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竜の仔  作者: bamboo
プロローグ
6/9

旅立ち



 マゴットは鼻歌を歌いながら料理の腕を振るっていた。エビ茸のクリームスープ、金剛バッファローのトマト煮込み、オーロラマスの塩釜蒸し……。いつにも増して気合いが入っている。それもそのはず、今日はオルカがマゴット達の家に来てからちょうど三年目なのだ。

 三年前の今日。ロージュが突然裸の女の子(しかも傷だらけで、人の言葉も知らなければ人間の生活も知らない)を拾って来た時は祖父の勝手さに怒りを覚えた。だが、二人で手当てをし、少しずつ言葉を教え、人としての振る舞いを教えていくうちにマゴットはいつの間にかオルカを自分の妹のように慈しむようになっていた。

 オルカは無垢な子供のようにマゴットに懐き、屈託なく感情を表現した。

 祖父のロージュも、以前は無断で家を留守にする事が多かったが、オルカが家に来てからはそんな事もなくなり、三人での生活は非常に充実したものになっていた。

 マゴットは鍋をかき混ぜながら三年間の思い出を噛みしめ、そしてこの幸せな日々がずっと続けばいいと願った。


 玄関の扉が開いた。入ってきたのはロージュだ。

「おじいちゃんおかえり。今日の修行はどうだった?」

 マゴットはそう言いつつ両足を踏ん張った。いつも祖父が修行を終えて家に入って来たら、続けてオルカが走ってマゴットに抱きついてくるのだ。マゴットが何度も「そんなに勢いよく飛びついてこないで」と注意しても直らない。マゴットはいつしか注意しなくなり、変わりにオルカの突進を受け止められるように両足を踏ん張るようになったのだ。

 しかし今日はマゴットはそのまま足から力を抜く事になる。ロージュに続いて入ってきたオルカの顔が沈んでいるのだ。

「おかえりオルカ。どうしたの? そんな暗い顔して。もしかして稽古中におじいちゃんにこっぴどく怒られた?」

 マゴットがおどけて訊ねたが、オルカは反応しなかった。

 ロージュは花が飾り付けられているテーブルを指差しオルカに言った。

「そこに座って待っておれ」

 オルカは黙って椅子に腰掛けた。

 ロージュもオルカも、お祝いの為に飾り付けられたテーブルの花には反応しなかった。マゴットは少し悲しくなったが、もう二人の間に流れてる空気が普通の状態ではない事に気が付いていた。

 マゴットは、ただ俯いて座るオルカに声をかける事が出来なかった。


 ロージュは暫くすると自分の部屋から戻ってきてオルカの前に一枚の鉄製の板を置いた。

「三年前のあの日……。森の中を歩いていたワシは巨大な竜の死体を発見した。今までお前とその話はしてこなかったが、あの竜はお前を育てた母親だな?」

 オルカは反応しなかったがロージュは話を続けた。

「あの竜の死体を見つけた時にすぐに分かったよ。『これをやったのは人間の仕業だ』とな」

 オルカの目に怒気を帯びた炎が灯るのが分かった。


 マゴットは、二人に流れる異様な空気の理由が分かった。この話に触れたのは三年の生活の中で初めての事だった。正直このままずっと触れる事はないと思っていた。オルカが竜に育てられた事は祖父の話やオルカの振る舞いを見ていたら『きっとそうなのだろう』と感じていたが、それを詳しく聞いたところで竜は死んでしまっているのだ。オルカが自分から語り出すまでこちらから触れないようにしよう、と心に決めていた。

 ところが事態は急変した。

 祖父は『オルカの母親を殺したのは人間だ』と言い出したのである。

 マゴットは、何故祖父がそんな事を知っているのか。また、何故今になって突然そんな事を言い出したのか、疑問が次々と湧いたが、黙って祖父の話に耳を傾ける事にした。


「あの竜は体の部位がバラバラにされて死んでおった。竜を相手にそんな事が出来るのは竜以外にはおらん。当然だ。最強の生物をバラバラにするなど、想像を絶するパワーが必要になってくる。だが、どうやら最近人間が、その最強に近いパワーを手に入れたと聞いた……。『魔法兵器』という力をな」

『魔法兵器……』マゴットは頭の中でその単語を呟いた。初めて聞く言葉である。

「魔法自体は遥か昔からあった。だがそれは所詮人間が使うエネルギー、力に限りがある。使えば疲労もするし、威力もそれなりだ。どんなに魔法が上手い者でも、人を包み込む程度の火を放ったり、人をバラバラに出来る程度の爆発を起こすのがせいぜいだ。竜にダメージを与える事など到底不可能」

 マゴットもそれは知っていた。マゴットが町に住んでいた頃は道端で魔法使いが炎を操り、投げ銭を集める光景をよく目にした。

 ロージュは続ける。

「ところが数年前に発見された『魔鉱石』に魔法を溜める技術が開発されて状況は一変した。それまで、人を一人吹き飛ばすのがせいぜいだった魔法が、大岩を粉々に破壊出来る程の力を得たのだ」

 マゴットは、それは初めて聞いた。もしそれが本当なら、人間は恐ろしい力を手に入れた、と怖くなった。

「竜は恐らく、その『魔鉱石』を使って殺されたのだろう。あんな殺し方が出来るのは、竜を除いてそれくらいしかない。ワシは竜の死体を発見してすぐに現場をくまなく調べたよ。現場にはおびただしい血の海が広がっていたが、その中に小さな肉片をいくつか見つけた。恐らく人間のものだろう。竜の反撃に遭い人間側にも相当数の被害が出たのだ。死体は片付けられていたが、小さな肉片までは手が回らなかったのだろう」

 ロージュは淡々と説明する。それを聞くオルカは呼吸が荒くなっていた。激しい怒りに襲われているのだ。人の言葉を覚えて三年で、ロージュの言う事を全て理解してるわけではないだろうが、母の死の状況を理解しようと必死に耳を傾けているようだった。

 マゴットは不可解だった。何故祖父はそこまで分かっていて今まで黙っていたのか。また、何故今言い出したのか理解出来なかった。

 しかしその理由はすぐにロージュの口から語られた。


「これは、お前の母の歯に挟まっていたものだ」

 ロージュは、先程オルカの目の前に置いた鉄製の板を指差し言った。

「こいつが何か分かるか? これは人間が身に纏う甲冑の兜、それの目を覆う瞼甲めんぼうという部品だ。お前の母親が戦闘中に兵士からかじり取ったのだろう」

 そしてロージュは、ここを見ろ、と瞼甲の端を指差した。そこには竜が口を開けてる横顔のマークが刻印されていた。

「こいつは西にあるメガロ国の紋章だ」

 ロージュはそう言うと、一拍間を置いて続けた。

「お前の母はメガロ軍に殺された」


 マゴットの手元では、料理がすっかり出来上がっていた。だが当然それを出せるような空気ではない。

 オルカの母親の仇はメガロ軍――

 ロージュが突然そんな事を言い出したのだ。

 マゴットは衝撃の事実に思考が停止していた。オルカの母親は殺された。しかもその犯人はメガロ軍という事まで分かったのだ。

 オルカは母の仇を討ちたいと思うだろうか。だが相手がメガロ軍とは余りにも敵が強大過ぎる。単身攻め込んだところで返り討ちに遭うのがオチだ。

 マゴットは解決策の見えない状況に絶望した。


「ワシはこの三年、お前に言葉と常識、そして剣術を教えた」

 ロージュが口を開いた。

「それはお前が母の仇を討つのに最低限の知識だ」

 マゴットは祖父の言葉を聞き、鼓動が速まるのを感じた。仇討ち……。祖父ははっきりとそう言った。やはり祖父はオルカに母親の仇をとらせてやりたいと考えていたのだ。しかし言葉や剣術を教えたくらいで、どうすれば一国の軍を相手に戦う事が出来よう。

「オルカよ。お前がどんな行動をとるのかはお前の自由だ。お前がずっとここに居たければワシもマゴットも喜んでお前を歓迎しよう。だがもしお前が母の仇をとりたいのなら軍へ入れ。メガロ軍に入隊し、母親を殺した相手を見つけ出し復讐するのだ!」

 マゴットは驚愕した。祖父はオルカに仇討ちをさせる為に、敵の懐へ飛び込めと言うのだ。

 しかし考えてみると確かに安全な方法かもしれない。こちらの素性を隠し軍に入隊し、母親を殺した犯人を捜す。そして仇を突き止め、一人一人秘密裏に葬るのだ。これなら正面切って戦いを挑むよりずい分勝算のある戦いが出来るかもしれない。


 とはいえマゴットはオルカに仇討ちなどして欲しくはなかった。そんな修羅の道に飛び込まずとも、ここで一緒に暮らしていればどんなに穏やかな毎日が過ごせるだろうか。ロージュもきっとそんな思いがあったから選択肢を与えたのだ。マゴットはオルカと過ごした三年の日々を思い返し、胸が苦しくなった。

 オルカはロージュの話を聞き、どういう選択をするだろうか。マゴットはそっとオルカの表情を伺った。


 肩を震わせ泣いていた。三年前に見せた静かな涙とは違う。顔をくしゃくしゃにし、しゃくりあげて泣いていた。やがて堪えきれなくなったオルカは大声を上げて泣き出した。涙も鼻水も涎も垂らしながら子供のように泣いた。この三年間で初めて見せる裸の心。今、見せているのがオルカの本当の気持ちなのだ。

 ずっと母親の死を抱えて生きていたのだ。

 これこそが心底知りたかった情報だったのだ。

 オルカにとっては母親が全てだったのだ。

 もはやマゴットにはオルカが出す結論がどのようなものか明白だった。

 オルカは仇討ちに行くだろう――



 深夜――

 台所では、オルカの祝いの為に作った料理が、殆ど手がつけられず冷めていた。

 ロージュとマゴットは軽く食べたが、当のオルカは何も口にしないまま(とこ)についた。

 マゴットは布団の中で寝付けずにさまざまな思いを巡らせていた。

 恐らく明日オルカは出て行くだろう。オルカが出て行ったら、またロージュと二人だけの生活に戻るのだ。仕方ない事だが、あまりの寂しさに泣けてきた。それほどオルカの居た三年間は楽しかったのだ。

 自分はオルカの事を本当の家族と思い接してきた。しかしオルカはどう思っていたのだろうか。やはり母親の死の真相を聞かされた時のオルカの姿を思い返すと、自分はオルカにとって同居人や友人程度にしか思われていなかったのだろう、と少し寂しくなった。

 離れたくない……。オルカに危険な目に遭って欲しくない。仇討ちなどという野蛮な人生を送って欲しくない。

 いろいろ考えるうちにマゴットはオルカを引き留めようという考えに思い至った。

 そうだ。明日オルカが起きたら説得しよう。何もそんな危険な場所に飛び込んで行かずとも、ここでずっと楽しく暮らしていけばいいじゃないか。母親の復讐などせずとも、母親の事を思い、祈る事の方がずっと供養になる。オルカも私が真剣に説得をすれば、きっと聞き入れてくれるだろう。

 そんな事を考えていたら、横で寝ていたオルカが声をかけてきた。

「なぁ、マゴットマゴット」

「ん? どうしたのオルカ。眠れない?」

「うん。ハラ減った。ご飯」


 オルカは口いっぱいに肉を放り込んだ。

「ほらオルカ、そんなに慌てて食べないの。しっかり噛んで食べなさい」

 オルカの口の周りにはトマトソースがべったりついている。

 食事のマナーはずい分しつこく教えたつもりだが、オルカはどうにも目の前の食事を我慢する事が出来ないらしい。野生下で暮らしていた時に染み付いた癖なのだろうか。

「ふふふ。でもオルカって本当に美味しそうにご飯食べるわね。作った者としては嬉しい限りだわ」

「だってマゴットの料理は美味いもん。山では生の肉や内臓をそのまま食うだけだったからな」

 ドキリとした。オルカが山での生活の事を口にしたのは初めてなのだ。

「そう……。ねぇ、オルカは竜のお母さんに育てられたのよね? どんなお母さんだったの」

 マゴットは思い切ってオルカを育てた母親の竜の話題に触れた。ずっと知りたい事だったが、ずっと口には出せない事だった。

「でっかかった」

「そう。他には?」

「んーと……、あと強くて優しかった」

「へぇ、そうなんだ。他には?」

「怒ると恐かった」

「他には?」

「私の事を一番大切に考えてくれた」

「…………」

 聞いてて涙が出てきた。オルカが言う竜の印象は、正に人間が母親に抱く印象と全く同じなのだ。

 オルカは竜に育てられたのではない。

 紛れもなく母親に育てられたのだ。

 そして母親がメガロ軍に殺された……

「何で泣いてるんだ? マゴット」

「んーん……。素敵なお母さんだったのね」

「うん」

「メガロ軍に入って、お母さんの仇を討つのね」

「うん」

「しっかりやってきなさい」

「うん」

 それからオルカは黙々と料理を平らげた。

 自分の料理を美味しそうに食べるオルカを見てマゴットは思った。

 悲しいが、母親の仇を討とうとするオルカを一体誰が止める事が出来ようか。

 明日は精一杯笑顔で送り出してやろう。オルカが気持ちよく出発出来るように悲しい気持ちは心の中に押し込めておくのだ。そうだ、ずっと密かに貯めてきたお小遣いも全て持たせてやろう。あと服や食料もたくさん持たせてやらないと。明日は早起きして、やる事がいっぱいだ。

 マゴットは、もう涙は流さないと心に決めた。

「ねぇ、マゴット」

 食事を終えたオルカが席を立ってマゴットに近づいてきた。

「ん?」

「抱き締めて」

「ええ」

「頭撫でて」

「ええ」

「体撫でて」

「ええ」

「母さんと一緒だ」

「…………」

「母さんはよく私を羽根の下に入れて、私の体を舐めてくれたんだ」

「そう……」

「マゴットは母さんと一緒だ……。大好き」

「私もよ。愛してるわ、オルカ」

 マゴットは恥ずかしかった。

 さっき、もう涙は流さない、と誓ったばかりなのに、その舌の根も乾かないうちにこんなにも涙を流しているのだ。自分は何と意志の弱い人間なのだろうか。

 マゴットとオルカは泣いた。

 二人で抱き合って、声を上げて泣き続けた。



 翌朝、オルカはメガロ国へと旅立った。

 ロージュとマゴットに見送られ、笑顔の別れになった。

「辛くなったらいつでも戻ってくるのよ。私とおじいちゃんはいつでもここであなたの事を思っているわ」

「うん」

「ちゃんとご飯食べるのよ。お金がなくなったらいつでも連絡を寄越しなさい」

「わかった」

「あと人から親切にしてもらったらちゃんと、ありがとう、って言うのよ。それと迷惑かけたら、ごめんなさい、もね」

「ははは、大丈夫だ。マゴットは心配が多いな」

「え? あはは、本当ね。じゃあお小言はこれくらいにしておくわ。元気でやるのよ」

「うん」

「あ、そうだ。一個だけ気になってた事があるんだけど」

「何だ?」

「オルカ。あなたそのネックレスどうしたの?」

 マゴットはそう言うと、オルカの首に掛けられている赤い宝石のネックレスを指差した。

「それ、おじいちゃんが三年前にあなたを拾ってきた時には既にあなたは持っていたわ。もしかして山の中で拾ったの? ずっと気になっていたのよ」

「ああこれか?」

 オルカはネックレスを持ち上げてみせた。

「私もわからない。ずっと昔から持ってたんだ。いつ拾ったか知らないけど、これを握ってると落ち着くんだ。私の宝物だ」

「そう……。じゃああなたが小さい頃に、山の中で拾ったのかもしれないわね。大事になさい」

「うん」

 オルカはマゴットとロージュと抱き合うと西へ向けて歩き出した。

 暖かい風が東から吹き、まるでオルカの旅立ちを後押ししているようだった。

 オルカは何度も振り返りマゴットとロージュに手を振った。

「ふふ、まだ振ってるわ。あの子ったら……」

 マゴットが呆れていると、ロージュが口を開いた。

「あのネックレスはワシがあの子の首にかけたものだ」

「え、何か言った?」

「…………」

「おじいちゃん?」

「いや……いずれまた言う」

 ロージュの呟きは風の音に消えた。



 波のようにうねる草原を歩くオルカの足取りは軽かった。

 母の死体を発見してからの三年、オルカの心は死んでいた。生きていても仕方ないと思っていた。ロージュとマゴットに大切にされ、それなりに幸せではあったが、ロージュから母の死の真相を聞かされた時に、母の死以来ずっと灰色だった世界に彩やかな色彩が戻った。

 生きる意味が出来たのだ。

 母をあのような無惨な姿にした犯人を見つけ出し、殺す事こそがオルカの生きる目標になった。

 オルカの目には、かつて山で獲物を仕留めようと隙を窺っていた時のようなギラギラした光が戻っていた。

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