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(一章)夜のお散歩デビュー 上

             ◆


 それから二ヶ月ほどで、リリアの放電期はいったん収まった。


 歯がむず痒くなることもなくなった。相変わらず、睡眠欲を促すような気だるさは続いていたが、体調変化のつらさは落ち着いた。


 その間、王宮からの手紙はピタリと止まっていた。


「うん、犬歯もちゃんと育ってますね。まだ丸くてちっこいですが、良好、良好」


 リリアの成長については、同じ妖狐としてアサギがみた。このたび彼女の放電期が本格的に始まってから、彼の正体が屋敷の者達に伝えられていた。


 使用人達は、「道理で」「何となく気付いてました」と呆気なく馴染んだ。


 彼の正体が明かされてからは、リリアの成長診断も、屋敷の全員が広間に集められて行われるようになった。使用人達も、リリアの成長は気にかけていたのだ。


「食事はどうします?」


 四十代になったばかりの料理長が、挙手をして尋ねた。その手には、いつも通り、律儀にメモ帳と筆記道具が握られていた。


「人間の、十二歳の子供と同じ栄養バランスで結構ですよ」


 アサギはそう答えてから、一同を見渡した。


「姫様は半分人間の血が流れていますが、俺が見る限り、今のところ妖狐と同じ成長過程を辿っています。幼いうちは妖力量が急激に増えるので、恐らくまた二、三ヶ月後には、放電期に入ると思います。中級から以下であれば、げっぷの時に軽く火が飛び出る程度で済むんですけど、姫様の場合は放電が半端ないですねぇ」


 いやぁ、懐かしいなぁ、とアサギが目を細めてころころ笑った。目元が細くつり上がる表情をすると、黒狐の顔で笑んだ時と面影が重なる。


 歯のチェックも済んだリリアは、そこでアサギを不思議そうに見上げた。


「放電期って、どのくらいで終わってくれるの? まだ続く?」

「数は次第に減りますが、十五歳くらいまでは続くと思います。姫様ほどの大物のあやかしとなると、恐らくは放電も威力が増していくことが推測されますので、発散の対策は考えておきます」

「分かった。アサギに任せるわ」


 リリアは、こっくりと頷いてみせた。その頭にあるふわふわの狐耳も一緒に動いていて、使用人達が「かーわーいーい」という目を、主人と同じく向けていた。


 あやかし嫌いではないのはいいのだけれど、これはこれでどうなのか。


 うーんと首を捻ったアサギが、オッホン!と咳払いをして、彼らの集中力を今一度引き締めさせた。


「これくらいの仔狐だと、日中は寝るのが仕事みたいなものです。妖力は月光浴でより身体に馴染んで、落ち着きやすくもなりますから、そろそろ夜の空中散歩を教える頃合いですかね」

「早い時間であれば、我々としては安心なのですが」

「夜の散歩といっても、お嬢様はまだ十二歳ですし……」


 男性使用人が述べると、屋敷の警備達も心配そうにリリアを見やった。


 夜の空中散歩、と繰り返したツヴァイツァーが、そこで羨ましそうにアサギへ言う。


「俺が父親なのに、仲間外れになるのは寂しいんだけど」

「そう言ってくると思ってました。まずは近くを少し散歩する予定ですし、デビューは屋敷の庭園から見える範囲内にしますよ。早い時間であれば、旦那様は外の席でティータイムでもしながら、姫様の成長ぶりを眺められるでしょう?」

「それなら私達も安心ですわ。ねぇ旦那様、その時は使用人一同、同席してもよろしいですか?」


 侍女長が尋ねると、ツヴァイツァーが「いいね」と笑顔で了承した。


「それなら、みんなでリリアのデビューを見届けようか」


 屋敷の主人である彼が提案すると、集まっていた全員がわっと声を上げて喜んだ。そして数日後の満月の夜、リリアは『夜中散歩』デビューすることが決まった。


 夜は、外に出てはいけないと教えられていただけあって、堂々と飛べる日が待ち遠しかった。


 その話題は、瞬く間に領地内に広がった。子供達は応援の言葉を投げたり、羨ましがったりしたが、近くの大人達が心配して遊び場まで駆け付けてきた。


「リリア様、一人で飛んで大丈夫なのかい?」

「黒狐のアサギがいるから、平気よ」

「えっ、あの執事様、やっぱり〝あやかし〟だったのか!」


 一緒にいた少年が、驚いたように目を瞠った。そういえば屋敷の人達には教えていたけど、放電期のバタバタもあって教えるのが後になっていたと、リリアは気付いた。


 詳細を知った大人達の口によって、噂はますます領地内に広がった。


 同じく夜の本格的な飛行デビューを見届けたいと、領主であるツヴァイツァーの元に続々と意見書が届いた。


 そこで、コースの中に、村の上空も含められることになった。


 ――のだけれど、まさかのお祭り騒ぎのような大事になって、アサギが恥じらった。


「みんなが見ている中、狐姿を見られるとか、なんか今更のように恥ずかしくなってきた……」


 これまでずっと、外では『人姿』で過ごしていたせいだろうか。


 これまで注目されることもなかったアサギが、リリアに涙声で訊く。


「姫様も狐の姿になりませんか?」

「イヤ」


 彼女は、伯爵家執事のお願いを、即座に断った。


 そして夜中散歩の当日、夕方。


 リリアが夕食を取っている間、いったんシャワーで頭を冷やしてきたアサギが、変身術を解いて丹念に毛並みのブラッシングを始めた。


 どうやら、彼は多くの人に見られる緊張を、身繕いをして紛らわせることにしたらしい。妖力でふわふわと浮くブラシの動きを、リリアはついつい見てしまっていた。


「俺、妖狐としての自信を取り戻せば、気にせずいけると思えました!」

「その自信って、毛艶なの?」


 もぐもぐ食事しながら、リリアは小首を傾げる。一緒に夕食をとっているツヴァイツァーも、同じく首を捻っていた。


 するとアサギが、黒狐の顔をリリアに向けてきた。ちょっと人型の時より読み取りづらいその顔には、え、バカなの、と書かれてある気がした。


「何よ、何か言いたいことがあるなら、はっきりおっしゃい」


 ムッとして、リリアは言った。


「あ。今の言い方、すごくオウカ姫っぽいです。だってほら、俺ってイケメン狐じゃないっすか? だから、あとは毛並みさえバッチリ整えればいいわけで――」

「ごめん、アサギの自信所と基準が、よく分からなくなってきた」


 その直後、大きな声がしてリリアは口を閉じた。そこには、外で観賞会の準備を進めていたメイド達の一部がいた。


「アサギ様!」

「へっ、は、はい!?」


 ピンポイントで呼ばれた彼が、びくっとして反射的に答えた。


「ブラッシングなら、是非わたくし達にさせてくださいませ!」


 そう言った直後には、メイド達が鼻息を荒くしたままアサギに飛びかかっていた。


 彼が屋敷内で黒狐の姿を見せたのは、正体を明かした日以来のことだ。実のところ、そのもふもふっぷりが大好評だったのである。


 勢いに気圧されたアサギは、結局はメイド達に代わる代わるブラッシングをされることなった。リリアが同情の目を向けているそばで、ツヴァイツァーが肩を震わせて無言で笑っていた。


「姫様、ブラッシングはいかがされますか?」


 ブラッシング後、黒狐姿のアサギが凛々しい面持ちで言った。


 他人にされるブラッシングは、思いのほか気持ち良かったらしい。恥ずかしいので本当に時折だったらいいかも、と、彼の妖狐の目は雄弁に語っていた。


 リリアは、デザートを食べ進めながら、横目でジロリと彼を見やった。


「私は、狐の姿では飛ばないったら」


 リリアは、つーんっとそっぽを向いた。……短い足、ぽてっとしたミニマム感ある体。それなのにもっこもこの尻尾。いかにも子供っぽくて恥ずかしくもあった。

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