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余命3000文字

作者: 村崎羯諦

「大変申し上げにくいのですが、あなたの余命はあと3000文字きっかりです」


 医者の言葉に俺は耳を疑う。確認のためもう一度尋ねてみるが、医者はやはり同じ言葉を繰り返すだけだった。


「余命何年なら聞いたことはあるんですが……。一体どういうことなんですか?」

「どうもこうも言葉の意味そのままです。あなたはあと3000文字しか生きられません。3000文字に到達したと同時にあなたはコロリです。ほら、やりとりをしている間に200文字も使ってしまった」


 俺は慌てて自分の口を閉じる。


「えっと、百歩譲って私があと3000文字弱しか生きられないとして、治療法は……?」

「治療方法はありません。ただ、対策は存在します」

「対策?」


 医者が眼鏡をくいっとあげながら答える。


「簡単です。あなたの残りの人生を残り3000文字に収めればいいのです。3000文字が来る前に寿命がくれば、余命もへったくれもありません。そのためにも、できるだけ哲学的な思索はせず、情景への関心をなくすことです。例えば先程の医者が眼鏡をくいっとあげたなんて無駄な描写です。今後は控えるように。会話文も多用はダメですね。地の文よりも文字数を消費してしまいがちですから。そして何より重要なのは、出来る限り同じ毎日を過ごし、当たり障りのない人生を送ることです。そうすればきっと、3000文字もしないうちに寿命を迎えますから」


 俺は半信半疑のまま医者の言葉にうなずく。そして、現時点の文字数を確認してみる。ここまでの文字数は700文字程度。俺の残りの人生は、残り2300文字。




 それから俺は医者の助言通り、当たり障りのない毎日を過ごすようになった。平日は会社と家の往復だけ、休日は基本家にこもって、事件が起こりそうな場所には近づかないようにする。人との交流はドラマを生みかねないので必要最小限に、それから人生の意味なんてものは意識的に考えないようにする。そのような生活を心がけ、一年が経ち、二年が経ち、五年が経った。俺はカレンダーで今日の日付を改めて確認する。この日をもって俺は、無事に三十五回目の誕生日を迎えることができた。


 俺は自分の部屋の中で残りの文字数を確認する。ここまでで約1000文字。このまま何事もなければ天寿を全うできるだけの文字数。虚しくないといえば嘘になるが、それでも若くして死ぬよりはよっぽどましだ。文字にするだけの出来事じゃなくても、そこそこ楽しいことはいくらでもあるし、そもそも大多数の人間がそういう人生を送っているんだ。でも、本当にそれでいいのか? いや、考えるのはよそう。無駄に文字数を使うだけだから。


 しかし、その時。俺はふと、家の外から焦げ臭い匂いがしてくることに気がついた。それから聞こえてくる騒がしい声。なんだろうと思いながら外に出てみると、向かいの木造アパートが火事で激しく燃えている。アパートの前には避難してきた住民、そして野次馬の姿。あーあ、可哀想に。俺はそんな風に呟きながら、家に戻ろうとした。


「まだ中に子供が!!」


 聞きたくない言葉だった。俺はゆっくりと声のする方向へ視線を向ける。母親らしき女性が、周りの住民に必死に引き止められている。俺は無意識のうちに母親の視線の先を目で追う。アパート三階の角部屋。開いた窓にちらりと映る子供の人影。アパートの火はどんどん大きくなっている。周りにはたくさんの人間がいるが、圧倒的な火事の恐怖から誰も動けずにいる。だから、俺がここで動かなかったとしても、誰も俺を批判することはできない。頭の中でそんな卑怯な考えが浮かぶ。


 残り1500文字。ここで俺が助けに行けば、その分だけ寿命を縮めることになる。いや、助けている途中で文字切れになる場合だってある。俺が知らないだけで、毎日どこかしらでこういう悲劇は起こっているんだ。それがただ目の前で起きたか、そうじゃないかだけだ。さあ、耳と目を塞いで早く戻ろう。どこへ? 残り1000文字とちょっとで収まる自分の人生に? その問いかけに俺の足が止まった。


「ちくしょう!!」


 俺は燃え盛るアパートの方向へ走り出した。突っ立ってるだけの住人からバケツを奪い、全身で水を浴びる。水の冷たさと恐怖で震える足にムチを打ち、俺はアパートの階段を上り、子供がいるアパートの部屋へと向かう。廊下の壁を覆うように火が燃え、黒煙が充満している。煙を吸い込まないように姿勢を低くしながら、目的の部屋にたどり着く。ドアノブを握るとあまりの熱さに針で突かれたような痛みが走る。ぐっと歯を食いしばりながらドアを開く。熱風と黒煙が俺の身体を包み込む。残り1000文字。時間がない。部屋の壁には火が燃え移っていて、天井を黒煙が覆っている。黒灰色の視界の中を俺は手探りの状態で奥へと進んでいく。


 サウナのような廊下を突切り、一番奥の部屋へと飛び込む。狭い部屋の端っこには、5歳くらいの小さな女の子が身体を震わせながら縮こまっていた。俺は女の子に駆け寄る。女の子が俺の姿を見た瞬間、大きな声で泣き始める。


「よしよし、怖かったな。もう大丈夫だ。お母さんのところに連れて行ってやるからな」


 俺は女の子を抱っこし、すぐに部屋を出る。あとは来た道を戻るだけ。しかし、俺が胸をなでおろしたその瞬間だった。


 轟音とともに廊下の壁が崩れ落ち、隣の部屋から火砕流のような炎の塊が流れ込んでくる。俺は反射的に子供を抱き抱え、その場にうずくまる。燃えるように熱い背中。崩れた壁の一部分が俺の背中に直撃する。息が少しずつ苦しくなり、頭がうまく働かなくなってきている。しかし、それが火事のせいなのか、3000文字が近づいてきているからなのかはわからない。


 炎の勢いが一瞬だけ弱まる。俺は顔を上げ、玄関の方へ視線を向けた。そして、目の前の光景に頭が真っ白になる。先ほどまではなんとか通れた廊下は、一分の隙間もなく紅色の炎に包み込まれていた。胸の中で子供が大きく咳き込む。咳は痛々しいほどに乾いている。そして、俺の命は残り500文字。


 窓から飛びおりるしかない! 俺は先ほどいた部屋へと駆け戻る。しかし、火の手はもうここまで伸びてきており、部屋の中は廊下と同じくらいに炎に包み込まれていた。俺は覚悟を決める。子供をぎゅっと抱きしめ、前のめりの状態で炎の中に突っ込む。熱い! 何も考えるな! 俺は自分に言い聞かせる。煙で前は見えない。着ている服に火が移っているのがわかる。俺は窓がある方向へ走り、子供を抱き抱えたまま身体を投げ出した。本能的に背中を地面へ向ける。木の枝が折れる音がして、背中に衝撃が走る。俺はすぐに抱きしめていた子供を腕から離す。ぼやけた視界の端で、子供の服には火が燃え移っていないことがわかった。


「ゆかり!!」

「ママ!」


 遠くから母親の声が聞こえて来る。誰かが「救急車!」と叫ぶ声が聞こえて来る。俺の服に燃え移った火がどんどん大きくなっていっているのがわかるが、もう熱いという感覚も失われていた。文字数を確認するまでもなく、俺は命の終わりを悟る。あーあ、馬鹿なことをした。ぼんやりとした意識でそう毒づいたものの、不思議と心は穏やかだった。もっと大人しくしてれば、もっと安らかな余生を送れたのにな。俺は残りの力を振り絞って顔を横に向け、母親に抱きしめられる女の子の姿を見つめる。そして二人の声を聞きながら、俺はゆっくりと、目を閉じる。

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