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竜の仔  作者: bamboo
プロローグ
4/9

竜の仔オルカ



 切断された竜の死体には無数の肉食昆虫が集まっていた。ウジ、シデムシ、ムカデ、ナメクジ……。様々な昆虫が切断面にたかって竜の血肉を貪っている。他にも肉食の小動物や鳥、そして小型の魔物も集まり始めていた。あと数日もすれば竜の縄張りのマーキングも薄れ、大型の魔物も集まってくるだろう。竜の死骸は大地の恵みである。多くの生物の命を繋ぎ止めるのだ。


 少女は、切断された母の顔の部分に寄り添って寝ていた。発見した時に気を失ったが、一度目を覚まし顔に移動したのだ。少女は何も考えなかった。母が何故死んでいたのか、何者に殺されたのか、自分が今どんな感情なのか、悲しいのか、怒っているのか、腹が減っているのか、死にそうなのか。何も考えずにただただ母に寄り添った。

 現状は死にそうなのである。スチールタイガーに襲われ大怪我を負い、体力も枯渇し、その上エネルギーの補給をするわけでもなく寝ているだけなのだ。しかも本人は死にかかっている事に気付いていない。生きようとする思考さえ無い。少女の命の灯火は消えかかっていた。


 少女が次に意識を取り戻したのは、何者かに担がれ移動している最中だった。状況はよく分からないが、とにかく運ばれているようだ。少女は薄く覚醒した意識の中でそう思い、そしてまた泥の眠りの中に沈んだ。



 二十二歳のうら若きマゴットは森の中で祖父のロージュと暮らしている。祖父は変人だった。無口であまり家に寄り付かず、都会で暮らすマゴットと両親の元へ数年ぶりに帰ってきたと思ったら、信じられない程の大金や宝石を持って帰ってきた。そして数日暮らすと、またどこかへ出て行った。

 マゴットはこの殆ど喋った事がない祖父が嫌いじゃなかった。数年ぶりに帰ってきた時も真っ先に祖母の墓に花を供えに行った事を知ってるし、家に寄り付かないのも息子と嫁、つまりマゴットの両親に気を遣わせない為だという事もなんとなく分かっていた。

 だから二年前、マゴットが二十歳の時に再び祖父が帰ってきて、二日後に出て行こうとした時に「私もついて行く」と申し出たのだ。

 両親は驚いたが祖父は、好きにしろ、とだけ言った。

 それから森の中にある祖父の家で二人暮らしをしている。

 一緒に暮らし始めて驚いた。祖父は自分の家からも時々姿を消すのだ。ふいにいなくなったかと思うと、数日したら戻ってくる。「急にいなくなるな」と苦情を言ってもまるで直る気配はない。どこに行ってるのか? と尋ねるが、「森だ」と言うばかりでどうにも要領を得ない。

 マゴットは追及するのを諦めた。

 ただ、マゴットに不自由をさせないようには気を遣っているようだ。時々狩りをしては町で金に換え、持って帰ってくるし、家を暫く開ける時は大量の獣や魚を捕ってくるのだ。

 今回も二日前に大量の食料を持って帰ってきてから姿を消した。

 やれやれまたしばらく帰って来ないのね、とマゴットは呆れた。

 ただ、今回ばかりは心の底から驚いた。

 いつもなら一週間は家を開けるのだが、今回は二日で帰ってきた上に一人の少女を持って帰ってきたのだ。

 文字通り()()()()()()()()。連れてきたのではない。肩に担いで、意識のない少女を持って帰ってきたのだ。


「ちょ、ちょっとおじいちゃん! ど、どうしたのよその子! 誰なの? すごい怪我してるじゃない! もしかしてさらって来たの?」

 矢継ぎ早に質問を投げかけるマゴットを無視してロージュは家の中のベッドに少女を寝かせた。

「ワシは薬草を採ってくる。お前はこいつの治療をしてくれ」

 それがロージュがマゴットにした初めての頼み事だった。


 マゴットはベッドで眠る少女を観察した。眠るというより気絶しているようだ。まるで生気が感じられない。

 一体何があったらこんな瀕死の状態になるのだろう。少女の全身は擦り傷だらけで脇腹には縦に裂けた大きな傷がある。そして唇は白くシワが寄り、肌は紙のように乾いていた。脱水症状をおこしている。マゴットは少女に触れてみた。冷たい。低体温症もおこしているようだ。

 マゴットは素早く火を起こし、湯を沸かした。


 ロージュとマゴットは交代で懸命に少女を看病した。スープを一滴ずつ口に含ませ、体を温め、傷口を丁寧に拭いた。ロージュが採ってきた薬草をすり潰し傷口に塗り込んだ。

 最初に生気のない少女を見た時、マゴットは少女の命はそう長くはないだろう、と諦めていたが、少女は異常な回復力をみせつけた。

 水分を与えたらみるみる肌にハリが戻り、薄いピンクに色付いた。深く裂け、肉が見えてた傷口もキレイに塞がり、一週間もすれば跡形もなく消えた。

 ただ、意識は戻ったものの、あらゆる刺激にまるで反応しない。目は開いているのだが焦点は合わず空中の一点を見つめるだけ。話しかけても一切反応しない。口に物を入れれば飲み込みはするが、糞尿も垂れ流しで三日目にはおしめをつけた。

 マゴットには、少女の体は必死に生きようとしているが、心は死にたがっているように見えた。


「ねぇおじいちゃん。この子に何があったの?」

「森の中で竜が殺されていた。恐らく人間の仕業だろう」

「そ、そんな……。何て恐ろしい事を……」

「この娘はその竜の死骸に寄り添うように寝ていたのだ。もしかすると竜に育てられたのかもしれん」

「え、り、竜に育てられるって……。そんな事ってあるの……?」

 ロージュはそれきり黙った。

 マゴットはベッドで放心する少女の顔を見た。

 人間が竜に育てられる事なんて信じられなかったが、少女の、まるで『生を拒絶する』ような表情を見ると、母親が死んだという話にも納得がいった。

 そう思うと、マゴットには少女の姿がなんとも哀れで、そして愛おしく見えてきた。


 その日からマゴットは少女の事を『竜の仔』という意味の『オルカ』と名付け可愛がった。

「オルカ、あなた綺麗な肌してるわね。こんなにハリがあってキメの細かい肌見た事ないわ。それに髪もコシがあって(つや)やかでとっても綺麗よオルカ……」

 マゴットはまるで妹や娘にでも接するようにオルカに話しかけた。そして優しく体をさすり、櫛で丁寧に髪をとかしてやった。



 竜の娘の少女はずっと闇の中にいた。母親が死んで少女の世界の全てが消えたのだ。母がいないのなら生きる意味がない。少女は思考する事をやめた。心と体を切り離したのだ。

 暗闇の中、体の表面に僅かな刺激を感じる。腕を、背中を、頭を優しく撫でられる。そして優しく語りかけられる。この感覚には覚えがある。この慈愛に満ちた温もり……。母の羽根の下で全身を舐められたあの感覚……。

 真っ暗闇だったオルカの心に小さな明かりが灯った。



「え? う、うそ……。ああ、何て事。何て素晴らしいのかしら……。ああ、神様……」

 マゴットは思わず感激の声を漏らした。

 オルカの目から一筋の涙がこぼれたのだ。

 意識が戻ってから一度も人間らしい感情を見せてこなかった少女が、目の端から涙をこぼしたのだ。

 そしてオルカの二つの瞳は、はっきりとマゴットの顔を捉えていた。



 その日からオルカは幾分の反応を見せるようになった。とは言ってもその振る無いはまるで動物である。四つん這いで歩き、食事は皿に顔を埋め犬のように貪った。服を着せてもすぐに脱ぐ。

 マゴットは諦めずに何度も着せたが、ようやく脱がなくなったかと思うとそのまま糞尿を垂れ流し服を汚した。

 一番困ったのは風呂を嫌がる事だ。オルカのあまりの臭さに耐えきれず風呂に入れようとするがとんでもない力で抵抗する。祖父と協力してなんとか風呂に入れるのだが、体が綺麗になると今度はすぐに風邪を引くのだ。

 体の表面を垢や汚れでコーティングされてる方が抵抗力があるのだろうか。

 こういった体質や振る舞いを見ていると、このオルカが竜に育てられたというのはやはり本当なのではないかと思えた。

 ともあれマゴットは根気強くオルカに人としての振る舞いを教え、そして優しく語りかけ続けた。

 そして一年もするとオルカはおぼつかないながらも、二本の足で歩き、手を使い食事をするようになった。

 そして「あー……」「うー……」などの唸り声を上げるだけだったオルカだが、今では「めし……」「ふく……」などの簡単な単語も話すようになった。

 その頃からである。

 ロージュがオルカに剣術を教えるようになったのは。

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