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作者: 大熊 なこ

 2年という月日が、子供の頃の2ヶ月と変わらない感覚に襲われるくらい、歳を取った。

 自分には孫がいて、その孫も20歳になった。もう自分たちに役目はないと知っていながらも、ただ惰性で毎日を生きる。


 窓の外から、チュンチュンと鳥の泣き声が聞こえた。枝を器用に登っていく。実を見つけると、頭を上下左右あちこちに動かしながら、実の先をつついている。勢いに任せてといったところだろう、すぽっと1つ、口の中に実を収めてしまうと、実が安全だと確信したのか、2個3個と次々に食べ始めた。


 なんのために生きるとか、なぜ生きなければならないのかとか、そういうのを考えるのはもう飽きてしまった。あとはただ死に向かうだけだと覚悟はしている。

 鳥を脅かさないように、ゆっくりと窓に近づいてみる。木の実を食べるのに必死で、私が近づいたことには気づいていない。

娘も、孫もかわいくて仕方がない。成長を見るのが愛しくてたまらない。今年のお正月もみんなに会えるのが楽しみだ。

みんなは、うちに来る。

 少し前、といっても30年ほど前のことだろうか、その頃は自分の家ではなく、母の家に集まっていた。いつから自分の家に親戚が集まるようになったのだろうか。そして、いつのまに自分の子孫はこんなに多くなったのだろうか。

 私は、この世に貢献したのだと、その時になって初めて思うのだ。

 少子高齢化とか、そういう問題ではなく、もっと、大きな、人類の根本にある本能のような、そんな幸せに貢献したのだ。


 生きていてよかった。


 人は、恋と子孫のために生きている。

 結局、動物と何も変わりゃしない。

 けれど、きっとこれが本当の姿なのだろう。

 鳥は一つだけ実を嘴に抱えた。そして、大事そうに飛び立っていった。

 その味を共有したい誰かが、飛び立つ先にいるのだろう。

 もう少し長く、この時間を共有していられたらどんなに幸せなことだろう。

 生きる意味などなくても、そこに幸せがあるのなら、生きたいと願うことはおかしいことでしょうか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 『誰かのため』があれば、人は歳をとっても生きて行ける。 それがない人がホームレスになったり、自分を殺したりするのでしょうか……。
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