ピアニストってなんだろう
閲覧することで、時間を無駄にできます。
ノニア「僕の名前がノニオだったら、口の中が爽やかなのに」
アニマ「私の名前なんて、逆から読んだらマニアだ。マニアとは即ちヲタクだ。詰んだ。ずっとゲームして漫画読んで日の光を浴びない生活なんて不健康だ。死にたくない!あ、あ、助けてノニア・・・」
ノニア「あーあ、それ偏見だよ。ぼくは点検工のアルバイトで健康」
アニマ「お前は相当ラップに傾倒」
ノニア「違う、ピアノだ」
ノニアは反論するも……
アニマ「そんなのどっちでも良いだろう!このオタク野郎め!オタクはみんなそうだ。自分の意見が正しかったとしても、それを主張しようとはしないんだ!」
ノニア「なあ!じゃあ聞いてくれ。僕のピアノに対する想いやこの情熱について語れば一晩じゃ足りないと思うんだ。それでも良ければ今夜は一緒にピアノを演奏しよう」
アニマ「黙れ。オタクは皆同じだと言うならお前とだけは一緒にしてもらいたくはない。あとピアノは置いてきただろうが」
ノニア「それだと僕は一体誰なんだろうか……」
ノニアは、自分自身が一体何者なのか、何一つ分からないまま旅をしていたのであった。ノニアは、今までの人生を振り返ってみるが何も思い出せない……。そうしている間に二人は洞窟に着いたのだった。
アニマ「ピアノの音がするな。まさか中に誰か居るのかもしれない」
二人は洞窟に入った。すると中には、一人の男がいて、巨大な鍵盤を弾いていたのである。
ノニアは感動していた。
「こんなに大きなピアノがあるなんて」
しかし……?!
ノニアは思わず吹き出した。何故ならそこにあったのは、ないだったからである。
ない、とはどういうことか。これ即ち、ないが有った、ということである。だがそれだけでは伝わらないだろう。ここで、もう一度言おうか。ここには無いがある。ただこれだけのことだ、と。そしてそれは、あるを内包しているが故の矛盾。
「ないけどあるんだよ!」
つまりこういうことである。ないけれど、そこに無いものがあるんだよ。ないのにあるっていうのかい?そういうことになるね。
だけど本当にあるわけじゃないよ。あくまで例えなんだ。君にわかってほしい。だからね、君は、あるを想像して、作っていけばいい。それが君の、力になる。あるを作れるのはね、ない人だけさ。
「ないものねだり」という言葉を聞いたことがあるでしょう?それは、ないことの証明なんだよ。だから、何回だって何個だって作り出していけば良い。君が思えば、どんなこともできるはずだ。あるものもないし。あるから、ないも生み出せるし。
「なくならない」ということは「なくなることがない」ということでもあるからね。何より大事にしていかなきゃいけないことは「イメージを持つこと」かな。
だからって、なんでもかんでも全部思い通りにはならないよね。
例えば「お金」なんてまさにそうだと言えるかも。
金はあっても困らないからさ。あれば何かと便利なはず。
でも実際持ってみたら意外といい加減で面倒くさいものだったりしたよね。そんな経験もあるんじゃない?お金が欲しいと思って手に入れたのに。結局使わなくて溜まっていくばかりで……
そんな時はこう考えてごらん。そもそも「欲しいから買った」んじゃないってことに。
本当に必要なものはね、最初から手元にあって、「気付かずに見逃してただけだった」とか。
逆に言えば、いつ手に入れても、その価値は等しく同じものだって。だからさ。焦らず行こうぜ。
そんなことを言いながら、これから旅をするわけだけれども、まあ何とかなるだろ。そんなに悪い人生でもないだろ。
きっと僕等二人、こうして歩いて行くうちに少しずつ変わっていくのだろう。「自分らしさ」とは何か。
急にトナカイが現れたっていい。サンタがいたって、全然驚かねえぞ。だって僕等は知っているんだから。サンタクロースも実在するということに。
「当たり前だろ?何を言っているんだ。頭大丈夫か?」
そんなツッコミを入れられてもおかしくはない程に信じているのである。
何故なら私達二人の前には、いつも、現実があって、飛ばない飛行船はただの船だろうが!とか、ブランニューワールドは、グルテンフリーに配慮していない!とか、そんなことはちっとも関係ないからである。
要するに「常識」だとか、「一般論」というものには、あまり縛られなくても良いんじゃないかという話だ。なぜなら「常識」は誰かが作ったものでしかないんだから。それに振り回される必要など全くないだろう。
「世の中がどうかなんて知ったことではない」という態度を取るんだ!
要約しよう。
トナカイの肉はタンニンが多くてまずいが、逆にトナカイは自分の皮をタンニンなめしで売れる。これは人間には到底成し得ない技であり、だからこそ人間である俺達にできることを考える。つまり、
・人間は人間である
・動物は、生き物である
その二つの命題を、忘れてはいけないということに気付いてしまったのである。
次回
ないを拾う
おたのしみに!(?)
成功体験を伴わせない啓発は、空虚な時間を創造できるのだった 続くのか