第2話 事務所の社長に呼び出された件
「呼び出された要件は分かっているかね、凛くん」
「…………っす、はいっす」
銀座にある、都内を一望できる超高層ビルの最上階レストラン。
そんな場所に、ただの学生の身である俺と詩が来ていた。ちなみに、詩は引きこもりではあるが外に出れないわけではない。俺と二人でなら大抵どこでも行ける。今まで行ったのは、水族館や遊園地、ショッピングモールなど。
まぁもちろん、今回は俺たち二人だけでここにいるわけではない。
俺たちをこんな高級レストランに呼び出した本人が目の前に座っている。
「その…………すみませんでした。詩がやらかしたみたいで」
そう、俺たちの叔父さんである。
身体から加齢臭の代わりに『ダンディズム』が溢れ出るダンディなこのオッサン、ただのオッサンではない。
詩も所属するVチューバーの大手事務所「ぶいぶい」の代表取締役社長である。妙に肩書きが長いが、詩がVチューバーをやってみたいと言い出したのはこのオッサンに色々吹き込まれたかららしい。
「なに、君が謝ることじゃないよ。そもそも今日呼び出したのはお説教のためじゃないからね」
「そうなんすか? いつものやつは先週したばっかだからてっきりお説教かと思っていたんですが」
『いつもの』とは月に一度開催される食事会のことである。二人で暮らさせてくれるかわりに、この食事会で近況を報告するのだ。
「というか叔父さん、いつも言ってますが二人暮らしに一月50万はおかしいですって」
「ふむ…………少なかったかね?」
「何回多いって言えば分かるんだよこのオッサン」
「聞こえているぞ」
「なんでもないっす!」
このオッサンが地獄耳なのを忘れていた。
俺は視線を下に落とす。
目の前に広がるのはフランス料理のフルコース…………だと思う。コース料理なんてこのオッサンに連れられて食べに行くことしかないからこれがフランス料理なのかわからん。
「ふむ? 凛くんはフランス料理が苦手かね? フランスパンは好きと聞いていたから好きかと思ったんだが…………もしかして口に合わなかったかい? だとしたら申し訳ないね」
「いえ、おいしいです。でも、フランス料理のフルコースとフランスパンを一緒にしないでください。フランスパンに失礼です」
「兄さん、多分大多数から怒られること言ってる」
それまで勢いよくコース料理を食べていた詩が食べるのをやめてそう言ってくる。
ちなみに、詩はモデル体型でスラっと背が高い。この間も、「兄さん、カップルの理想の身長差は15cmなんだって。私と兄さんみたいだね♡」と言っていた。俺は180あるので詩は165ということになる。中学生の女子にしてはかなり高い方なのではないか。
そのせいか、よく食べる。すごく食べる。
昨日の卵料理フルコースも一人で綺麗に平らげてしまったし、さっきも爆速でフランス料理を食べていた。まるで吸引力が変わらないただ一つの掃除機のようだ。しかし、一つの皿に少しの料理しかないのだから物足りなさそうな顔をしている。
っつーかそんな食べて家でゴロゴロしてるだけなのになんでそんなスタイルいいの? 俺、運動しなかったらすぐ太るんですけど。
「よし、ちょっと真面目な話をしようか」
叔父さんがダンディズム溢れる口の拭き方をしながらそう言ってくる。途端、背筋が伸びる俺と料理を食べる作業に戻る詩。お前絶対聞く気ないだろ……。
「まずは凛くんがどこまで知っているかの確認をしようか。昨日の事故のことは知っているね?」
「えぇ。一時『ツイター』のトレンドの一位に浮上したとか」
「うむ、そうだ。詩くんの早期の対応のおかげで幸い炎上せずには済んだが、界隈では君の話題が熱を持っている。『最強の兄貴』だの『理想的な彼氏』だの」
それは俺も見た。なんで俺が一部で詩の彼氏扱いをされているのかは知らないが、おおむね好評だ。
「そこで、だ。凜くん、君もVチューバーをやってみる気はないか? 費用や諸々の準備はもちろん全て、我々が持つ」
予想だにしない話……ではなかった。というのもこのオッサン、ことあるごとに俺をVチューバーにしようとしてくるのだ。曰く、「間違いなく売れる」からだそうだ。
だが、俺は断っていた。
何故なら、「売れるまでの道が明確に想像できないから」だ。
実は俺は、想像できること以外やりたくない主義……というかやらない主義なのだ。そんなどう転ぶか分からないことに時間を費やすことよりも確実に収入の入るバイトを選んでいた。
だが、今は状況が違う。
Vチューバー界隈の中で、俺の知名度は確実に上がっている。それに、売れてから、稼ぎ続ける構想は既に頭の中にある。
「条件があります」
俺がそう言うと、叔父さんの眉がピクリと動いた。
「言ってみたまえ」
「収益化するには、条件があるそうですね」
「そうだね。チャンネル登録者数と合計視聴時間だ。それを達成すれば、運営が収益化できるようにしてくれるよ」
「なら、最速でそれをクリアできるように動いてほしいです」
「というと?」
「要は、金をかけて広告を出しまくってくれ、ということです」
俺が核心の部分を包み隠さずに言うと、叔父さんは困ったように唸る。
それもそうだろう。俺がものすごい無茶を言っているのは自分でもわかっている。経営者という立場なら、実力のない新人の願い、それもかなり金のかかるものを聞くのはしづらいはずだ。
「一刻も早く収益化したい、そういうことだね。気持ちは分からないでもないが、さすがに無茶がすぎないかい?」
まぁ、その反応が一般的だ。
ただ、この人は俺という人間を知っている。
「…………だが、君がそう言うからには、何か我々にもメリットがあるのだろう? メリット次第では聞いてあげないこともない」
予想通りだ。
「一年でチャンネル登録者数300万人をお約束します」
そう言うと、詩と叔父さんが驚いたようにこちらを見てくる。それもそのはず、トントン拍子にうまくいった詩でさえ、一年で100万人だ。その3倍。驚くのも無理はない。
ただ、俺が言ったことが本当に起こるなら、事務所にとってもかなりのお釣りがくる提案になる。
「……驚いた。大きく出たね」
「俺には色々特技がありますし、非現実的ではないかと」
俺がそう言うと叔父さんは腕を組んで長考の姿勢を見せた。
「…………確かに、君ならば可能かもしれない。……第三者から見れば根拠に欠けるが、僕は君を知っているつもりだ。…………うん、君にかけてみようか」
よかった。正直、信じてもらえない可能性の方が高かったからな。心臓もバクバクだ。
「ありがとうございます」
俺が頭を下げると、横からおそるおそるといった形で詩が声をかけてきた。
「兄さんもVチューバーになるの?」
「そうだな。詩が先輩になるわけか。よろしくな」
「うぇへへ…………兄さんと一緒にVチューバーだ~! やったー!」
満面の笑みで喜んでいるが、詩には言わねばならないことがある。
「詩」
「っ……はい!」
さっきまでの満面の笑みはどこへやら、打って変わったようにビクリと背筋を伸ばし、びくびくと俺を見上げる詩。
「兄さんは怒っています」
そう言うと、詩はサッと顔を青ざめさせ、ガタガタと震え始めた。前に本気で怒った時のことを思い出したのかもしれない。…………叔父さんも一緒になって震えていた。そんなに怖いのだろうか。
「兄さんがなんで怒っているか、詩はわかるか?」
「…………わ、わかりません」
「それはな、お前が俺の隣に座ったからだ」
「……なな、な何がいけなかったんでしょうか?」
「お前は本来、一般人の俺を巻き込んだことを謝罪すべき立場なんだぞ? 俺の隣ではなく社長の隣に座るべきだろ。まだ中学生の詩に言うには早いかもしれないが、自分の行動が世間を動かすことを自覚しろ。責任が伴うんだ」
そう言うと、次第に詩の瞳から水滴があふれ出した。
「ご、ごめんなさい。ふぇええ、にいさぁあん。……ぐすっ、ご、ごめんなさい!」
そんな詩を見てると俺まで泣きそうになってきた。なにもこんなキツイ言い方をしなくてもいいではないか。優しく諭せばよかったのだ。
なんてダメな兄なんだ、俺は。
詩の頭を優しく引き寄せて抱きしめると俺も声を大にして泣き始めた。
「兄さんもごめんなぁあああ! 妹を泣かせちゃう兄さんでごめんなあああああ! こんな不甲斐ない兄さんを許してくれぇえええええええ!」
「うぁあああ! ごめんなさい、兄さんごめんなさいいいいいいい!」
「き、君たち。……場所を考えてね?」
叔父さんがなにかをいったような気がした。