快な笑みを浮かべていた。もう本性を隠すつもりは無いらしい。

「仇をとるというのは、お前を倒すという意味で言ったんだぞ」

「クハハ。まさか本気で言っていたとはな。馬鹿な女もいたもんだ」

「馬鹿? 何で私が馬鹿なんだ?」

「それはこういう意味だ。ほら、ここを見てみろよ」

 そう言ってネグロはゆっくり剣を振り上げ、片手で剣の先端を指差した。

 オルカは促されるまま、剣の先端を見上げた。

「ほら死んだー! 残ねーん!」

 ネグロは思い切り剣を振り下ろした。


 ネグロは自分が特別な人間だという自負があった。

 特別な修羅場をくぐり抜け、特別な力を手に入れたからだ。

 肉体に関しては人間の域を遥かに超えている。力もスピードも人の限界のさらに上だ。

 だから今回の依頼も一人でこなした。常人ではなかなか辿り着けない深い山奥に入り、しかもそこで暮らす『竜の民』の一族をたった一人で全滅させるのだ。

 こんな事は普通の人間に出来るはずはない。だが俺はやった。このスピードとパワーがあるから出来た。

 そこで倒れている女の二度の奇襲攻撃も防いだ。あれは俺じゃなければ死んでいた。だが俺は生きている。

 だから俺のスピードとパワーは絶対なのだ。

 だから今、目の前で起こっている事は現実ではないのだ。

 俺の剣が受け止められる事など有り得ないのだ。


 ネグロがオルカに不意打ちで振り下ろした剣は、オルカの右手に持った剣によって受け止められていた。

 ネグロは自分の一撃が、こんな少女に受け止められる事が信じられなかった。

 奇妙な技でも使い俺の攻撃を受け流したのだろうか――

 一瞬そう思ったが、オルカの足元を見ると、オルカの足が僅かに地面にめり込んでいた。

 戦慄したネグロは闇雲に打ち込んだ。

 まるで自分が見ている幻覚を打ち砕かんとするばかりに怒涛の連撃をオルカに浴びせた。


 信じられないのはシノも同じだった。

 一体自分が見ているものは何なのだろうか。

 シノの力では到底及ばない程の実力を持つネグロの攻撃を、山で拾った細腕の少女がいとも簡単に捌いているのだ。

 右へ左へと信じられないスピードで移動し、ネグロの体重の乗った一撃を片手で軽々と受け止めるのだ。

 これは神様がシノに死ぬ前に見せてくれた、シノの願望なのだろうか。

「ふざけるな! こんな事があっていいものかっ! 俺は竜の血を飲んだ男なんだぞ! 特別な肉体を手に入れた男なんだぞ!」

 ぼんやりする意識の中でネグロの声が聞こえる。

 竜の血を飲んだ? 特別な肉体を手に入れた? 何を言ってるんだ。これも神様が見せる幻覚なのか?


 シノは一度だけ竜を見た事がある。

 セッコーに連れられ山へ入り、一ヶ月に及ぶ捜索の末ようやく見つける事が出来た。

 シノが初めて竜の姿を目にした時に抱いた感情は『圧迫感』だ。見ているだけで苦しくなる程の生命の圧力。ただ大きいから、だけではなく、まるで全身から光を放っているかのような圧力を感じたのだ。

 それまでも当然、竜が神であると信仰していたが、直接目にしたときの暴力的なまでの存在感を目の当たりにすると、やはり竜には特別な力があるのだな、と身を持って実感したものである。

 シノは薄れる意識の中でそんな記憶を思い出していた。

 なぜなら、その時と似たような『圧迫感』を感じたからである。

 それは夢か現実かは分からない。

 ただ、ネグロが「俺は竜の血を飲んだ!」と叫んだ瞬間に、それまで二本の足で立っていた少女が四つん這いになり、目にも止まらぬ速さでネグロに飛びかかり、ネグロの目に指を突っ込み、喉を噛みちぎったのだ。シノはその光景が、夢なのか現実なのか区別がつかないまま意識を失った。



 シノの意識が戻ったのは誰かの家の中だった。

 そこは村人のスッパの家だと後で分かるのだが、今は誰の家なのか、何故ここにいるのか、まだ考えられる程に頭が働かない。ただ、ぼんやりする意識の中で、傷口を舐められてる感覚があるだけだ。

 シノは肩から腰へ大きく切り裂かれていた。

 薄く目を開けると、祭壇の少女、オルカが傷口を舐めているようだった。

 まるで野生動物だ、とシノは思った。何故こんな方法をとるのか。村の中を探せば薬草も包帯もあるだろうに。

「お。起きたか」

 シノの視線に気付きオルカが顔を上げた。

「お前が……ここへ運んだのか?」

「そうだぞ」

「ネグロ……、あの私を殺そうとしてた男は?」

「あいつなら殺したぞ」

 オルカはあっけらかんと言った。まるで鶏でも締めたかのような口ぶりだった。

 しかしシノにとっては一族を大虐殺した相手である。

「そうか……。ありがとう」

 そう言って立ち上がろうとした。傷口が激しく痛む。

「ぐっ……」

「おい、何やってるんだ。まだ動いてはダメだ」

 オルカが制止する。

「離してくれ。私にはやらなければならない事があるんだ」

「なんだ? やらなければならない事って」

「仲間の供養だ」

「くよう? くようって何だ」

「穴を掘って埋めてやるんだ」

「穴を掘る? なんでそんな事をするんだ。放っておけばいいじゃないか」

「ふざけるな。そんな事をしたら仲間の体が野生動物に食われ、虫にたかられるじゃないか」

「それの何がいけないんだ? 死んだらみんなそうなるじゃないか。その肉を食って他の生き物が生きるんだ。私もよく死んだ魔物の肉を食ったぞ」

 まるで話の進まないじれったさにシノは憤慨した。

「お前と死生観を論ずるつもりは無い! いいから離してくれ!」

 そう叫び、シノはオルカの制止を振りほどこうとした。

 だがオルカの力はまるで弱まらない。

「ダメだと言ってるだろ。ほら傷口が開いて血が出てるじゃないか。こんな体で穴を掘ったらお前が死ぬぞ」

 オルカは強引にシノを寝かせた。シノは抗おうとしたが出血と傷の痛みで、もはや体を動かす体力は残っていなかった。

 シノはやり切れない気持ちでいっぱいだった。オルカの言う通りだ。こんな体で動いたら満足に仲間の供養をする前に自分が死ぬだろう。しかしシノはどこかで、そうなっても良い、と思っていた。むしろそうなりたいとさえ思っていた。一族が全て死に、たった一人残されたシノが生きる意味などないのだ。

 全てを失った私は一体何を糧に生きていけばいいのだ――

 シノは絶望の内に眠りについた。


 それからどれくらい眠っていたのだろうか。シノは家の外から聞こえる物音で目を覚ました。扉の隙間から光は差し込んでいない。すっかり日が暮れているようだ。

 一定の間隔で聞こえてくる物音が気になりシノは起き上がった。

 痛む体を引きずり、這うようにして扉へ向かう。

 扉をそっと開け外の様子を伺い、息を飲んだ。

 オルカが地面を掘っていた。

 シノは驚きのあまりそのまま息をするのを忘れた。そして一心不乱に地面を掘るオルカの姿を見ていると、次第にその姿が滲んできた。

 シノは血が出る程に下唇を噛み締め、声を殺して泣いた。



 オルカは困惑していた。

 穴掘りの作業が一段落してシノの様子を見に戻ったら、シノが地面に頭を擦り付けオルカにひれ伏しているのだ。

「オルカ様。このシノの命、オルカ様に捧げます」

「な、何を言っているんだ? それに変な喋り方だな。『さま』って何だ?」

「シノは竜に仕える『竜の民』。オルカ様のお母上様の仇をとる為に、シノはオルカ様の手足となって働きましょう」

「よ、よく分からないが黙って寝ていてくれ。また傷口が開いて血が垂れてるじゃないか」

「いいえ。オルカ様がシノを従者にすると認めて下さるまで止めません」

「わ、分かった。そのジューシャというのにするからとにかく寝ていてくれ」

「ありがとうございます。このシノ、身命を賭してオルカ様の為に働く事を誓います」

「な、何なんだ、さっきから変な喋り方をして。殆ど意味が分からないぞ。まぁいい。早く寝てくれ」

「承知いたしました。オルカ様の命令があるまで身じろぎ一つせずに寝ておく事を誓います」

 こうしてシノはオルカの旅に同行する事になった。



 オルカはだだっ広い草原にポツンと一本だけ生えた大木の影で休んでいた。乾いた風が髪を揺らす。さきほどシノが「この辺りは盆地だから空気が乾燥しているのです」と言っていた。

「お嬢さん、お水はいかがですかな?」

 そう言って話しかけてきた中年の男は大きな荷車を引いていた。この男もオルカ達のように旅をしているのだろうか。

「え、水をくれるのか? 欲しい。くれ」

 手を差し出すオルカに、男は少し戸惑った様子で答えた。

「え、ええ。差し上げますよ。ただし私も商売で水を売っているのでお代はいただきますがね。百五十ゴルです」

「ああ、金の事だな? 持ってるぞ、シノから貰ったんだ。でも私は金を数えられないからお前が数えてくれ」

 オルカはそう言って懐から財布を出した。

「へ、へえ。分かりました」

 男はオルカの財布から金を取り出すと、代わりにオルカの水筒に樽の水を入れてやった。

 オルカがそれを飲もうと水筒に口をつけたところで、用を足しに行ってたシノが戻った。

「オルカ様、お待ち下さい」

 そう言ってオルカから水筒を取り上げた。

「な、何するんだシノ。私は喉が渇いたんだ。それを返せ」

「はぁ……。オルカ様はそうやってすぐに人を信用するから金を騙し盗られるのです」

「ちょ、ちょっと何なんですかあなた。金を騙し盗るとは失礼な。私は行商人、百五十ゴルでこの人に水を売ったんですよ。ほらこの通り」

 男は不満気に手の平の金を見せた。

 しかしシノはその金には目もくれず荷台の樽を指差した。

「その水の樽には蛇口が二つある。おそらく片方からは水、もう片方からは下剤入りの水でも出るようになっているのだろう。そして相手が弱そうな者なら下剤入りを飲ませて、後で解毒薬を高値で売りつける。古典的な詐欺だ」

 シノが指摘すると男の顔色が変わった。

「ぐっ……。そ、そんなの言い掛かりだ! これは下剤入りなんかじゃない、どっちの蛇口からも普通の水が出るんだ!」

「だったらまず貴様がこの水を飲んでみせろ。本当に水だったら詫びに千ゴル払ってやる」

 シノはそう言ってオルカの水筒を差し出した。

「え、えーいふざけるな! そんなに疑うならもう構わねえ、お前らぶっ殺してやる!」

 男は荷車から巨大な鉈のような刀を取り出した。

 だが振り返った瞬間に、背後まで忍び寄ってたシノに一撃を入れられ失神した。

 シノは地面に散らばった百五十ゴルを拾うとオルカに手渡した。

「お分かりですか? オルカ様。これに懲りたら今度はお気をつけ下さいね」

「え? 何でコイツを殴ったんだ? シノ」

「…………い、いえ。今後は私がお金を管理します」

 シノはオルカの手から財布をひったくると自分の懐にしまった。

「えー。返してくれよ! お金があったら人から物が貰えるんだろ? シノが持ってたら私が好きに使えないじゃないか!」

「ダメですオルカ様。お金を持つのはもっと社会の道理を学んでからです」

「シーノー! 私のジューシャなんだろ! おーかーねーをーよーこーせー!」

「ダメです」

 足早に歩き出したシノを追ってオルカも歩き出した。

 二人が歩く草原を渇いた風が吹き抜けた。

 空はどこまでも青かった。

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