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竜の仔  作者: bamboo
プロローグ
2/9

少女の狩り



 地表を這う大木の根に、しなだれかかるように横たわっていたのは体長一メートルほどのトサカトカゲだった。

 これに無警戒に近づいて来る影がある。体長三メートルはあるデビルパンサーだ。

 無警戒だったのは、このトサカトカゲが死んでいる事を知っていたからだ。

 さきほどより茂みの中から観察していたのである。呼吸による体の収縮も見受けられない、それについ今しがた木の上から太い枝が落ちてきたのにまるで反応しなかった。それでデビルパンサーはトサカトカゲが死んでいると判断し、茂みの中から出てきたのだ。

 思った通り、茂みを出る時の音にもトサカトカゲは反応しなかった。

 デビルパンサーは(はや)る気持ちから、少し駆け足になってトサカトカゲに近寄った。

 そして前足でトサカトカゲをつつき、やはり死んでいる事を確認した。


 今日はラッキーだ。苦労せず食糧が手に入った。獲物を狩る労力だけではない、見つける手間まで省けたのだ。いつも巡回するルートの途中に、こんな目立つ場所で獲物が死んでいた。しかもトサカトカゲといえば岩の表面などに生えた苔が主食なので、肉に臭みがなく非常に美味なのだ。普段は木の上や岩の隙間に生息している為なかなか口にする事は出来ない。

 それが木の根の上で死んでいる。日向ぼっこでもしている間に突然死したのだろうか、それとも木の上から落下し、その衝撃で死んだのだろうか。トサカトカゲは木登りが得意だったハズ、そんな事があるだろうか。それならば他の魔物がトサカトカゲを捕獲し、後で食べる為にここに置いているだけだろうか、いやそれならばどこかに外傷があるハズだがそれは見受けられない。それにここは俺のナワバリだ。他の魔物が入ったなら臭いがするはずだ、しかしここには俺の臭いしか漂っていない。


 いろいろ考えたが、デビルパンサーはふと我に返った。いかん、また知らぬ間についつい考え込んでしまっていた、俺の悪い癖だ。

 そうだ。死んだ原因などどうでもいいのだ。とにかく今日は幸運に恵まれたのだ、ありがたくこの丸々と太ったトサカトカゲで腹を満たそう――


 デビルパンサーがトサカトカゲをひっくり返し、腹にかじりついた時だった。

 背中に強い衝撃を感じた。一瞬岩でも落ちてきたのかと思った。

 しかしそれは岩ではなく、裸の人間の少女だったのだ。

 だがデビルパンサーは、木の上から自分の背中に降ってきたのが人間の少女だという事など分かるはずもなく、ただただ驚いて大きく飛び上がった。そして飛び上がった瞬間に、背中に何かがしがみついてるのだと悟った。


 しまった、何者かに襲われた。デビルパンサーは激しく動揺したが、背中の何者かが大した大きさではない事を感じ取り、すぐに冷静さを取り戻した。

 よし、それならば着地した次のジャンプは背中から落ちるように体をひねりながら飛び上がろう。何者かはわからないが、この俺に飛びついた事を後悔させてやる。背中から地面に叩きつけ、俺の全体重で押しつぶしてくれる――


 そう考え着地した。そして四本の足を極限まで曲げ飛び上がろうとした瞬間、右目に燃えるような衝撃を感じた。

 しかし右目の痛みを感じる前に、デビルパンサーは絶命した。



 少女は木の上で、自分が仕掛けたトサカトカゲに獲物が寄って来るのを待っていた。

 すぐに獲物は寄って来た、デビルパンサーだ。

 少女はデビルパンサーがいつもここを通る事を知っていた。いつか食ってやろうと思っていた。

 そこでデビルパンサーの好物のトサカトカゲを捕まえ、巡回ルートに仕掛けたのだ。

 デビルパンサーは警戒心の強い魔物だ。仮に少女が捕まえようと付け狙ったとしても、射程に入る前に気付かれ逃げられるだろう。ならばおびき寄せて捕獲してやろうというわけだ。


 少女はデビルパンサーの警戒を避ける為、トサカトカゲに外傷が残らないように木の棒で殴り殺した。

 さらにデビルパンサーのフンを身体に塗り付け、自分の臭いを消した。

 そして木の上で待っていたのだ。

 狙い通りデビルパンサーはすぐに現れた。

 しかしトサカトカゲの生死を確認しているのか、デビルパンサーはなかなか茂みから出てこなかった。

 あまりに長い時間待たされたので、少女はウトウトしてしまい、ついついトサカトカゲを仕留めた時の木の棒を落としてしまった。

 少女はデビルパンサーに逃げられるんじゃないかと焦ったが、逆にそれが功を奏したのか、ようやく茂みから出て来た。

 トサカトカゲに近寄ったデビルパンサーはしばらく警戒していたようだが、やがて好物の誘惑に勝てなかったらしく、トサカトカゲにかじりついた。


 この瞬間を待っていた。


 少女はここぞとばかりに木から飛び降りデビルパンサーの首にしがみついた。

 デビルパンサーは少女を振り落とそうと激しく暴れたが、そこから先は小さな鳥でも締めるくらいに簡単だった。

 少女はデビルパンサーの目に、すぼめた右手を突っ込むと、そのまま頭蓋骨の目の穴に手を押し込み、奥にある脳みそかき回してやった。デビルパンサーは一瞬体を硬直させたが、すぐに脱力して地面に倒れた。

 少女はそのまま脳みそを目の穴から引きずり出すと、口に運び、前歯を使って指先の脳みそをこそぎ取った。

 デビルパンサーの脳みそはとろけるような舌ざわりで、少女の口の中に濃厚なうま味と仄かな甘味が広がった。



 少女の『狩り』の現場から二キロほど離れた森の中――

 少し開けた野原に竜は居た。

 手足を伸ばし、無防備な姿で眠っている、天敵のいない王者の寝姿だ。

 その巨大な(からだ)の表面には緑の苔や草が無数に生え、それを食べに来た虫を、さらに鳥や小動物が食べに集まり、竜の体は様々な生き物で装飾されている。


 実は竜のこういった姿はとても珍しい。というのも、竜は体の表面に生えた苔を大木や岩壁に擦り付け、こそぎ落とす習性があるのだ。正確に言うと苔をこそぎ落とすわけではなく、竜の鱗を食糧とする『鱗喰虫』をこそぎ落とす為だ。

 この鱗喰虫は人間の手のひらくらいのサイズで、二本の短く太いハサミを有している。この二本のハサミを鱗の下に滑り込ませ自分の体ごと鱗の下に侵入する。そして鱗の付け根をハサミで切り取り食べるのだ。

 これが、竜にとったら実に痒い。だから竜は定期的に大木や岩壁に体を擦り付け鱗喰虫を潰すのだ。


 そういったわけで大人の竜は所々鱗が剥げてたりするのだが、この竜は実にキレイな鱗並びをしている。それは、竜の鱗についた鱗喰虫を丁寧に手作業で取り除く者がいるからなのだ。

 そう。それが先程デビルパンサーを素手で仕留めた人間の少女である。

 少女が裸だったのは、竜を親として育った彼女にとっては、それが自然な姿だったためである。

 この竜と少女は不思議な絆で結ばれていた。十三年前に、生まれたばかりの少女を竜が見つけ育てているのだが、親子ともまた違う、格別の関係なのだ。


 というのもこの竜も、少女を育てる十三年の間に、二度の子育ての経験をしている。それは通常の子育てで、竜の雄と出会い、卵を産み、育て、巣立たせる。いわゆる普通の繁殖行動で、竜は三年ほど育児をし、子竜がある程度の大きさになったら、子竜を威嚇し、攻撃し、突き放す。もちろんこの竜も自分の子供に二度の巣立ちを強制している。

 しかしこの少女に限っては十三年も一緒に暮らしているのにまるで巣立たせる気配がないのだ。それは親子関係というよりも、もはや共生という関係に近いのかもしれない。いや、少女にとっては、竜は親という存在なのかもしれないが、竜にとって少女は、愛する娘であると共に、自分の体のメンテナンスをしてくれる、なくてはならない、言わば整備士のような存在なのであろう。

 ともあれ竜と少女は深い絆で結ばれているのだ。


 その証拠に、いびきをかいて眠る竜の耳がピクリと動いた、遠くで自分を呼ぶ少女の咆哮が聞こえたのだ。

 竜に群がる鳥や小動物はまるで反応していないが、竜は微かに届く自分を呼ぶ声に意識を覚醒させると、ゆっくりとした動作で立ち上がった。声の色に緊急性はなかった。

 竜の動作に鳥たちは一斉に飛び立ち、小動物は一目散に滑り降りた。降りそこなった小動物を、体を震わせ払い落とすと、二、三度ゆっくり羽ばたいた。飛び立つ合図である。小動物は竜から離れ、木の裏や岩の陰に隠れた。

 竜が羽ばたきを強める。すると大きな風が巻き起こり、周りの木々を激しく揺らした。そして一旦しゃがみ込むと四本の足で勢いよく大地を突き放し、同時に巨大な羽で空気の塊を押しのけた。

 竜は轟音と共に大空に舞い上がり、跡には巨大な旋風と土埃が巻き起こった。これほどの巨大生物は飛び上がるだけで一大イベントなのである。



 場面は再び少女に戻る。

 少女はデビルパンサーの脳みそだけで腹を満たしたようで、手に付いた脳しょうをキレイに舐め取っていた。

 そんな少女の耳に竜の咆哮が届いた。

 どうやら近くまで来てるようだ。少女は空を見上げると、居場所を知らせるように繰り返し空に向かって吠えた。

 ほどなく上空に竜の姿を発見した。少女は竜が自分の真上に差し掛かった時に、吠え声をワントーン上げた。そして通り過ぎるとまた元の高さに戻し、再び真上に来るとまたワントーン上げた。

 これは、地上にいる豆粒のような少女を効率よく発見する方法で、少女と竜が長年かけて自然と編み出したものだ。

 しばらく声の高低による居場所確認を繰り返すと竜は少女に気付き、大空より舞い降りてきた。

 竜が着地すると少女は一目散に駆け寄った。ちなみに少女は四つん這いで移動する。時々二本足で立ち上がる事もあるが、そのまま移動はしない。竜を鑑として育ったので四つん這いで移動する方が自然で、今となっては楽なのだ。

 ただ、人体にとっては余りにも負担の大きな姿勢で育ったためか、少女の全身の筋力は異様に発達しており、その跳躍力や瞬発力は人間離れしたものになっていた。


 少女はその驚きの跳躍力で五メートルほど飛び上がると、竜の前足の付け根付近にしがみついた。

 そしてそのまま蜘蛛のように竜の表面を這い頭部まで移動すると、激しく頭を擦り付けた。

 竜はそんな少女の抱擁に、軽く頭を傾け応え、そして地面に転がったデビルパンサーに目をやった。

 竜は軽く喉を鳴らすと、デビルパンサーの太もも辺りにかじりついた。そして裂肉歯を使い、足の先からボリボリと骨を砕き食べ始めた。

 少女は、そんな竜の姿を見てるとなんだか誇らしい気持ちになった。少女の脳裏には、ずっと自分の面倒を見てきた竜の姿が焼き付いている。エサを吐き出しては与えてくれて、体調が悪い時にはずっと羽の下に置かれ、体を舐め続けてくれた。魔物に襲われたところを助けてもらった事も何度もある。

 それが今となっては、こうして竜に自分が捕った獲物を分け与えられるほどにまでなったのだ。


 そんな事を考えていると、突然竜が口を開けたまま、左手でしきりに口の端あたりを擦り始めた。

 目を剥きながら、体をくねらせ自らの口を引っ掻く。明らかに異様な仕草だ。

 何事か、と少女が高く喉を鳴らすと竜は低い声でうなり、口を開けたまま地面に顔を付けた。

 少女は顔から滑り降り、口の中に入った。

 しばらく口の中を見渡していると、裂肉歯の間の歯茎に刺さったデビルパンサーの骨を発見した。

 竜の違和感の原因はこれだったのだ。少女は骨を引き抜くと地面に放り捨てた。

 少女が竜の口から出ると、竜はようやく開けたままだった口を閉じ、そして礼と言わんばかりに少女の汚れた体を舐めてキレイにしてやった。


 このように少女と竜の間には強い信頼関係がある。

 言葉こそ交わしはしないが、声の調子で相手の要求してる事もなんとなく通じる。

 お互いが気ままに暮らし、相手の力が必要な時はコミュニケーションをとり、手を携えながら生活しているのだ。

 少女が十分に成長した今、竜と少女の生活は、過去に於いて最も安寧なものとなっていた。


 しかし、そんな穏やかな日々はある日突然崩れ去る。

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