竜の民との出会い
母親である竜を殺した犯人が『メガロ軍』だと知ったオルカは、母の仇を打つ為にメガロ軍に入隊する事を決意し、旅立った。
細く天に伸びた草の先端には、朝露の名残を舐めようと人差し指ほどのバッタが留まっている。
オルカはそのバッタをひょいと掴むと、細くトゲだらけの足の先端を千切り、口へ放り込んだ。
マゴットが持たせてくれた弁当はとうに無くなっていた。オルカがメガロ国へ出発して三日、旅は順調である。
オルカはロージュから持たされた地図を広げた。
おそらくメガロ国までは半分くらいの距離を進んできただろう。オルカの方向感覚は並外れたものがあった。竜の子として山の中で暮らしていた時に自然に身についたものだ。太陽の位置や自分の影の長さ、植物の開き具合などから肌感覚で時間や方向が把握出来るのだ。
食べ物も言わずもがなである。オルカの狩猟の腕は野生生物の中でもトップクラスであろう。
通常の旅人や行商人が命を落とすほどの過酷な旅路であってもオルカにとってみたら朝の散歩ほどに気軽なものなのである。
ただ一つ致命的なのは、オルカは人としての常識をあまりにも知らなさ過ぎた事だ。
「ほぅ……。 こんな寂れた街道にこんな上玉が一人で歩いているとはなぁ。襲って欲しいのかい? お嬢ちゃん」
声をかけてきたのは四人組の盗賊だった。垢でくすんだ肌は浅黒く、顎には無精髭が汚らしく縮れている。腰に差した鉈のような刀には、柄の部分にべっとり血がついており、いくつもの殺生を行ってきた事が見てとれる。
「じょうだま? じょうだまって何だ?」
「がはは。可愛くて食べちゃいたくなるって意味さ、お嬢ちゃん」
「食べる? お前人間を食べるのか、人間って美味いのか?」
盗賊達は顔を見合わせて、ため息をついた。
「なんじゃ、もの狂いか。こりゃ値がつかん」
盗賊は明らかに沈んだ顔でオルカを見ると言った。
「お前、金は持ってるか? 金」
「金? あるぞ。マゴットにたくさん渡された」
「そうか。じゃあその金を出せ」
「出すのか? わかった」
そう言うとオルカは背負ったリュックを地面に置き、中から金の入った袋を取り出した。
盗賊はそれを手に取り中身を確認すると、先程まで落胆していた目を輝かせた。
「なんと、こりゃ驚いた。こいつぁとんだ掘り出し物だぜ」
そう言うと盗賊は仲間に袋の中を覗かせた。仲間から感嘆の声が上がる。
「じゃあお嬢ちゃん。こいつはもらっていくからな。分かってるな? 逆らったらこうだぜ?」
そう言って盗賊は親指で首を掻き切る仕草をしてみせた。
「欲しいのか? 分かった。やるよ」
オルカはすんなりあげてしまった。
盗賊達は下品な笑い声を残してその場から消えた。
このようにオルカは人間界のルールを全く把握していないのだ。場所が場所なら変わり種と面白がられもしようが、悪党がどこに潜むか分からない旅の道中に於いてはオルカの常識のなさは致命的であった。
そしてその弱みは再び露呈する。
それはオルカが関所に通りがかった時だった。関所は両脇を高い崖に挟まれ、十メートル幅の道に巨大な門が設置されている。
「おい娘。ここを通りたければ通行証を出せ」
険しい顔をした二人の兵士は、オルカの前に二本の槍で×を作った。
「つうこうしょう? 何だそれは」
「メガロ領へ入っていいという許可証だ。これくらいの紙だ」
「そんな紙持ってないぞ」
「ならばここを通すわけにはいかん」
「何でだ? 私はメガロ国へ行かなければいけないんだ」
「ふむ……。どうしても通りたいのなら通さんでもないが、うーむ。最近どうも懐が寒くてのぉ……。ゴホンゴホン」
「ん、寒い? 風邪なのか?」
「何を言ってる馬鹿者。ゴホン……金だ。ゴホンゴホン。金を出せ」
「金はないぞ。さっき欲しいって奴にあげたばかりだからな」
「ならば通すわけにはいかん。帰れ帰れ」
「何でだ! 私はここを通る必要があるんだ。邪魔をしないでくれ」
「えーいクドいぞ! 痛い目をみたいか!」
兵士は槍で軽くオルカの頭を小突いた。
オルカは体を捻り槍を躱す。槍はオルカの体すれすれを撫でた。
オルカに躱された事に気付いてない兵士は、自分の手元が狂ったのだと勘違いし、オルカを威嚇した。
「次は外さぬぞ! 痛い目をみたくなければさっさと去れ!」
オルカは渋々関所を後にした。
どうも今の男二人は怒っていたようだ。二人を倒してしまえばあの程度の門は簡単に越えられるが、無駄に人と揉める事はロージュに禁止されていた。
「お前の目的はメガロ軍に潜入し、秘密裏に母親の仇を殺す事だ。その為にはお前が竜の娘である事や強い事がバレてはならん。出来るだけ目立つ行動は控え、力のないフリをしておくのだぞ」
そう言うロージュの言葉を思い出し、オルカは関所で揉める事を避け、深い山の中を通り抜ける事にした。
山の中は暗く方向感覚が無くなる上、足元は酷く険しく、この地域に詳しくない者が入る事は自殺行為に等しいがオルカにとってはただの迂回に過ぎない。
しかしこの迂回が、オルカにとって重要な出会いを果たす事になるのだった。
木漏れ日が細く射し込むだけの森の中は夜明け時ほどに薄暗かった。
オルカは木漏れ日の角度から太陽の位置を把握すると、西へ向かい順調に歩いていた。関所が通れなかったので、深い森を抜ける事にしたのだ。
ロージュの地図によれば、三日も森を進めば再び街道に出られるであろう事が予想出来た。
単なる迂回。むしろオルカにとったら懐かしい森の中の進行である。山越えは特に何の問題もなく終わると思っていた。
ところが途中でおかしな場所を見つけたのだ。
その場所は木の密度が他より薄く、直径十メートル程の空き地のようになっていた。上空もそこだけすっぽり青空が広がっており、正午には真下に降り注ぐ太陽の光でおそらくその場所だけスポットライトが当たっているかのように神秘的な空間になるだろう。
そしてその空き地の中央には四角い石造りの台が置いてあり、台の上には円形の天板が設置されている。
台の側面には竜の図柄が彫られており、明らかに人の手によって設置されたものである事が分かった。
オルカはこのようなものが山の中にある事が不思議だったが、近付くにつれ、天板の上に太鼓ウサギの死体が載っている事に気が付くと、何故こんな場所に人工物があるのか、という疑問はすっかり忘れて太鼓ウサギの死体に夢中になっていた。
オルカは祭壇の脇に、拾ってきた小枝と枯れ草を重ねると、火打石に剣を叩き付け火を起こした。火が大きくなると薪を焚べて、その上に太鼓ウサギの死体を載せた。
マゴット達との生活の中で、肉に火を通すと格段に味が上がる事を覚えたのだ。
太鼓ウサギにすっかり火が通ると、左手で頭を掴み、剣の刃で黒く焼け焦げた体毛をこそぎ落とした。
香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。背中の肉にかぶりつくと、歯応えのある筋肉質な肉の旨みが口の中に広がった。
オルカは夢中で太鼓ウサギの肉を貪った。
台の上には太鼓ウサギの他に、縦長の花瓶のような入れ物が二本置いてあった。
肉を咀嚼しながら、脂でギトギトになった手を伸ばす。花瓶のような入れ物の中には液体が入っているようだ。
水だろうか。中を覗いてみるが暗くて何色の液体かは分からない。しかし甘ったるい柔らかい匂いが鼻の奥をくすぐった。
オルカは抗い難い欲求に取り憑かれ、その液体を一口飲んでしまった。液体が喉をするする落ちていくと胃が熱くなった。
しばらくすると顔も熱くなり頭がぼーっとした。
オルカはこの謎の水に大いにハマった。肉の旨みを水が増長し、水の旨みを肉が増長した。
オルカは最高の気分だった。なんだか無性におかしい気分になり、気が付いたらケタケタ笑っていた。
体が浮かび上がるような高揚感に身を委ねると、オルカの野生動物のように鋭い勘は完全に機能を失った。
だから目の前に刃を突き付けられるまで敵の存在に気が付かなかったのだ。
シノは『竜の民』の娘である。
竜の民とは竜を神と崇め信仰する一族の事だ。
深い山奥に集落を作り、自然と共に過ごしている。
竜の民というだけあって竜についても造詣が深く、それを取り巻く自然環境にも多くの知識を有していた。
森の中を駆け巡り野生動物を捕獲する生活を送っているため身体能力も高く、彼らは人々から『山の賢人』と呼ばれ尊敬を集めた。
シノはそんな竜の民の一族の中でも、一族始まって以来と言われる程の高い能力の持ち主だった。
「長老。竜の祭壇で異変が起こっているようです」
シノの言葉に長老が祭壇の方を見ると木々の間から一筋の煙が立ち上っていた。
「煙……。はて、村の者が祭壇で呼んでいるんじゃろうか」
「いえ、先ほど確認したら村の者は全て揃っているようです。恐らく村人以外の何者かだと……」
「まさか。ワシらの案内無しにこんな山奥まで辿り着ける者がおるわけなかろう」
「確認してまいります」
「ふむ。気をつけよ」
シノは風のように森へ消えた。
シノは超がつくほど真面目な性格だった。
子供の頃、祭壇の上で瀕死の状態で発見された事がある。日照りが続き村の水が枯渇する事態になり、シノがその身を竜に捧げる事で雨を乞おうとしたのだ。
結局命が尽きる前に村人に発見され救われたが、シノは朦朧とする意識の中でこれまでにない高揚感に包まれていた。
己の苦しみが、竜と村人に尽くした証なんだと実感していたのだ。
シノは、自分が大きな存在に仕えている時に幸せを感じられる性格なのである。
だから煙の立ち登る祭壇に辿り着いた時には、気が狂いそうな程の怒りを覚えた。
見知らぬ少女が竜に捧げた肉を食らい、酒を飲み、非道の限りを尽くしていたのである。
「貴様、ここで何をしている」
シノは今にも斬りかかりたい衝動を抑えて言った。
「はぇ~。なんらこれは……」
オルカは目の前に突き付けられた刀の先を掴もうとした。
シノが慌てて刀を引っ込める。
「ふざけるな! しっかり話せ!」
シノが思わず頬を殴りつけると、オルカは「ぐぅ……」と言いながらそのまま後ろに倒れた。
「おい寝るな! 全部話すまで楽になれると思うなよ」
シノはオルカの胸ぐらを掴み、激しく揺さぶった。
オルカの話を一通り聞き終えたあと、シノは目を閉じ深く息を吐いた。爆発しそうな怒りを抑える為である。
「ほ、ほぅ……。すると貴様は自分を育てた竜を殺した犯人を見つける為に、メガロ国へ行く途中だと言うわけだな?」
「へへ……。そういう事ら。そんら事よりもお前も一緒にこの水を飲むら……。フワフワした気持ちになれるろら……」
オルカは口の端から血を流し笑った。聞き取りの途中で、我慢出来なくなったシノに何度か殴られたのだ。
「くそ……。全く話にならないな。酔っ払って現実と妄想の区別がつかなくなってる……。しかし竜に育てられたなどと、妄想にしても罰当たりが過ぎる」
シノはオルカを後ろ手に縛り、無理矢理立たせた。
「いつまでもここで話を聞いていても埒が明かない。一旦お前を村に連れて行き、酔いが覚めたらもう一度尋問してやるから覚悟しておけ」
シノはオルカの腰に結んだ縄をグイと引っ張った。
村から祭壇までは、シノの足で五十分程かかる。それでも村人の中ではかなり早い方だ。帰りは下りの為もう少し早くなる。ただ今日は、オルカの尋問に時間を使い、その上腹も立っていたのでいつもより下るスピードはさらに速くなっていた。
かなりの速度で歩きながら、シノはずっと不可解だった。オルカの腰に巻いた縄を握っているのだが、まるで抵抗を感じないのだ。つまりシノの足について来てるのである。酔っ払って足元がおぼつかない上、後ろ手に縛られ、さらに大きな荷物を背負っているというのに、である。
シノはチラリと後ろのオルカに目をやった。顔が赤く足元はぐにゃぐにゃだが驚く程体幹がブレていない。並の身体能力ではない事が見てとれる。
どうりでこの山奥まで来られたわけだ。村に着いたらお前が何者かしっかり突き止めてやる――
シノは村まであと少しの距離になったので、さらに足を早めた。が、突然オルカを繋ぐ縄が大木にでも巻きついたかのようにビタっと止まった。
シノは急に縄が止まったのでバランスを崩しコケそうになった。何事かと振り返ると、先ほどまでぐにゃぐにゃだったオルカが大木のように真っ直ぐ立っていたのだ。顔は相変わらず赤かったが目つきだけは鋭く、遠くを見つめていた。
「血の臭いだ……」
そう呟くオルカの視線はシノの村の方向を見ていた。