第三話 情報共有②
「アテナさんと言えば、アイギスについてッスね」
若干ズレ始めていた話を軌道修正するように、アンナが言った。
アテナのアイギス。上から二番目の議題となる。
「アイギスの疑似安全地帯は、イレギュラーエンカウントですら不可侵であることが先輩の話からも証明されました。アイギスのおかげで、ようやく我々はこのアンゴルモア中にあって、ぐっすりと眠れる場所を得られたというわけです」
アテナのアイギスについては、絶対防御から疑似安全地帯作成とこの旅の間ずっと助けられ続けてきた。
もしアイギス無しのままなら、と想像するだけでゾッとするほどだ。
「そこで一つお聞きしたいのですが、アイギスの効果範囲はどれくらいなんでしょうか?」
アイギスの疑似安全地帯の仕様に関しては、この一月の間に調査済みである。
俺はアンナの問いに答えていった。
「大体半径100メートル……って感じだな。学校の校舎がすっぽりと収まるくらい。ただし、それよりも小規模の異空間型カードの内部にいると、それが上限となる……って感じか」
「ふむふむ。範囲としてはFランク迷宮のものと同じくらい、と。形態はどのような?」
「球体だな」
「上空や地下もある程度カバーできるというわけですね。効果時間中にスキル回数回復スキルを受けたらどうなりますか?」
「もちろん回復する。その状態でもう一度使った場合、残り時間が十二時間に回復する」
「効果時間がそのまま上乗せ延長されるわけではなく、残り時間が最大値まで回復するわけッスね。大体わかりました。ありがとうございます」
一通り聞きたいことを聞き終えると、アンナは満足そうに頷いた。
「我からも聞きたいのだが、疑似安全地帯の中に異空間型カードを展開した場合どうなる?」
「疑似安全地帯の中に含まれる。ただしその規模が疑似安全地帯よりも大きい場合、はみ出すことになる」
「そこは迷宮の安全地帯とは違うのか……」
迷宮の安全地帯では、異界クラスの異空間型カードを展開したとしても発動地点が安全地帯内ならば、異空間全体でその恩恵を十全に受けることができる。
一方で、疑似安全地帯の中に異空間型カードを展開した場合、モンスター除け等の効果があるのは疑似安全地帯の半径100メートル内のみとなる。
「ふむ、はみ出した部分が効果範囲を出てしまうのならば、安全地帯内に複数枚のマヨヒガの一部だけを入れて全員を納める……というのは不可能か」
「まあ、そこはしょうがないね。校舎はすっぽりと収まるってことだから、いざという時はすみやかに疑似安全地帯の中に避難できるようにするっていうのが一番じゃないかな。無理をすれば、夜寝る時だけ校舎の中で……ってのもできるけど、ぎゅうぎゅう詰めになるし、ストレスとかヤバそう」
「八時間ごとの三交代制にすればスペースに関しては問題完結するが……」
「夜勤することになる人たちが損することになるし、現状そこまでする必要ないでしょ」
織部とアンナの会話を聞いていた俺は、一つ気になって問いかけた。
「俺がいない間、どれくらいモンスターの侵入があったんだ?」
それに、二人は揃って顔を曇らせた。
「……基本的には平和でした。毎日何体かDランク、Cランクのモンスターが侵入してくる程度ですね。異空間型カードのアドバンテージは、予想以上に大きいようです」
暗い表情とは裏腹に、それは明るい内容だった。
俺が旅をしている間、異空間型カード内への侵入者はゼロだったが、これはその地域のBランクモンスターを予め始末した上でユウキの『縄張りの主』を使っていたからだ。
気配遮断スキルを持たないヘスペリデスの園で日に数体の侵入だったということは、そもそも異空間に侵入できるモンスター自体が少ないのだろう。
まぁ、異空間スキルはレアスキルだからな。
となると、表情が暗い理由は……。
「Bランクモンスターの侵入があった、というのは? 異空間型モンスターと連結されて敵が入り放題になったのか?」
「ああ、ご存知でしたか。いえ、幸いなことにそれはありませんでした。……この件に関しましては、どちらかといえば人災となります」
「人災?」
眉を顰める俺に、アンナは後悔を顔に滲ませて答える。
「避難民の中に、カードを外へ派遣した人がいたんですよ。自分は、ヘスペリデスから出ずにね。どうやら外の様子を探らせつつ、何か取ってきて欲しいものがあったようですが……」
「それは……」
俺は思わず顔を顰めてしまった。
迷宮は基本的に『ズル』を嫌う。そのため異空間型カードは、「マスターは安全な異空間内に籠ったままカードだけ外に派遣する」などの反則技が使えない仕様となっている。
それは、異空間型カードのマスターだけではなく、その中にいるすべてのマスターに適応され、だれか一人でもカードを外に出したら、『ズル』にならないように異空間型カードの隔離状態も強制的に解除されることとなる。
「それで、ヘスペリデスの隔離状態が解けてモンスターが入り放題になって、Bランクモンスターが……という流れか」
コクリと二人は頷いた。
なるほどな……。俺は深く背もたれに身を預け、ため息を吐いた。これは、確かに人災だ。
一般人は、異空間カードの仕様についてあまり詳しくない。それで知らずにカードだけ派遣してしまったのだろう。
一方で、俺たちクラスの冒険者にとって異空間型カードの仕様は、知っていて当たり前の知識・常識となる。
アンゴルモア前に散々TVで異空間型カードの安全性ついて特集が組まれ、皆がこぞって異空間型カードを求めたこともあって「みんな異空間型カードの仕様くらい知っているでしょ」と思い込み、説明を怠ってしまったのだろう。
避難民たちが何も知らない前提で、ちゃんと説明していたら防げた事故と言える。
だが、このことで俺がアンナたちを責めることはできない。
アンナたちは避難民たちにカードの召喚をそもそも原則禁止としていたし、俺だってヴィクターさんら避難民たちに異空間型カードの仕様をわざわざ説明したりはしなかった。
学校のようなことが俺の方で起きなかったのは、単に運が良かっただけに過ぎない。
そして何より、一番大変な時に学校を離れていた俺に何かを言う資格はなかった。
「被害の方は?」
「負傷者が多数、死者も数人ほど……。Bランクモンスターを倒す間に流れ弾が学校に被弾しまして……」
その際に、外にモンスターを派遣していた者もダイレクトアタックを喰らって、カードをロストしたことにより、また隔離できるようになったのだと言う。
「ソイツはどうした?」
「……死にました」
「モンスターの一撃でか?」
「いえ、自殺です」
自殺、か……。死傷者が出たことに責任を感じて――――いや、まさか、そんな。
恐ろしい想像が頭を過り、チラリとアンナを見ると、ジト目で見つめ返された。
「もしかして、私が始末したとか思ってませんよね?」
「……………………いやいや、そんな」
ヘラりと笑う俺を、しばしアンナはジト目で見ていたが、やがて小さくため息を吐いた。
「その間が気になるところですが、まあ、良いです。……実際、扱いに悩んだことは事実ですし」
わざとではなかったとはいえ死傷者を出してしまった以上、何らかの罰を下さないわけにはいかない。
さもなくば、犠牲者の遺族たちが絶対に納得しないだろう。
しかし、追放などの重い刑を処すには、こちら側にも異空間カードの仕様を周知させていなかったという負い目がある。
カードの召喚を原則禁止としていたとはいえ、だ。
扱いを誤れば、そのヘイトは、そのまま俺たち冒険者部に向くことになる。
確かに、これは極めて扱いの難しい問題と言えた。
「……そういえば、隔離状態が解けたということは、グレムリンとかも入ってきたわけだよな? 機械破壊の方は大丈夫だったのか?」
少し話題を変えたくて、俺は問いかけた。
東野は、少し前まで漫画喫茶やら映画館やら色々やっていたが、モンスターの襲撃によってそれが無くなったと言っていた。
それが死傷者が出た影響によるものだけじゃなく、機械破壊によって被害を受けた結果だったのだとしたら……。
「幸いグレムリン等の雑魚は黄金のリンゴに流れて行ったので、それはありませんでした」
「そうか」
首を振って答えるアンナに、俺はホッと胸をなでおろした。
そこは、不幸中の幸いか……。
「しかし、内部からカードを派遣するだけで外から敵が入り放題になるのは危険だな」
「このようなことが起きたことで異空間カードの仕様については周知はしましたが、悪意を持ってやられたら対処のしようがありませんからね……」
そう、そこが問題だった。
この事件の一番恐ろしいところは、やろうと思えば誰でもヘスペリデスの隔離状態を解除できるということ。
世の中には、逆恨みや被害妄想からとんでもないことをしでかす者もいる。
もし今後、俺たちが正当な理由で避難民の誰かを罰したとして、それを逆恨みして同様の事件を起こす奴が出ないとは限らないのだ。
それを防ぐには、異空間型カードの隔離が解除されても問題ない状態にする……モンスターのいない土地へ移住してしまうのが一番良い。
一度島の様子を見てからになるが、やはり島への移住を改めて提案すべきだろう。
「さて、次に先輩が新しく手に入れたカードや魔道具が上から三番目に来る理由ですが……まあ、これは言わずともわかるでしょう」
頷く。
カードがドロップしなくなったこれからの世界において、何よりも重要なのがすでに持つカードの数である。
特にBランクカードの数は、勢力としての力に直結すると言っても過言ではない。
アルテミスにフリッグ、ハーメルンの笛吹き男戦で引き当てたカードも含めれば、アンゴルモアが始まってから俺の手に入れたBランクカードは十枚にもなる。
むしろ、それでもまだ三番目なところから、二番目のアイギスの重要度がわかるというものだ。
「先輩が新たに入手したBランクカード……その中でも重要度が高いのは、アルテミス、ディアーナ、フレイヤ、そしてフリッグの四枚ですね」
ふむ? 黄泉津大神じゃないのか。
Bランク最上位のカードである黄泉津大神が最重要ではなく、その四枚が上に来るということは……。
「……食料生産か」
「その通りです」
ディアーナとフレイヤもまた、アルテミスと同様に獣の権能を持つ女神たちである。
特にフレイヤの方は、豊穣の権能も持つ。
豊穣の権能は、農作物や家畜の生育を早め、生産量を増やす力があり、これはヘスペリデスのような農耕系の食料系カードの生産量にも効果があった(残念ながら料理の形で出てくるマヨヒガ等の居住系には適応されない)。
なお、吉祥天の持つ富の権能は、主にこれの鉱石バージョンである。ついでに、収穫した食料を腐らせにくくする効果もあった。
「ヘスペリデスの園は、果物や麦を産み出すことはできても、家畜を産み出すことはできませんからね。現状、肉類の供給はマヨヒガが生み出す食事や少数のバロメッツ頼りです。ここに、肉を供給できる神が加わってくれたのは非常に大きいです」
獣の権能で動物を産み出すには魔石(か人間の生贄)が必要となるが、俺にはハーメルンの笛吹き男の魔石がある。今後、肉に困ることはないだろう。
魔石を媒介に生み出された動物は長生きできないのがネックだが、魔石の消費量を上げることである程度伸ばすこともできる。
その気になれば繁殖させたり、卵やミルクを採ったりもできるようになるはずだ。
そこで、ふと気になり、問いかける。
「そう言えば、今ウチの学校って何人くらいいるんだ?」
「えーっと、生徒や教職員が約300人ほど。その親族が約1000人。生徒とは無関係の避難民が約700人の計2000人程度って感じッスね」
「無関係の避難民? この高校の近所の人か?」
「それもあります。……が、大半はこの一月の間に神無月さんが助けてきた人ッスね」
無表情でそう言うアンナの顔からは、師匠に思うところがあるのが伺えた。
が、俺はあえてそれについて触れず、問いかけた。
「助けた人たちに関しては、ギルドに受け入れを打診したりしなかったのか?」
「……それについては、後ほど。こちらの状況を話す時にしましょう」
アンナと織部の苦虫を嚙み潰したような顔を見て、俺は「なんか面倒くさいことが起きたんだな」と察し頷いた。
しかし、二千人か……。
「俺らが持ってる異空間型や食料系のカードってどれくらいだっけ?」
「えーっと、ちょっと待ってくださいね」
アンナがカードギアのメモ帳機能を見ながらホワイトボードへとリストを記入していく。
・マヨヒガ(12):生産可能食料50(デフォルト状態)~100人分(部屋数や風呂のリソースを回した最大量)。和食系、結構おいしい。ミシュラン一つ星クラス。
・ウィンチェスターハウス(10):生産可能食料100~200人分。洋食系、あんまり美味しくない。
・壺中之天(3):生産可能食料20~30人分。中華系、かなり美味しい。ミシュラン三つ星クラス。
・その他:ドリアードやバロメッツなど。食事を産み出すというよりは、食材を産み出す系。材料を提供することにより、マヨヒガ等の食事量を増やすことができる。合計1000人分程度。
・ヘスペリデスの園:分類としては「その他」だが、規模が段違いなのでここに。果物に限るが一日に数万人分は優に生産可能。果樹園のリソースを減らして麦や米も生産できる。家畜を用意すれば牧畜も可能。ただし、生産効率はリンゴ・ブドウ>その他果物>麦>米>その他野菜>家畜(ここまで来ると普通に育てるのと一緒)と段階的に落ちていく模様。
「と、こんな感じッスかね。魔石を与えれば、最大で二倍は生産量を増やすことができますが、一食分増やすのにFランクモンスターの魔石が一個必要となります」
「マヨヒガとかは、俺たちが持っている分も含めた数か?」
「いえ、部員やその家族たちが個人的に所有している分は抜いてあります。あくまで冒険者部として用意した分ッスね。ヘスペリデスの園だけは、全体への影響が大きいので載せましたが」
なるほど、と頷く。
「一応、食料に関しては余裕はあるのか」
「食糧に関しては。問題は衣食住のうち、残る衣と住の方ですね」
ふむ。衣の方はわかるとして、住の方は……。
「ウィンチェスターハウスの方に回された人たちから苦情が来たか?」
「まさしく」
アンナが力強く頷いた。
デフォルト状態のマヨヒガで600人、ウィンチェスターハウスで1000人。
仮にマヨヒガの方を居住特化としたとしても住めるのは、1200人。800人はどうしてもウィンチェスターハウスの方に住むことになる。
片や一流温泉旅館クラスのマヨヒガ、片や幽霊屋敷……そりゃあ苦情の声も上がるというものだ。
俺たちの会話を聞いた織部が、つまらなそうに鼻を鳴らす。
「ふん、我には何が不満なのかわからんがな。鏡に人影が映ったり、一人で部屋にいる時に誰かの足音が聞こえたり……雰囲気満点ではないか」
まさに、それこそが理由であった。
織部のような気合の入ったホラー好きでもない限り、ウィンチェスターハウスでの生活は不可能だろう。お化け屋敷で寝泊まりするようなものだ。
俺なんか、馬鹿どもへの罰も兼ねて刑務所代わりにしていたくらいだからな。
ここの避難民からすれば、何もしていないのに刑務所にぶち込まれたようなもんだろう。
「今は、ローテーションでマヨヒガとウィンチェスターハウスの両方に泊まってもらっていますが、逆にそれが落差を感じさせるのかストレスのようですね。特に今はずっと引き籠っている上に仕事や娯楽の類もストップしてしまっているので……」
娯楽はわかるとして……仕事? と首を傾げていると、アンナが軽く説明をしてくれた。
俺がいない間、学校ではチケット制を導入して避難民を管理していたらしい。
チケットは、大きく分けて二種類。毎日の食事と交換できる無料配布の白色チケットと、漫画喫茶や映画館などの娯楽の利用や嗜好品と交換できる赤色チケットだ。
赤チケットは、全員に少数枚配られる他に、何らかのボランティア活動に参加することでも貰うことができる。
ヘスペリデスの農作物の回収だったり、漫画喫茶や映画館のスタッフだったり、喫茶店での店員だったり……。
ボランティア活動と銘打ってはいるが、実際はアルバイトに近い。
これは、明らかに避難民を労働力へと変えようという試みなのだろう。
衣食住を保証した上で、ちょっとした贅沢がしたいならば働けという……ベーシックインカムのような仕組みだ。
「ふぅん……なかなか上手い仕組みだな」
避難民の方も、2000人もいれば誰かしら生産系のカードを持っている人(家庭)もいるはず。それらを遊ばせるのはあまりに勿体ない。
役に立つカードを持っていない人たちでも、得意なことや作物の収穫という仕事を与えることで、働きたくても働けないということは防ぐ。
生産系のカードを持っておらずとも、本人が服飾やら大工やらの技術を持っているケースもあるだろう。
なにもカードだけに生産を頼る必要はない。人間の手で出来ることは、むしろ積極的に任せていくべきだ。
暇を持て余した避難民たちが何をするかは俺も良く知るところなので、鼻先に人参をぶら下げて働かせるというアンナたちのやり方は上手い方法と思えた。
問題は、持っているカードや技能によって、収入の格差というか仕事の楽さに差が出来てしまうことだが……それは仕方ないことか。
「えーと、どこまで消化しましたっけ。上三つが終わって、残りは下三つッスか」
「次は……星母の会について、か。正直、我としてはこれが一番上でも良い気がするがな。我々……というか、世界全体に影響する最重要事項だろう?」
織部の言葉に内心で頷く。
世界をこんな形に変えた奴らだ。一番上に来ている新たなフェイズの仕組みやらも、元はと言えば星母の会がアンゴルモアを引き起こしたことから来ている。故に、俺も本来はこれが一番上に来ると思っていたのだが……。
「これに関しては、相手のスタンスがどうにも計りかねるため、この位置としました。星母の会がこちら……先輩へと積極的に絡んでくるようでしたら空間隔離や時間差以上の最重要懸念事項ですし、逆にこちらを放置してくれるようでしたら我々への影響はほとんどないことになります」
そのアンナの言葉に、俺も少し頭が冷えた気がした。
確かに。相手が巨大な力を持った組織で、しかもトップである聖女がわざわざ出向いて来たことで、勝手に相手が俺を非常に重視していると思い込んでいたが、冷静になって考えてみると相手のスタンスは「どちらでも良い」という放置に近いように思える。
ナンバー2……というか上から二番目の役職(トップの聖女と違い複数人がいると思われる)をくれるとは言っていたが、名前だけの何の実権もない役職(名ばかりの取締役的な)ならば相手の懐は何も痛まないし、本気で仲間へ引き入れるつもりなら愛を人質に取るなど、他にやり様はいくらでもあったはず。
俺をあっさり帰したことと良い、「在野に意外と使えそうな奴がいたからとりあえずスカウトだけしてみた」的な印象を受ける。
案外、アンゴルモアの大王との戦い以外では放置、という可能性もあった。
「現状、星母の会でこちらに影響する事項として確定しているのは、一つ。門の神の真スキルによる各地への移動手段です。
先輩のお父上との合流はもちろん、各地との交易や安全な土地を探すのに役立ちますし……逆に言えば、どこに行こうと星母の会からは逃げられないということになります」
「「むぅ……」」
アンナの言葉に、俺と織部の口から呻き声が漏れた。
俺が、ギルドなどに若返りなどの力を知られたとしても大丈夫だと高を括っていたのは、いざという時はハーメルンの笛ですぐに逃げられるという前提があったためだ。
だが、それが通用しないとなると、一気に閉塞感が身体に重く圧し掛かってくるような感覚があった。
「一方で、そういった悪い面をあえて無視するならば、門の権能を使える利点は非常に大きいです。
たとえば、先輩がギルドから貰ってきたシークレットダンジョンのマップ。これも最大限に活用することができるようになるでしょう」
そうか……門の権能があれば、宝の持ち腐れとなっているこのシークレットダンジョンのマップも活用できるようになるのか。
各地のシークレットダンジョンに自由に行けるようになれば、これまでとは比較にならないほどのガーネットやダイヤを手に入れられるようになるだろう。
「ガーネットやダイヤを集め、宝くじのカードをBランクカードに変えれば、その分こちらは力を得ることが出来ます。……一方的に振り回されるのも面白くないですし、精々こちらもあちらを利用して強くなるとしましょう」
『ああ』
俺たちは、力強く頷いた。
「さて、次は……イライザさんについては最初に話しましたし、残るは蓮華さんの真スキルについてッスね」
ようやくここまで来たか、と俺は気になっていたことを問いかけた。
「蓮華の真スキルについて、一番下に来る理由は? 真アムリタの若返り効果とか思いっきり全体に絡んでくる話だと思うんだが……」
アンゴルモアにとってアムリタなどのアイテムが手に入りやすくなった(※マロ個人の感想です)とはいえ、ノーコストで使い放題の真アムリタの価値は微塵も落ちてはいない。
若返りという餌に釣られる人間は多く、取引における最強クラスのカードと言える。
自分のコミュニティの運営に置いても多少の不満なら黙らせられる最強の札であることだし、アイギスの次くらいに来てもおかしくないと思っていたのだが……。
と疑問に思う俺に対し、アンナは難しい顔で首を捻った。
「うーん、確かに若返りは、色んな意味で最強の交渉カードなんですが、それ以上に爆弾なんですよね。最強すぎるというか……」
「ああ、そういうことか」
爆弾、最強すぎるというアンナの言葉で、俺は納得して頷いた。
要は、効果が強すぎるため簡単に切ることができず、使うことができないため、相対的に重要度が下がるということなのだろう。
例えるなら、隠し持った核兵器のようなものか。
隠し持っているため交渉のカードや抑止力として使うこともできず、一度その存在を明かせば全方位を敵に回す可能性がある、危険で最強のカード。
そんなもの対外的には無いも同然であり、故に重要度も最も低くなる、と。
「ってわけで、真アムリタの効果については、いざという時の切り札ってことにして、出来る限り隠していくのが安牌と思うんスよね」
「真スキル化の条件なども不明なのだろう?」
俺は織部へと頷き返した。
ユウキの真眷属召喚に関しては最初から持っていたし、蓮華の真スキル化についてはランクアップしたらなぜかそうなっていたという話だ。
ランクアップ先のカードは、普通のスキルだったし、真スキル化の要因は蓮華自体にある可能性が高い。
「限界突破だけは、教導スキルで他のカードに取得させられる可能性がありそうだから試している途中だが……」
「教導スキルで教えられるのなら非常に大きいッスけど、まずは先輩のカードが最優先ですし、我々のカードへ教授できるようになるのは大分先になるでしょう。やはり、全体にはあまり影響しない話かな、と。もちろん防衛力という意味では重要度は高いですが」
なるほど、と頷く。
真スキル化の条件も不明、限界突破は俺の主力が最優先。真アムリタの若返り効果も、大っぴらにしないのであれば、俺以外にとってはないも同然。
確かに、多くが俺個人で完結していて、全体にはあまり影響しない話である。
「個人的には、非常に興味深い話ではあるのだがな……」
「蓮華ちゃんは廃棄カードキー、ユウキさんとプリマさんはカードキーへのランクアップ……。オセが廃棄カードキーだったとしたら、カードキーであることが条件なんでしょうかね?」
「我としては、ユウキやプリマの先天技能が真スキルではないことが気になるな」
うん?
俺は織部の言葉に眉を跳ね上げた。
……確かに、真スキルの取得条件がカードキーであることならば、ユウキの先天技能が真スキルではないのは、少しおかしいか。
「廃棄カードキーと正規カードキーの違いッスかね?」
「……いや、正規カードキーの方の先天技能が真スキルで、廃棄カードキーの方が通常の先天技能ならばわかるが、その逆はあべこべに感じる」
確かに、とアンナと二人で頷く。
「真スキルを手に入れた時の状況を一度詳しく教えてもらっても良いか?」
俺は頷くと、蓮華が真スキルを得た時の状況を詳しく説明していった。
「ふむ……きっかけと思わしきは、やはりランクアップだが、ランクアップが原因というよりは、それにより欠けていた条件が満たされたと見るのがしっくりくるな」
織部が、細い顎を擦りながら呟く。
「蓮華ちゃんは、霊格再帰持ちです。本来の種族となったことで、本来の先天技能を取り戻した、とか?」
「いや、蓮華にはまだもう一段霊格再帰先がある。本来の種族に戻ったとは言えないだろ」
三人で「うーん」と首をひねる。
やがて織部が疲れたように嘆息し、言う。
「わからんな。情報が少なすぎる。これ以上ここで考えても無駄だろう。……むしろ問題は、門番の真スキルの方だな」
たしかに、どうやったらできるかわからないカードの真スキル化より、確実に持つ門番の真スキルの方が問題だった。
「先輩の話を聞く限りでも、その力は凄まじく、単純にワンランク上のクラスのスキルというより、既存のスキルとは似て非なる力を持つように思われます。アムリタに若返り効果が加わったり、オセが眷属強奪の力を持ったり……」
「モンスターが人間をモンスターに変えられるようになったり、か」
アンナの言葉を引き継ぐように織部が言う。
「まさかヴァンパイアが、伝承そのままに人をグールに変えられるようになるとはな。このことが広く知れ渡ったら、確実にパニックになるぞ」
「せめて人間に戻すことができたら良かったんですが……」
「アムリタで治らなかったのなら、我々には手の施しようもないぞ。仮に戻す手段があったとして、それまでどこかに閉じ込めておく余裕もない」
「もし元人間のグールたちが、さらに他の人間をグールやゾンビに変えられる力を持っていたら最悪ですからね……」
もしかしたら、人間に戻す方法が世界のどこかにはあるのかもしれない。
もしかしたら、グールたちには人間をモンスターに変える力などないのかもしれない。
もしかしたら、イライザが自我を得たようにグールとなった人たちもいずれ自我に目覚めたかもしれない。
もしかしたら、生前の人格と記憶を取り戻すかもしれない……。
だが、それはすべて「もしかしたら」の話だ。
今の俺たちに、グールとなった人々を捕獲し、あるかどうかもわからない人間へと戻す方法が見つかるまで、あるいは元の人格や記憶を取り戻すまで保護をする余裕はない。
マヨヒガなどの異空間型のリソース内で生き残った人々を保護するのとは、訳が違うのだ。
グールを保護しているのを見た他の避難民たちは、なぜモンスターをわざわざ捕えているのかと疑問に思うだろうし、いずれそれが元人間だと知られれば、確実にパニックとなる。
下手したら、避難民同士での魔女狩りや暴動にまで発展しかねない。
それでも家族や大切な友人たちなら方法を模索しただろうが……赤の他人にまでそこまでするほど博愛主義にもなれなかった。
今の状況では、モンスターに変えられた人間は、その時点で「人間としては死んだ」と見なさざるを得なかった。
それからどうするかは、その種族の危険度次第か……。
「いずれにせよ、門番と戦う際は元のスキルのデータはいったん忘れて、初見のモンスターと戦うつもりでやった方が良さそうですね。かえって足をすくわれかねません」
アンナの言葉に、皆で頷く。
逸話や伝承からその能力を推測しようにも、羅刹の「死なば諸共」のように伝承には無いスキルも多いため、対策しようにも限界がある。
いっそ既存の知識はすべて捨て去って、完全に初見のモンスターと戦うつもりで戦った方が、意識の外からの不意打ちを防げるだろう。
「……さて、これで先輩のお話の方はすべて整理できましたかね?」
「そうだな。一通りは終わったと思う」
細かい所を上げれば、まだ話したい事は色々とある。
オセの残した謎のカードについて、とか。空間隔離を超えてイレギュラーエンカウントが移動できるのか、とか。
だが、それはここでいくら議論したところで答えは出ないものであり、それよりも今は、そろそろ次の話題へと移りたかった。
俺は姿勢を正すとアンナへと問いかけた。
「今度はそっちの番だ。俺がいない間、何があったか教えてくれ」