第十話 合宿 二日目(仮)
合宿二日目。
この日は、先に織部やアンナが潜伏し、他の冒険者との遭遇を想定した訓練を行うことになった。
シチュエーションとしては、『俺が一つ目の迷宮を24〜48時間程度で踏破し、星を20程度所有している状態で、戦力に欠けもなく、自由に使える財産が一億程度ある』という設定らしい。
保有している星の数やカードの戦力はともかくとして、なぜ踏破したタイムや所有する財産まで設定する必要があるのかと疑問に思ったが、頭の良い師匠や織部がわざわざ決めたというのだから、おそらく意味のある設定なのだろう。
そんなことを考えながら、ヒントを集め、チェックポイントへと向かう。
ここまで織部やアンナとの遭遇は一度もない。
……先に潜伏して襲撃してくるはずではなかったのだろうか? これじゃ訓練にならないんだが。
何を企んでいるかわからないアンナや織部を警戒しつつ一個目のチェックポイントに到着すると、そこにはアンナと織部が俺を待っていた。
どういうことだ……? チェックポイントでは戦闘できないはず……と思いつつ近づいていくと、織部が話しかけてきた。
「……北川選手、だな? よければ我と一つ取引をしないか?」
「……取引?」
「うむ、この先12階層までのヒントとチェックポイントの情報と我の持つ星、欲しくはないか?」
なるほど、そういうシチュエーションか……。そうだよな、そういう選手も中には出てくるよな。
鈴鹿に一つアイコンタクトを送り、織部のロールプレイに乗ることにする。
「三つ、疑問があるな。一つ、なぜライバルに有利となる情報を売るのか。二つ、買うとして、どうやって取引するのか。三つ、その情報が正しいのかどうか。またそもそもこんなこと運営が許すのか」
「まず一つ目だが、我はもうライバルではない。この迷宮のトップ陣を見て、レースの上位入賞は諦めた。カードも消耗が大きく、レースを完走できる可能性すら低い。ならば、情報と星に価値があるうちに、上位入賞の可能性のある選手に高値で売った方が、儲けは大きいと判断しただけのことだ」
「ふむ……二つ目は?」
「二つ目についてだが、我の持つ星十二個を一つ二百万円で買い取って貰いたい。支払いについては、現金を持っているはずもないだろうし、あとから振り込みをすると言っても我も信用できぬ故、Dランクカードを一枚一律百万円相当でどうだろうか? ……星を買うために要らないカードを多く持って来ているのだろう?」
……実際、星と要らないDランクカードを交換できるシステムがある以上、こういう取引をやる可能性は高い、か。
星を金で買う予定はあまりなかったが、こういうことも想定するなら要らないDランクカードくらいは持てるだけ持っていくべきかもしれない。
「受け渡しの方法は?」
「当然、決闘でだ。カードを半分受け取り次第、こちらは星を全部賭けて勝負し、即降参する。こちらの降参と星の移動を確認次第、もう半分のカードを頂きたい。それから情報を渡す」
「……方法についてはわかった。最後の質問、情報の正しさの保証は?」
俺がそう問うと、織部はニヤリと笑い、答えた。
「そこは、信用してくれとしか言いようがないな。断るなら他の選手に同じ取引を持ちかけるだけだ。運営についても、ルールブックに禁止されていない以上、織り込み済みとしか思えんな」
嘘か本当かは自分で判断しろってことか。運営についても、こういう展開も視聴率のために織り込み済みなのだろう。
ここら辺で判断を下すべきか。と俺が考えたその時、急に割り込んできた声があった。
それまで黙ってみていたアンナが動いたのだ。
「ちょーおっと待った! そこの貧乳なんかよりウチから情報を買わないッスか?」
「……関係ない奴は引っ込んでいろ」
貧乳呼ばわりに、演技抜きで怒っているように見える織部に対し、アンナは気にした様子もなく続ける。
「そこの女は、この先十二階層までの情報を売ると言っていたッスけど、ウチは最下層までのチェックポイントを売れるッス! しかも星も一つDランクカード一枚で良いッスよ!」
「嘘だな。最下層までの情報なんて持っているわけがない。それともこの短時間で最下層までを往復したとでも?」
「ウチは一応この迷宮でのトップ陣の一人だったんで。普通にゲートを通って入口まで戻って来ただけッスよ。ま、主への挑戦権を賭けた戦いで負けてリタイア確定ッスけど。と、いうわけで、ウチから買った方がお得ッスよ〜」
「騙されるな、話が美味過ぎる。我から買った方が安全だぞ」
四つの瞳が俺を覗き込む。
俺は考え込むフリをして鈴鹿へと問いかけた。
『……どうだ? どっちが嘘をついていた?』
『あ〜、ごめん。これ、全部演技だよね? ってことは全部虚偽判定ってことになるみたい』
申し訳なさそうな鈴鹿の言葉に、俺は思わず天を仰いだ。
そうか! しまったな、そうなるのか……。演技も嘘の一種だもんな。
昨日織部へと語った、他の選手のブラフに対する対策とは、鈴鹿の虚偽察知だった。
相手が嘘をついているのがわかっているのなら、取引も直前で相手の気が代わりでもしない限りかなり安全に行うことができる。
が、あくまでロールプレイに過ぎないこの模擬レースでは虚偽察知も役には立たないようだった。
仕方ない……、事情を説明するしかないか。
「あ〜、すまん! ちょっとロールプレイ、中断で!」
俺は腕でTの字を作って待ったを掛けた。アンナが不思議そうに首をかしげる。
「……? どうしたんスか? 何か疑問でも?」
「うん……、実はうちの鈴鹿は虚偽察知のスキルを持っててさ。そのスキルで嘘を見抜こうと思ってたんだけど……どうも演技も嘘に含まれるらしくて」
俺の言葉に二人は顔を見合わせると、深々とため息を吐いた。
「虚偽察知とは、また良いスキルを持ってるッスね、先輩。迷宮内のトレードじゃ敵無しじゃないッスか。そう言うのは早く言ってくれないと……無駄な演技やシチュエーションを設定しちゃったじゃないッスか」
「とはいえ、その虚偽察知を持っているというのもまた先輩のブラフかもしれん。……鈴鹿、と言ったか? そこの橋姫に質問だ」
「どうぞぉ?」
気怠そうに鈴鹿が頷くと、織部は咳ばらいを一つして。
「……アンナは、実は中学ではボッチ気味だった。これは、嘘か誠か?」
「ちょっ!?」
ギョッと目を見開くアンナを、鈴鹿は微妙に親近感を感じさせる眼で見つつ。
「あ〜、嘘はついてないみたい、マスター」
「お、おう……そうか」
そうか……。
「ふむ、どうやら本物のようだな」
「ちょ、ちょ、ちょ……突然何言ってんの、小夜!?」
「すまない。先輩が知らなくて、我らが知っていることで咄嗟に出てきたのがこれしかなかったのだ」
「絶対嘘でしょ、それ!」
『ちなみに、今のは嘘ね』
アンナの突っ込みを補強するように、鈴鹿が補足を入れる。織部ェ……。
というか……。
「アンナってこのキャラで友達いなかったの……?」
「い、いなかったわけじゃないッス! ほら! 小夜だって中学からの友達ですし!」
「一応、我を含め何人かはいた。ちなみに、このキャラで友達がいなかったのではなく、このキャラだったから友達がいなかったのだ。一応歴史あるお嬢様学校だったからな」
「ああ……」
なんとなく納得した。このキャラは、確かにちょっとお嬢様学校では浮きそうだ。あと、十七夜月家ってお金持ちではあるけど、ぶっちゃけ成り上がりの類だしね。昔ながらの上流階級とは相性悪そう……。
そこで織部はお上品に口元を隠すと、伏し目がちに言う。
「十七夜月さんは、いつもお元気で、お人はよろしいのですけれど、わたくしとはいまひとつそりが合いませんで……」
「お嬢様言葉止めろ! それ、うるさくて頭が悪いから私は嫌いって意味でしょ!」
あ、アンナさん……マジ切れじゃないッスか……。
やっぱお嬢様はお嬢様で大変なんだなぁ……と俺が憐れみの眼差しを向けていると、それに気付いたアンナがガクリと項垂れた。
「ああああ……なぜ、急にこんな流れ弾が。ウチの陽キャでコミュ強なイメージが……」
……いや、申し訳ないけどそのイメージは元からあんまりなかった、かな? 普通にオタネタ会話にぶっこんでくるし、興味ない相手には露骨に壁を作る割に、親しくなった人には急に距離詰めてくるところとか、ちょっとコミュ障っぽいとは思ってた。
俺や東西コンビみたいなオタ入った陰キャからすると親近感湧くけどね。
……鈴鹿もさっきから類友を見る目をしてるし。
「ま、アンナのことはさておき、このシチュエーションのネタ晴らしをしておくか。我の方を選んだ場合、値段は高いが、普通にチェックポイントまでの情報を買える。一方でアンナを選んだ場合は、実は取引の話は嘘で、アンナは他のトップ選手の仲間でこの迷宮に早い段階でやって来た選手の足止め役という設定だった」
「……なるほど、勝っても消耗は免れない上に、一度騙されたら他の選手から情報を買うのにも及び腰になるからな」
「そういうことだ。ま、虚偽察知のスキル持ちがいるなら、その手の騙しは概ね大丈夫そうだな。ちなみに、今日はこの後も、一時間安全に休息したいからと八百長試合を持ちかけてくる冒険者や、Dランクカードを支払えば他の選手の足止めをしてやると言ってくる冒険者などが出る予定だったが……」
「うん、まあ、選手間の取引については割と上手く立ち回れると思う」
「となると……この後の予定をどうするか」
織部が顎に手を当て考えだしたその時。
「そんなの決まってるッス! ウチとの戦いッスよ!」
「ええ……なぜ?」
「理由は、特に、ない! 強いて言うなら、ウチの誘いに乗ればウチとの、両方の誘いを乗った場合は、ウチと小夜との連戦の予定だったからッスね!」
「まあ、良いけど……カードの枚数はどうする?」
「ふむ、普通に三対三で良いだろう」
「決まりッスね! ウチが勝ったらさっきの記憶は忘れてもらうッスよ!」
「記憶を忘れるのは無理だろ……」
アンナが召喚してきたのはお馴染みのエルフとペガサス、それと新顔の全身鎧の騎士であった。
騎士は背中に輝く翼を背負っていることから、おそらくは天使なのだろう。
天使の中でも顔まで隠れる全身鎧を身に纏った種族は一つしかない。
デュナミス。力天使の名でも呼ばれる、装備化スキルを持ったBランクカードだった。
アンナのヤツ、デュラハンをデュナミスにランクアップさせたのか。昨日はまだデュラハンのまま、みたいな雰囲気だったくせに……。
いや、それはどうでも良い。問題は、アンナのBランクカードがよりにもよってデュナミスだということだ。
希少な装備化スキルを持つということで俺もデュナミスのスキルは把握している。
・高潔と美徳の鎧:高等クラスの装備化スキル。他のカード、あるいはマスターへと憑依することで、自身の戦闘力を加算させることができ、また自身の持つ装備化スキル以外の先天スキル一つと、すべての後天スキルを共有する。この鎧は、邪悪な力に対する高い防御力を有しており、また攻撃するだけでアンデッド系の不死状態を解除することができる。
基本的に、デュラハンの完全上位互換という感じだ。
戦闘力を完全に上乗せできるようになり、天使の特性である悪魔系に対する強い耐性と、アンデッド系の不死を解除できる能力を持ち、後天スキルに加えて先天スキルまで一つ共有できるようになっている。
そして、デュナミスの先天スキルの中で共有するモノと言えば、『地上の奇跡』しかない。
・地上の奇跡:実現象としての奇跡を司るデュナミスの権能。仲間全体のすべての状態異常を癒し、一定時間状態異常を無効化、耐性と耐久力を大きく向上させる。
天使系のモンスターは、退魔と防御の力に長けているが、デュナミスはその防御方面に完全に特化した性能となっている。
……アンナめ、徹底的にペガサスナイトの穴を埋めてきたな。よほど母山羊との戦いでの失敗が心に深く刻まれたと見える。
さて、どうするか。
イライザの不死が解除されるのは……太陽が昇っているから元々関係ないとして、問題なのはペガサスナイトのアホみたいな攻撃力だ。
エルフの戦闘力が最大920、そこにデュナミスの戦闘力1680が加わり、合計2600……。さらに戦闘力860のペガサスの力と速さを加え、瞬間的に六倍の破壊力を出せる、と。
完全にやり過ぎだ。まさに力こそパワーと言わんばかりの脳筋構成。
デュラハンで防御力の補強をしたとしても、ペガサスナイトの圧倒的な破壊力の前には紙みたいなもんだろう。
これに対抗できるとすれば、霊格再帰した蓮華とユウキのフルシンクロくらいだが、それでも力と速さに特化したペガサスを捕らえられるかは不透明だ。というか、上空からエルフに弓で狙撃され続けた時点でユウキは太刀打ちできなくなる。
この手の相手には搦め手、状態異常等で攻めていくのが定石だが、それも完全に対策している。
……………………ふっ。俺は小さく笑った。
どうしよう……? どう打ち破れば良いのか全く思いつかない。
一つ手があるとすれば……。
俺は数秒の黙考の末、蓮華、メア、鈴鹿を戻し、ユウキ、イライザ、アテナの三枚を残した。
「へぇ……アテナのカードを選んだんスか。どうやら重いマイナススキルがあるみたいッスけど、その力見せてもらいましょうか。……それにしても、蓮華ちゃんを残さないんスね」
「……………………」
「へぇ……………」
俺が答えずにいると、アンナも何かを察したのか、無言で緊張を高めていく。
そんな俺たちの様子を見た織部が言った。
「ふむ。どうやら開始のきっかけが掴めないようだな。では我が合図をしてやろう」
『……………………』
「————始め!」
『ッ!』
俺たちは、「は」の声が聞こえた瞬間には、同時に動き出していた。
まずは、ユウキがその身を屈め、一瞬でその姿を消す。同時に、イライザが献身の盾を発動、アテナがニケを召喚する。
一方アンナは真っ先にデュナミスをその身に纏い、エルフに俺を狙撃をさせ、ダイレクトアタックを狙った。
デュナミスの白金の鎧は、縮地によって超高速でアンナの背後に現れたユウキの一撃を防ぎ切り、イライザの献身の盾はあちらの狙撃を防ぎ切った。
……チッ、やはり読まれていたか。
「……ふ、やはり、速攻を狙ってきましたか。ま、ウチの考案した最強無敵のペガサスナイトの唯一の欠点は、三対三の戦いにおいてマスターが無防備になってしまうことッスからね。先輩なら当然見抜いてくるッスよね。これが四対四なら完全無欠の布陣で先輩を歓迎できたのですが、残念ッス」
俺の小さな舌打ちを見抜いたアンナが、腹の立つくらいのドヤ顔でそう告げる。
ふん、好きに言ってろ。少なくとも、これで三位一体の一角は崩すことができた。……その代わりに、エルフはペガサスに乗って空へと舞い上がってしまったが。
こちらへと上空から雨のように矢を降らしてくるエルフを睨みながら、俺は言った。
「ニケ、イライザに月桂樹の冠を使ってくれ」
「むむっ!? なぜ貴方が妾の眷属たるニケに命令するのです?」
俺の言葉に、アテナが頬を膨らませる。
どうやら上司である彼女の頭を超えて指示をしてしまったことが、癇に障ったらしい。
今それどころじゃないんだが、と内心で少しだけ思いつつ、神である彼女のプライドを立てて頭を下げる。
「あ、ああ、すまない。アテナ、ニケに月桂樹の冠を使うように言ってくれないか?」
「力を失っているとはいえ、女神たる妾を蔑ろにすることは許しませんよ! ……ニケ、やってあげなさい」
「了解いたしました。……戦闘中なのに空気読めないアテナ様可愛すぎんでしょ、ハァハァ」
ニケは、後半小声で何かを呟きつつ、献身の盾で矢の雨を懸命に防ぎ続けるイライザへと祝福を与えた。
光り輝くローリエの葉で造られた冠が、美貌の吸血鬼の頭上へと降臨し、その全身を淡い祝福の光が包み込む。
これによりイライザのステータスは大きく向上し、さらに汎用スキルを一つ、一時的にランクアップさせることが可能となった。ランクアップさせるのは、中等補助魔法だ。
すかさず、イライザは高等補助魔法のプロテクションを使用する。これは中等レベルの一撃を完全に防ぎ切り、高等攻撃魔法をも大きく軽減する防御魔法だ。
これにより、彼女の献身の盾が受け止める攻撃の圧力はだいぶ軽減されるようになった。
さらに、ニケ自身も交代でプロテクションを張ることで、互いの詠唱時間の隙を埋める。
これで、こちらの護りは万全だろう。……もっとも、ペガサスがアップを終えるまでの間、とつくが。
それまでに、ユウキの方でデュナミスの防御を剥がす必要がある。
そのユウキはと言うと、デュナミスを纏ったアンナと激しい攻防を繰り広げているところだった。
「ぬぁ〜!? なんでCランクのライカンスロープが、Bランクのデュナミスとタイマン張れるんスか!? そんなにシンクロ率は高くないッスけど、一応シンクロも使ってるのに! やっぱ先輩のカードってどっかおかしいって〜!」
わかりやすくテンパっているアンナだったが、その身が繰り出す剣撃は鋭く、重い。
高等レベルの装備化スキルは、戦場からマスターというわかりやすい弱点を消すことができるばかりか、後天スキル次第ではマスターを一流の武人へと変えることもできた。
加えて、アンナは幼少の頃から護身術を習わされている。身を守ることに特化した技を使う彼女の防御を打ち崩すのは、並大抵のことではなかった。
ユウキも分身の術でフェイントを入れたり、土遁の術、水遁の術で地中や水中から奇襲を仕掛けるなどしてアンナを惑わそうとしているが、その堅い守りを打ち崩すまでには至っていない。
上空を見ると、徐々にペガサスの動きが速くなっており、それに伴い矢の威力も重さを増している。……チャージがマックスになるまであと少しと言ったところか。
チャージがマックスになったところでアンナは、降伏勧告をしてくるだろう。
そうなればそれを素直に受け入れなくてはならない。カードがロストするまで粘ってはならない。それが模擬戦のマナーだ。
なんとかそれまでにアンナの防御を打ち崩す必要がある。
仕方ない……多少おかしく思われるかもしれないが、フルシンクロを使うか……。
『ユウキ、人狼化と本能の覚醒を使うぞ』
『了解です』
これで、戦闘力の上昇の不自然さに気付かれないと良いが……。
「アオオォォォーーーーオオオンッッ!」
「ッ!? ここで人狼化ッスか……!」
急速にその体を膨張させていくユウキに、アンナが焦りの声を漏らす。
「ならばこちらも!」
その宣言と共に、アンナのカードたちへと光の羽が無数に降り注ぐ。
……地上の奇跡を使って防御力の底上げをしたか。
「ふふん、これでそう簡単にはやられ……ッ!?」
アンナが最後まで言い終わる前に、ユウキの拳が彼女の腹……というよりもサイズの差から上半身全体へと叩きつけられる。
人狼となったユウキのサイズは、4メートルを軽く超え5メートル近く、通常のライカンスロープよりも一回り大きい。
その巨体から繰り出される拳は、もはや点ではなく面での攻撃に近く。
そのくせ、その一撃はその巨体とは裏腹に、鋭く、速い。
「……ッ!? ッ!?!?!?」
その一撃を全く目で追うことができなかったアンナは、殴られてから初めて攻撃に気付き、ただただ混乱することしかできない。
ユウキはサッカーボールのように転がるアンナへと追走し、その体を掴むとそのまま大きな顎へと咥え込む。
『……降参しろ。さもなくばデュナミスがロストするまでかみ砕く』
「は!? な……!?」
アンナはダメージこそないものの、混乱して状況がつかめていないようだ。
……前から思ってたが、この赤毛のお嬢様は不測の事態に弱い傾向があるな。
仕方ない、少しだけ脅しを入れるか。
俺はユウキの顎に力を入れ、鎧へと大剣のような牙を少し食い込ませた。
白金の鎧にビキリ、ビキリと罅が入る音に、アンナが悲鳴を上げる。
「ヒィッ……!? ご、五億の鎧が……!?」
真っ先に恐れるところがそこ? いや、気持ちはわかるが……。
そこで観戦していた織部からストップが入った。
「そこまで! この勝負、先輩の勝利とする! ……アンナ、良いな?」
「……あ、うん」
呆然とアンナが頷く声に、俺は彼女を解放すると地面へと降ろした。
デュナミスの装備化を解いた彼女は、力なく海水の中にへたり込む。
「えぇ〜……? どういうこと? おかしくない……?」
なにやらぶつぶつ呟くアンナ。
「どう考えても計算合わなくないッスか? ライカンスロープの戦闘力は800。先輩がフルシンクロを使えるとしても、最大で1600程度。デュナミスの戦闘力が今1680ちょっとッスから、戦闘力に差はない。むしろウチのシンクロがある分、若干ウチが有利なはず……。人狼化と本能の覚醒によるステータスの上昇があったとしても、それは地上の奇跡による防御力上昇分で、ある程度差を埋められたはず。おかしい……どう考えてもここまで一方的にフルボッコされる戦力差じゃない……」
「………………………………」
アンナの考察に、俺は自分の顔が引き攣らないようポーカーフェイスを保つので精一杯だった。
鋭い……というよりも、さすがに不自然だったか?
「どういうことッスか? 一体どんな絡繰りがあるんスか?」
「い、いやぁ、絡繰りなんて、無いよ?」
「そんなこと言わずに! そう言えば、蓮華ちゃんもいくら霊格再帰があるとはいえ、強すぎますよね? もしかして……取得条件のわかってるスキルなんスか?」
う、マズイ。蓮華にまで飛び火してきた!
「いやいやいや、本当に絡繰りなんてないって。……他人のカードをあんまり探るのはマナー違反だぞ?」
「……カードでないとすれば、新しいリンクッスか? そう言えば、聞きそびれていましたけど、あの時の戦いでどうして先輩は、一発で母山羊に取り込まれた猟犬使いの場所がわかったんスか? 偶然腹をぶち抜いたら、そこに猟犬使いが取り込まれていた、ってわけじゃないッスよね?」
「う……!」
以前から薄々疑念をため込んでいたのか、アンナの疑問はとどまるところを知らず、その追求は厳しいモノだった。
だが、パーフェクトリンクも、蓮華たちの限界突破のことも、他には漏らせない秘密だ。絶対に言うことはできない。
そんな俺の固い決意を表情から読み取ったのか、アンナは攻め筋を変えてきた。
「……もちろん、タダとは言いませんよ。情報に相応しい見返りを払うと約束します」
「だから何にもないんだって。猟犬使いとのことも、本当に偶然だよ」
「……ちょ、ちょっとくらいなら、え……エッチな報酬でも良いッスけど?」
「ッ!?」
まさかの色仕掛け、だと!?
巌のごとく硬かったはずの決意に、わずかな、本当にわずかな亀裂が入る音が聞こえたような気がした。
だが、これに限ってはそんなことじゃ、頷くことはできない。
限界突破は俺にもよくわからないスキルだし、パーフェクトリンクの方は正真正銘の俺の切り札なのだ。
せめて、ちょっとだけエッチな報酬ではなく、超エロい報酬でもないと……。
「————そこまでにしておけ、アンナ」
と、そこで織部のインターセプトが入った。
「それがレアスキルの情報だろうが、パーソナルリンクの情報だろうが、いくら仲間内とはいえ無理に聞き出して良い話じゃあない。体と引き換えにというなら、ありとあらゆる変態プレイに付き合わされることになるぞ」
「う……確かに、先輩は変態っぽいッス」
チラリとこちらを見て、怖気づくアンナ。証拠もないのに、なんという言いがかり……! 俺は憤慨した。
まったく、そう言うのは俺の検索履歴を見てから言って欲しいものだ。見られてからなら、まぁ、仕方ないが……。
「そういうわけで、今は諦めておけ」
「……了解」
不承不承と言った様子で頷くアンナ。
俺はなんだか複雑な気分だった。安心したような、凄く貴重な機会を失ったような……。
織部がくるりとこちらへと振り返る。その顔には肉食獣を思わせる笑みが浮かんでいた。
「さて、先輩」
「な、なんだ……?」
「どうも流れがおかしくなってしまったが、模擬レースの再開だ。なんと、アンナとの戦いを切り抜けてホッと一息吐く間もなく、その仲間がその場へと駆け付けた。さあ、どうする?」
そう言って、ツッチーや火雷大神を呼び出す織部。
連戦の気配に、俺は顔を引き攣らせたのだった。
【Tips】迷宮内のトイレ事情
迷宮内におけるゴミなどは、基本的に人間などが片付けない限り消えることはない。そのため、ゴミなどは冒険者自身が持ち帰るのがマナーとなっているが、中にはそうもいかないものもある。つまり、排泄物である。
各階層の安全地帯には、自衛隊が迷宮を調査した際に残した仮設トイレが設置され、これは魔道具の効果により汚物を瞬間浄化してくれる優れものであるが、安全地帯以外の場所でトイレをする際には排泄物は冒険者自身が処理しなくてはならない。
アマチュア冒険者の多くは、安全地帯まで我慢するか、最悪地面を掘り返して埋めるなどする場合もあるが、持ち運び式の簡易トイレを携帯するのが一応のマナーとなっている。
金銭的に余裕のあるプロ、セミプロクラスの冒険者となるとカード化した個室トイレを持ち歩く者がほとんどとなる。
なお、余談ではあるが海外の迷宮は安全地帯にトイレを仮設していないことが多く、その衛生状態は控え目に言って地獄である。






