朝市と不穏な影
6
「さて、町に出るわよ」
勢いよくそう言うガネットは動きやすそうなズボンを履き、頭には顔を隠すように帽子を被っている。僕の肩の上ではいまだ瞼を擦り続けているパク。そして、なぜか籠やらなんやらを背中に背負った僕。
朝も早朝。まだ靄がかかっている時間に僕らは彼女に叩き起こされ、そして今に至る。
「こんなに早くないといけないのか、朝市ってやつは」
恨みがましくガネットを見ているパクはそう言う。
「そうよ。新鮮な果物とかって、農家が直接売りに来る朝市の方が安く手に入るの。この町では常識みたいなものね。それに、他の食材とかもこの時間の方が傷みが少ないのよ。気温が上がるといくら冷却の魔法とかを使ってても傷んでくるからね」
感心するようにパクが頷く。僕も知らなかった。食材を冷却の魔法をかけていること自体知らなかった。
「そうなんだ。僕は知らなかったな」
「冷却の魔法の事は商人の町の人間なら知っていることだけど、そうね。王都の人がしているかって言われたら分からないかもね。町ごとの常識みたいなものだから」
ふーんと納得した。
僕の知っている常識はこの食べ物には毒があるから食べないとか、あの生物は危険だから近寄らないっていう感じだった。それは僕自身の生活、ひいては島での生活に関わっている常識だった。それと同じように生活に関わることの常識は町独自にあるんだなって。
「そんなこと言ってたら、結構時間が過ぎてる。目玉商品とか売り切れちゃうかも」
彼女はズボンから古びた懐中時計を取り出して、時間を確認すると、あっと声を上げていた。
想定していたよりも僕らを叩き起こしたり、準備したりするのに時間が掛かってしまっていたようだ。
「もしかして急いだ方が良い?」
「そうね。目玉の商品とかあるかもしれないから、少し急ぐわよ」
一行は町の中心の商店街を目指して歩き始めた。
「うわ、もう人がいるぜ」
パクがそう言ったように、まだ早朝なのに昨日の昼間と変わらない活気が商店街にはあった。
「ほら、そこのお二人さん、いま入ったばかりの新鮮なリンの実あるよ。おひとつどうだい?」
威勢のいい果物屋のお兄さんが僕らに声を掛けてくる。
「あ、えっと」
言い淀む僕の腕をガネットが引っ張る。
「ほら、ジャック離れないで、ごめんね。お兄さん。あとでまた来るから」
「あいよ、一応お嬢ちゃんたちの分は残しておくからよ」
そんな果物屋の威勢のいい声を背中に聞きながら、ガネットについていく。彼女は慣れた様子で、人ごみの中をかき分けながら進んでいく。それに置いて行かれないようにするだけで精いっぱいだった。
「ほら、ここの野菜が安くておいしいのよ。あと、そこの精肉屋さんも朝にしか売ってない揚げ物があるの、あと、あっちには」
彼女はとどまることを知らないとばかりにあちこちの商品を僕に紹介していく。それについていくだけでも精いっぱいだし、彼女が立ち寄ったお店で野菜や日用品を買っていくので、背中の籠はどんどん重くなっていく。
「お、おい大丈夫か? ジャック!」
「あ、うん。まだ大丈夫」
重さ自体はそんなにでもないけど、如何せん人が多くて身動きがしづらいのがきつい。
最初は中身がなかったから、避けられたけど、荷物が入ると避けづらくなったのに加え、この人の多さでは安易に避けると他の人にぶつかりそうになる。
「ジャック、大丈夫? あと数件だけだから、もうちょっと頑張って」
「ガネットはいつもこんなことしているの? 凄いね」
僕は素直に彼女に感心しそうになるけど、彼女は少し苦笑いを浮かべている
「あははは、いやね。今日はジャックがいるからいつもより多めに見て回ってるのよ。ホントいつもじゃ見て回れないお店も回れてるからジャックには助けられちゃった」
「お、女って怖えな」
僕の頭の上では、ガネットの言葉を聞いたパクがガクブルと震えている。僕もちょっと同じ感想を抱いたよ。女性ってたくましいっていうか、容赦ないっていうか。昨日簡単に買い物の同行を受け入れるんじゃなかったなんて、ちょっと後悔している。
「あと数件だけだから、ね? 頑張って」
僕とパクはたぶん同じ感情を抱いたと思う。
……女性って容赦がないなって。
「はあ、つ、疲れた」
ガネットの家に戻り、背中に背負った籠を下ろす。両肩にのしかかっていた重りが外れて、一気に体が軽くなったような気がする。今ならパクみたいに飛べそうな気がする。
「お、おう。ジャックお疲れだったな」
僕の親友はそんな僕を見て、ちょっとかわいそうに思っているようだ。そうだね。自分でもちょっと大変だったなって思った。
「いや、ありがとうね。これで少しは食材を買わなくても済むかな? いや、やっぱり男の子がいると買い物が捗るな」
ほくほく顔で、買ってきたものに冷却の魔法をかけている悪魔もとい、ガネット。本当に女性は容赦がないんだなと実感することができた。
一通り魔法をかけ終わったのか、さてとガネットは立ち上がる。
「まだ、朝ごはん食べてなかったから、準備しちゃうね」
そう言って、食材を持って奥の部屋に入っていった。
「なんか僕も手伝うことある?」
「何もないから、休んでおきなよ。荷物重くて疲れたでしょ」
「分かった」
彼女が奥の部屋に入っていくのを見送って、僕は昨日の本の続きを読もうと思い立つ。そういえばと、
「ちょっとパク。こっち来て」
「ん? なんだ?」
彼は寄ってきたところで、彼の体を掴んで体を確認する。
「お、おい。ジャックどうしたんだ?」
慌てたようにパクが言うけど、少し無視して見回す。頭にはないな。羽にもない。あと、おなかは、うん、ここもない。
確認を終えて、パクを開放する。
「一体ぜんたいどうしたんだよ。いきなり掴み上げたりして」
「使い魔の文様の確認。僕が気づかないうちに君を使い魔にしている可能性もあったから、使い魔の文様がないか確認してみたんだ」
「それで、結果は?」
「うん、何もない。文様もなかったし、ケガもないみたいだ」
健康そのもの。羽はいつも通りぱたぱたと元気に動いているし、足や手にも文様もなければ、ケガもなかった。
「あったりまえよ。この俺は使い魔なんてもんにはならないね。まあ、ジャックの使い魔ならなってやってもいいけど」
相変わらずの居丈高な振る舞いがパクらしいなってなんか笑ってしまう。島にいるときからこんな感じだったなと改めて思い出す。まあ、旅の中でも彼らしいといえば、彼らしくて良いと思うけど。
「もうそろそろできそうだから。準備手伝って」
奥の部屋からそんなガネットの声が聞こえてきた。
「だってよ」
「しょうがないな、手伝ってやるか」
朝食のパンを食べ終えると、僕らはまた思い思いに活動していた。とりあえず僕は昨日、そして今日の朝で読み切れなかった本を読みなおし、ガネットは何処かに出かけ、パクはというと、
「おお、この果物、すげー甘ぇ。いくらでも食えそうだ」
朝市で買ってきた果物に夢中になっている。
「あんまり食べ過ぎないでよ。僕とガネットの分もあるんだから」
そう言っても彼は聞く耳持たず。いや、果物に夢中で聞こえてないみたいだ。
「ほら、パク。ちょっとストップ」
「うお、ジャック? なにすんだよ」
「聞こえていなかったみたいだから、耳を引っ張らせてもらいました」
僕の声が聞こえなくなるほど夢中になってるのが、悪い。それに朝の時点でガネットが山のように切って盛ってくれた果物は、もう平地になっている。このドラゴンはどれだけ食い意地を張っているのやら。
「仕方ねえだろ。こんなにうまいんだから。ジャックも食えばわかるって。ほら」
パクが差し出した黄色い果物を僕は一口で食べる。うん、甘い。そしてとってもみずみずしい。
「……おいしい」
「だろ? こりゃ止まらなくなるぜ」
そう言って、またパクリと口に放り込む。
「けど、このままだとガネットの分がなくなりそうだよ」
「おっと、ここらでやめておかないと後が怖いぜ」
朝の容赦のなさを思い出して、彼がそこで食べる手を止めた。うん、それが良いと思うよ。ガネットも果物を楽しみにしていたみたいだから、帰ってきたときにひとつもなかったらなんて言われるか。
言われるだけならいいかも、「商人は与えて、与えられての関係だよ。さて、何をしてもらおうかな」ってなんか頼み事されるかも。
僕がそれを伝えると、パクはガクブルと震え始める。
「お、俺、食べ過ぎてないよな。まだこんなに残ってるし」
「まあ、一人分としては食べ過ぎじゃない? 僕は今の一口分だけだったし」
おっと、パクが焦りの表情になってきた。冷や汗をかくパクなんて随分と珍しい。けど、これ以上ちょっと責めるのは可哀そうかなと頭によぎった。ここらでやめておいた方が良いかな。
「だ・け・ど、二人分なら。うん、たぶん大丈夫だと思うよ。結構残ってるし、あとはガネットの分にしようか」
「じゃ、ジャック。おまえ、良い奴だな!」
そんなことで感激されても困るけど、まあ、良いか。
「そんなに感激するなら、これ以上食べないでよ。それ以上食べたら僕でも養護できないからね」
「分かったよ」
これくらい言っておけばさすがのパクもこれ以上食べるようなことはないだろう。食べるようなことがあったら、そのときはガネットの容赦のない手伝いが待っているだろうし。
そうして、僕はもう一度本へと視線を落とす。えっと、どこまで読んだっけ?
「ガネット遅いな」
パクが机の上で寝そべりながらそう言う。
昼前には帰ってくると言っていた彼女はもう昼の時間が終わるというのに、まだ帰ってきていなかった。
「もう腹が減ったぞ」
うーん、さっきまであんなにもぐもぐと果物を食べていたパクが言っても、説得力はないけど、僕も少し小腹が空いてきていた。
果物を少し頂いても良いかな? っと思った矢先、門の方からガシャンと何かが割れるような音がした。
「うお、なんだ? なんだ?」
二人同時に門の方に駆け寄るとそこには、息を切らして膝に手をつくガネットがいた。
「どうしたの?」
「……見つかった」
「へ?」
間抜けな声が出たけど、そんなことを気にせずにガネットは言う。
「見つかったの、早くこの家から出ないと、ジャック、パフ荷物もって、早く!」
切羽詰まった様子のガネットに、なにがなんだか分からずに立ち尽くす僕たち。よく分からないけど、どうやらそこまで彼女を慌てさせることがあるみたいだ。
「早く! もう来ちゃう」
その声に駆られて、僕は旅の道具を慌てて背負う。パクの持ち物もこの中に入っているはずだから、あとは、
「ちょっとこの本も持っていこうと」
まだ読みかけだったその本を袋の中に無理やり押し込んだ。
「用意できた? こっち来て」
ガネットも少し慌てた様子ではあったけど、こうなることを想定していたかように荷物をまとめるとそれを背負っている。
こっちと呼ばれたそこは、料理をするたびに入っていった奥の部屋だった。
奥の部屋は食器や料理道具があちこちに散乱はしていてもしっかりと料理ができるようにスペースが確保されていた。
「ちょっとこっちに来て、うん。で、この鍵で下の金具を開けて」
床に敷かれたシートの下には金具があった。シートをどかして金具を開けると、ぼわっと風が吹いてきた。どうやら地下につながっているみたいだ。
「そこから下に行って」
ガネットの指示に従って下に降りていく。少し降りると地面があった。
最後に降りてきたガネットがカシャリと金具に鍵を掛ける。これで何とかなったみたいだ。
どんどんと複数人の足音が上から響いてくる。
「くそ、どこに行きやがったあの娘は」
「確か、この家に逃げ込んだはずだぞ。何でいないだ? くそ。ここらは廃墟ばかりだから隠れられたら面倒だぞ。人が住んでいる気配のあるところからしらみつぶしに探せ」
乱暴そうな男たちの声がすぐ上から聞こえた。たぶんガネットを追ってきているのはあいつらなのだろう。
ガシャンと何かが割れた音がした。男たちが何かを壊したのだろう。何分間かガシャンと何かが割れるような音や倒れる音が響いた後、男たちの足音は遠ざかっていった。